2010年1月
期間:2010.1.26〜2.1
モーツァルト紀行「モーツァルト週間」旅行記
ウイーン〜リンツ〜ザルツブルク
モーツァルト生誕の地、ザルツブルグで毎年、生誕を記念して真冬の1月に行われる「ザルツブルクモーツァルト週間」のツアーに参加してきました。
今年は日本だけでなくヨーロッパも寒波に見舞われ、ウィーンでは日中の最高気温が−6℃という寒さでしたが、モーツァルトのオペラやコンサート満載の時間を過すことができ、心はホカホカの暖かさで包まれた毎日でした。
ツアーのコースは日程の都合上、ふた手に別れ我々は残念ながらツアー始まりの地:プラハはパスで、ウィーン→リンツ→ザルツブルグというコースを取りました。
初日のウィーン、午前中は先ずホテルからそう遠くないブルク公園にあるモーツァルト像への表敬訪問。氷点下の中、僅かに積もった乾雪を踏みしめて像の前に立つ。「モーツァルトさんいつも美しい音楽を有難う・・・。」左手で何気なく譜をめくり、右手はぐっと横に突き出し白いモーツァルトはウィーンの真っ青な空の下で遠くを見つめている様子。
モーツァルト像を後にして、お馴染みの「モーツァルトハウス」に向かう。
携帯用の音声ガイド機器を借りて、前回聞き漏らしたり、理解できなかった事を今回は少しでもと思いながら音声をひろい、室内を眺め回す。映画「アマデウス」の場面でも、この家は良く出てきており、何とはなしに映像を重ねながら想像してみる。どの部屋でどんな格好で作曲していたのだろうか?
モーツァルトハウスの窓から(モーツァルトも見ていたのだろうか・・)
モーツァルトハウスの次に、シュテファン大聖堂に向かう。視線が到達しない程高い天井、敬虔な祈りに満ちた荘厳な空間、設計者の感性・思想と職人の卓越した熟練と技術があってこその建築なのだが、あの時代に本当に造られたのかと、今更ながら驚きを持ってしまうのである既に日本で、DVDで鑑賞している、この大聖堂で演奏された「アヴァド指揮・:レクイエム」に思いを馳せる。一体どんな響きがしたのであろうか。(モーツァルト愛好会会員の中には、この大聖堂での「レクイエム」の合唱に参加した方もおられる。)
この後シュテファンの近くにある館:「ドイッチェ・ハウス」を見学する。25歳になり真の作曲家・音楽家としてウィーンで自立を目指すモーツァルトは、それを認めないザルツブルグの大司教「コロレド」との確執に悩むのだが、父親「レオポルト」からの説得依頼を受けた侍従長「アルコ伯爵」の滞在するこの館の門をくぐった。モーツァルトの辞表願いを懐に収めていたアルコ伯爵が説得するにも関わらず、モーツァルトの意思は固く、業を煮やした伯爵はとうとうモーツァルトの尻に足蹴りをくらわせてしまうのである。それでこの館は別名「足蹴りの館」と呼ばれるのだが、室内には入れず外部から観るにとどまった。
階段上がその部屋があるところ、そして一階のガラス窓の向こうにサロンコンサートが行われたと言う部屋が見えた。座席や譜面台も当時のままの姿で存在し、すごくこじんまりしている・・・モーツァルトが演奏している雰囲気を想像すると夢を見ている様な感じがしてくる。
午前の見学の終わりは、モーツァルトがその生涯を終える時を迎えた家があった場所を尋ねる現在は現代的なデパートに変わっているが、外壁のプレートだけでは無く、最上階に記念のモーツァルト像や資料が展示してある。同行者のフェライン会員のKさんが教えてくれなかったら、貴重な最上階部分を見過ごすところだった・・窓の外には直ぐ近くに、鮮やかなタイルに彩られたシュテファンの屋根が目に飛び込んで来た。
寒さの中での見学も終わり、1800年代創業の老舗レストラン「Criechnbeisl」にてランチを楽しむ。レストラン内部の古い壁面・天井にずらり並んだ音楽家のサインに目を見張る。店主が長い棒で一つ一つ指示しながら説明をする・・・近代の作曲家や演奏家もいるが、確かにシュトラウスもあればわれらがモーツァルトもあるのです。其の筆跡は信じられないような気もするのですが、不思議な光景であることは間違いない。あまり美味しいとは言えないが、温かい料理はあり難い・・がやはり量が多すぎる!!
午後の自由時間、夜のオペラに備えてあまり無理は出来ないのだが、どうしても外せなかった「ウィーン市美術史美術館」に足を運ぶ。膨大な量の絵画や彫刻は例え1週間あっても有り余るものなのだが、今回は特に「フェルメール」と「ブリューゲル」をお目当てに広い館内を歩き回る。「フェルメール」はこの時期特設展示となっており、最も有名な「タイトル:絵画芸術」に的を絞って、使われた絵の具の種類から始まって、画面構成・光の取り入れ方・材質の表現などあらゆる面から、技術上できる限りの詳細な解析を試みている。日本語で書かれた詳しい案内書の助けを借りながらも改めて其の作品を鑑賞すると、「画家:フェルメール」の凄さに唯感嘆するのみである。
そして次は「雪中の狩」で有名な「ブリューゲル」。真冬のどんよりした静かな雪景色・・暗さの中にも妙に落ち着きを与えてくれるのは、絵の中に引き込まれていく為なのかも知れないしかし一方で全くテーマの違う「バベルの塔」は、何ともひかれる作品だ。自分の好みに合っているのも事実だが、他の画家にないユニークな表現を持った図柄は際立って印象に残る。
しかしやはり疲れました。こんな状態で今晩のオペラは大丈夫かなという感じで、美術館を出たわけであります。
お待ちかね、今回初のオペラはフォルクス・オパーでの「魔笛」でした。主な出演者は以下の通りです。
指揮:Noam Zur
演出:ヘルムート・ローナー
オーケストラ:フォルクスオパー管弦楽団
合唱:フォルクスオパー合唱団
出演:夜の女王:ニコラ・プロクシュ
タミーノ:ミルコ・ロシュクボスキ
パミーナ:ビルギッド・シュタインベルガー
パパゲーナ:ルネ・シュッテングルーガー
パパゲーノ:ヨゼフ・ワグナー
ザラストロ:ラルス・ヴォルト
弁士:セバスチャン・ホレチェク
モノスタトス:ウォルフガング・グラッヒェメイヤー
劇場は中規模で「シュターツオパー」などに比べると簡素なつくりでしたが、出演者の息吹がむしろ身近に感じられる空間であったように思います。全体的に水準には達していると思われる反面、飛びぬけて力量のある売れっ子演奏家がいたのではないのですが、「魔笛」が持つ独特の物語性が感じられる、そんな暖かい演奏になっていると感じました。タミーノ役の「ミルコ・ロシュクボスキ」はモーツァルト・テノールとして割合良い線を行っていたと思います。
カーテンコールの時は、(ああ、この場所でモーツァルトを聴いているのだなあといったミーハー的感情も含めて)やっぱり感動です!!(又一方で演出がとんでもないのではなくて、ほっとしたのも事実でした)
2日目、夜の「ドン・ジョバンニ」を除いて其の日はフリータイム。どうしようかと迷いつつ、せっかくなので中央墓地にモーツァルトさんを尋ねようと言う事になりました。慣れないトラムカーに乗って行ったのは良いのだが、駅名のドイツ語が殆ど分らないので、回りの景色をチェックしながらの行脚でした。
大きなレンガ塀を目印に下車して運よく墓地に到着し、入り口近くの花屋さんで薔薇を2輪買い求め、場所を探すこと十数分。墓地内の案内図からやっと探し当てたのはなんと入り口近くでした。しかしモーツァルトさんの像の前に立ち、ばらの花を供えお祈りをしていると、氷点下の中で悴んだ手にも温もりが蘇ってくるようでした。最上部に立つ音楽の女神の像(モーツァルトの横顔はその下の壁面にレリーフとして施されている)は良く観ると、なんと「レクイエム」の楽譜を抱えているではないか!(こんなこと今頃知ったのか・・ちょいと恥ずかしい)
結局半日以上のお墓参りでしたが、「ああやっぱり行ってよかった」という充実感で満ち溢れた氷点下のフリータイムでした。
さていよいよお待ちかね、其の夜は「ウィーン国立歌劇場:シュターツオパー」での「ドン・ジョバンニ」。出演者は下記の通り。
指揮:アダム・フィッシャー
演出:ロベルト・デ・シモーネ
オーケストラ:ウィーン国立歌劇場管弦楽団
合唱:ウィーン国立歌劇場合唱団
出演:ドン・ジョバンニ:ミヒャェル・ヴォレ
ドンナ・アンナ:エリン・ウォール
ドン・オッタービオ:ドミトリー・コルチャク
ドンナ・エルヴィーラ:イアノ・タマール
レポレッロ:ウォルフガング・バンクル
ツェルリーナ:ロザンナ・コンスタンティヌス
マゼット:甲斐栄次郎
初めて来たときも感激したのだが、何度見てもホール建築物としての歌劇場は流石に素晴らしい、それなりの正装で来たつもりで、その所為でもないのだが自らの背筋が思わずぴんと伸びていることに気がつく(?)。しかし・・しかしである。周りを見回すとジーンズ等のラフな姿がいたるところに見受けられ、やはりドイツを始め昨今のオペラ会場がそうとは知っていても何となく気落ちしてしまう。まあいいや、オペラを楽しみに来たのだからと納得させる。
今回の演出はかなり以前から定番になっている「シモーネ」の演出とあって舞台進行も衣装も殆どDVDで鑑賞していたものと変わらないので、安心感と同時に何かもう一息の物足りなさが残った。勿論それなりの水準の歌手陣とオーケストラなのだが、「ドン・ジョバンニ」独特の憎むべき女性の大敵:色事師であってそれでも女性があこがれてしまう男の色気や個性が今ひとつ。(むしろ爽やかな感じ?)ドンナ・エルヴィーラ役も遣る瀬無い女心がちょっと伝わってこない。そんな中で、意外にもマゼット役の甲斐栄次郎がかなりの熱演で、お、日本人の歌手も随分と頑張っているな・・とちょっと嬉しい気分でした。
総じて平均点に達している「ドン・ジョバンニ」とは言えるのだろうが、何度もこの舞台を鑑賞している我々にとって、欲が出てきてしまっているのかも知れない。
さて3日目は、いよいよウィーンからザルツブルグへの移動。途中リンツを訪ねる事になりました。いつもは素通りしていた、このオーストリア最大の工業都市はそうは言っても日本の工業都市のイメージではなく、こじんまりとした美しい町でした。
「リンツ交響曲」を作曲したと言われる家を、中庭より見学する。実感が湧くようなそうでないような・・ガイドの説明が終わる頃に1階の外壁にあったボタンをガイドが押したらほんのちょっとだけモーツァルトの曲が流れたのです。ボタンの周辺にはモーツァルトのレリーフやウィンドウ越しになにやら説明パネルがあるのですが、これもちょっと今ひとつ、いや今二つ位かな。
その後は、少し気温が緩みびちゃびちゃした道路を歩いて、三位一体記念柱やブルックナーがオルガニストを務めた旧大聖堂(シュテファンに次いでオーストリアでは2番目の高さを誇る尖塔を有する)などを訪ね歩きました。ガイドさんにとってはマニュアル通りなのでしょうが殆どブルックナーの話ばかりで、我々モーツァティアンにとっては「何となくねー」という具合。
そんな中、突然観光客的な気分になってしまったのが、通りがかりのチョコレートのお店でした。名物「リンツタルト」や珍しいチョコレート(帰国後食べたら本当に美味しかった!!)を買い求めて、ユーロの消費に貢献しました。
夕方ザルツブルグのホテルに到着して一休みした後は、オペラ「フィガロの結婚」か、「カメラータ・ザルツブルグのコンサート」のどちらかを選択するのでしたが、日本で既に迷わず後者を希望していました。オペラを選んだ人達に聞いてみたらとても良かったとの事でしたが、我々の選択も間違っていなかったという素晴しい演奏でした。
祝祭劇場に隣接の「モーツァルト劇場」で演奏されたコンサートの概要は以下の通り。
指揮:ロジャー・ノリントン
オーケストラ:カメラータ・ザルツブルグ
ソプラノ:アンネッテ・ダッシュ
♪ ノットルノ D-Dur KV 286(269a)
♪ アリア ゛Vado,ma dove?oh Dei!゛KV 583
♪ レチタティーボ、アリア、カヴァティーヌ KV 272
゛Ah,lo previdi !゛― ゛Ah, t‘invola ゛Deh,non varcar
♪ レチタティーボ、アリア KV 528
゛Bella mia fiamma,addio゛―゛Resta,oh cara゛
♪ セレナーデ D−Dur KV 204(213a)
このモーツアルト劇場は、最近出来たものとあって祝祭劇場の古典的美しさとは異なる現代的でとてもセンスの良い空間でした。ロビーで記念撮影をしようとした所、地元の方と思われるとても感じの良いご夫婦が「撮ってあげましょう」と声を掛けてくれた。
二人一緒に撮れてラッキーなのは勿論でしたがなんと席に着いたら、そのご夫婦がお隣でした東京から来たのかとにこやかに聞かれたのだが、時期的なこともあるのか、確かに周りを見渡しても殆ど日本人はいなかった。
さて曲にうつりましょう。最初の曲:ノットルノでは珍しいオーケストラの編成をとっていました。全部で四つに分けられた楽器郡が、立ったまま、フーガ奏法をイメージした流れで演奏して行き、カメラータの洗練された美しい音色が音楽の夜会に相応しい華やかで楽しい気分にさせてくれる・・・正にモーツァルトの音楽の美しさがここに凝縮されている様でした。ノリントンもノリノリ!!サービス精神一杯のオーバーなジェスチャーで、会場の雰囲気を大いに盛り上げていたのです。
次の曲からは、お待ちかねソプラノ「アンネッテ・ダッシュ」の真骨頂、滑らかで張りのある歌声が心地よく耳に届く・・・ああ、これがモーツァルトのアリアだ・・何曲もあると思っていたのが、あっと言う間に終わってしまったと言う感じでした。
最後は「セレナーデ KV 204」、本当に打ち止めでした。体中モーツァルトで満たされてその余韻を感じながら会場を後にしました。
さあ最後の4日目です。昼間はミラベル宮殿等の見学でしたが、以前観ている事もあったのでパスしました。同行のBさんご夫妻が「モーツァルテウム大劇場」での興味深いプログラムを見つけ、急遽参加予定していたのを聞いて、便乗する事にしました。
「モーツァルテウム大劇場」はホテルから目と鼻の先にあり、ミラベル宮殿の裏手、ザルツァッハ川から少し入ったところに位置し、マリオネット劇場・州立劇場と並んでいる。ツアーに同行したKさんに予め聞いておいた「魔笛の小屋」が大劇場の中庭にあるはずなので、なんとしても見たいと思いから、劇場に入った後、ロビーにいる係りらしき女性の方に尋ねるが、こちらの英語もひどく相手もドイツ語だけの様で、上手く伝わらない。そうするとその女性が英語のできる人を連れてくるのでちょっと待って欲しいとのこと・・少しして責任者らしき年配の男性がやって来てやっと意味が通じたらしく、その紳士どんどん上階へ案内して行く。一緒に来たBさんご夫妻も興味しんしんで我々と一緒に息を弾ませて階段を登り、行き着いた所はティーサロン、そして大きなガラス窓越しに目を移すと、何とその中庭には雪の中にひっそりとたたずむ「魔笛の小屋」があるのではないか!!案内の男性にお礼を言って窓の外を覗き込んでいたら、ウェイトレスの女性が、その扉から外に出られると教えてもらい、とうとう「魔笛の小屋」に最接近したのであります。(積雪の為ある程度までしか近づけませんでした)Bさんご夫妻とお互いに写真を撮りあい、幸せいっぱいのプレコンサート時間を楽しみました。
余談『毎年、年賀状に載せる絵を描いていますが、今年は偶然にもテーマを「魔笛の小屋」に しました。時期的にはおかしいのですが、新緑の中、作曲にちょっと疲れたモーツァルト が小屋の前で一休みしている風景です。』
さあ、いよいよコンサートの始まりです。ヴァイオリンのヴァイトハースは勿論初めてですが、かなりいい線をいっていました。モーツァルトを深く感じようとしている姿勢がこちらに強く伝わってきているのです。そしてヴィオラのキム・カシュカシュアン、これが又素晴しかったのです。モーツァルトと言えどもヴィオラが主役の曲はそれ程ないのですが、ヴィオラがこれ程美しい音色で際立って聴こえるのは驚きでした。ピアノのアンスネスも初めてでしたが、堂にいったモーツァルト弾きに思えたのですが、後で知って納得でした。(ノルウェー出身、現在新世代の中で最も確立されたピアニスト。今年の3/21に初台の「オペラシティコンサートホール」でモーツァルトのピアノ協奏曲23番・24番を演奏予定)
しかし、しかしである・・・モーツァルト以外の「ジェルジ・クルターグ」の曲はモーツァルトと対極に位置するとんでもない現代曲であった。翌日の祝祭でも登場するのだが、同行の方にも「まるで武満徹をも越えて正倉院で聴く銅鑼の響きだ」と言っている人もいました。私達も同感でした。(コンサート企画者の意図が分かりかねます)但し、演奏会にクルターグ自身が出席しており、終了後に舞台で挨拶をしたのであります。その時に舞台上で出演者に花束を渡していたのは、なんとあの年配の男性でした・・もしかしたら館長さんかも?・・・最後の落ちです。
余談『大劇場の中に入って、これまた感激した事があるのです。「日本モーツァルト愛好会」の入会案内パンフレットのイラストに私共の描いたモーツァルテウムの線描画があるのでそれを実際に確認できたことです』
演目は以下の通りです。
出演 ピアノ:レイフ・オヴェ・アンスネス
クラリネット:ジョルジュ・ヴィドマン
ヴァイオリン:アンジェ・ヴァイトハース
ヴィオラ:キム・カシュカシュアン
チェロ:ニコラス・アルステッド
■ W・A・モーツァルト
♪ クラヴィーアとヴァイオリンの為のソナタ KV377(374e)
♪ クラリネットとヴィオラ、クラヴィーアの為のトリオ Es―Dur
ケーゲルシュタット・トリオ KV 498
♪ クラヴィーアとヴァイオリン、チェロの為のトリオ E―Dur KV 542
■ ジェルジ・クルターグ
♪ クラリネットとヴィオラ、クラヴィーアの為のR.Schへのオマージュop.15d
♪ ハンガリアンのゲームからのクラヴィーアと記号・ゲーム・メッセージか らのヴィオラソロの為のWerke
この日が最後のザルツブルグの夜、そしていよいよお待ちかね今回のツアーのメインイヴェント、極めつけのレクイエムです。
会場の祝祭大劇場は流石に名門、正装の人達で埋め尽くされて入るような・・勿論我々もスーツなどドレッシーな装いで臨みました。
生誕記念のときの興奮とまではいかないまでも、やはり気分は少しずつ高まっていく感じでした。
出演者などは以下の通りです。
指揮:ヤニック・ネゼ・セガン
オーケストラ:ウィーンフィル
合唱:ベルリン放送合唱団
出演歌手 ソプラノ:ドロテア・レシュマン
アルト:ビルギット・レンマルト
テノール:ミヒャエル・シャーデ
バス:フランツ・ヨーゼフ・ゼーリッヒ
いやこれはもう文句なしにすごいの一言でした。ウィーンフィルのあくまでも美しく流れる音色に、厳かな合唱の響きが重なり、ソロの天上に届くような歌声が静かに祈りを捧げていく、まさに死を目の前にしたモーツァルトが自分自身に捧げた鎮魂曲そのものでした。
演奏のレベルや歌唱力などと言うことを遥かに越えた、もっと高い次元の音楽・・胸を打たれるとはこんな状態のことをいうのだなとつくづく感じた次第です。
同行した皆さんで普段合唱をやっている人たちは思わず口ずさむ事が多く感動と共に疲れたとも言っていました。
この余韻を出来るだけ永く続くように願いつつ、祝祭劇場を後にしました。
これでツアーは終わりました。「ザルツブルグ・モーツァルト週間」は私達にとって素晴しい人生の一頁を与えてくれました。又次に来る事がきっとあると思います。
−完―