軽井沢 Mozarthouse News

2010年~2012年のニュース

2012年12月27のモーツァルトハウス(東京)

今年も残りわずか・・・

いよいよカウントダウンに入りましたね。今年もあと残すは4日あまり。大掃除、年末の買い物、年内に済まそうという用事で、何かと忙しい毎日です。

来年もモーツァルトの音楽に感動し、より多くの心弾む時間を持っていきたい・・・・。それが望みです。今年も「軽井沢モーツァルトハウス」の扉を開けて下さいました皆様、ありがとうございました。

みなさまにとって、新年が希望に満ちた明るいより良い年であります様に、・・例会、講座、またどこかのコンサートホール、そして軽井沢モーツァルトハウスなどなどで、来年もまた元気な姿で皆さまにお目にかかる日を楽しみにしております♡♠♤

これで、今年のMozarthouse Newsは終わりです。色々なことがあった今年一年、来年は新たな気持で、またスタートします。。

2012年12月26のモーツァルトハウス(東京)
年末十句呈上(無季)から・・・
「日本モーツアルト愛好会」会員で、俳句を嗜むT氏(俳号:白堂)から、年末の挨拶状が届きました。愛好会会員だけあって、いつもそのユニークで
音楽心溢れるお洒落な句に、感心しています。以下に十句の中から少し紹介します。
        
            「ヴィオロンのトレモロ哀し落ち葉舞う」
            「秋深し第二楽章アンダンテ」
                         
            「花道を勘三郎の逝きにけり」
                                               

・・・今年も勘三郎さんをを始め、各界で惜しい人達が世を去りました・・・

2012年12月25のモーツァルトハウス(東京)

クリスマスですね・・・・
さて、モーツァルトはクリスマスに完成した曲がありますが、何の曲でしょうね。

「フルート四重奏曲第1番ニ長調K285」です。古今フルート四重奏曲の最高傑作といわれている曲ですね。

新たな求職の旅に出たモーツァルトは、母と共にマンハイムに1777年10月末に到着しました。この地に4ケ月程滞在することになります。この滞在中、オランダの音楽愛好家ド・ジャンから、フルートのための協奏曲と四重奏曲を作曲依頼を受け、モーツァルトは、四重奏曲では、K285、K285a、K285bの3曲を、また翌年1月から2月にかけては、フルート協奏曲1番、K313、2番、K314(先に作曲されたオーボエ協奏曲をフルート版にしたもの)等を作曲しました。

さて、モーツァルトはフルートという楽器を好きではなかったというのが何となく定説になっていますが、どうだったんでしょうね。この説の根拠となっているのはモーツァルトの父レオポルトに宛てた手紙です。「堪え難い楽器(フルート)のための作曲の時には、すぐ頭がぼけてしまうのです」
これで後世の人々はモーツァルトはフルートが嫌いとなったのですが、海老澤先生はこの説をきっぱり否定されます。当時のフルートは改良された現在のフルートと違い、音にむらがあり扱いが大変だったということであって決して嫌いではなかったと。「口は災いの元」というのがありますが、これに関しては「筆が災いの元」であったようです。気をつけましょうね。ちょっとした一言で誤解を受けることがあるものですから・・・。

マンハイムでは、名フルート奏者、ヴェンドリングとの出会いもあり、彼の名人芸的演奏に啓発されたにしろ、残された作品はいづれも珠玉の逸品揃いで、これらの作品はモーツァルトからの最高のクリスマスの贈り物ということになったのであります♡♠♤

今日のクリスマス・・・・・・・・モーツァルトの「フルート四重奏曲K285」を聴きながら、陽だまりのリビングでティータイムを楽しんでみるのはいかがでしょうか。。
京都北山にある「京都の洋菓子屋さん」として30年の老舗「マールブランシュ」から届いたバームクーヘン(和三盆糖、米粉を使ったもの、もっちりとした食感に、練乳のミルキーな風味が加わって、日本ならではのやさしいバームクーヘン)そして、フォション紅茶(セイロンB.O.P.)で

2012年12月23のモーツァルトハウス(東京)

モーツァルトのお母さんのお骨は何処に・・・・
海老澤敏先生はフランス留学のため、1962年にパリに向かいました。当時はいわゆる南回りで船の旅でした。途中インドのニューデリー、その後イスラエル、トルコ、ギリシャ等の各地を歴訪されたそうで、当時としては極めて貴重な旅体験をされていらっしゃいます。そしてウイーンでは、二つのモーツァルトのお墓(マルクス墓地、中央墓地)、ザルツブルクでは、聖ペテロ教会で、姉マリアンナのお墓を、そして聖セバスティアン教会墓地でレオポルトと、妻コンスタンツェ、後の夫であるニッセンのお墓を訪ねたそうです。(勿論そこには亡骸はとうに他の場所に移されていてないのですが)、そしていよいよパリではさっそく母アンナ・マリーナのお墓を訪ねようと思われたそうですが・・・・

モーツァルトの母は、1778年7月3日、パリで亡くなりました。求職活動のモーツァルトに連れ添ってパリに来ていた最中でした。葬儀は翌日、サン・トゥスタシュ教会でおこなわれ、教会の墓地に埋葬されたといわれています。が教会にほど近いサン・ジノサン墓地に埋葬されたという説もあり、そこに埋められたのであれば、死後わずか7年後の1785年にこの墓地は廃棄され、120万体とという驚くべき数の人骨と一緒に、現在も<パリのカタコンブ>として名高い、パリ市南端、昔から石切り場としていた場所に移され、そこはその他のパリ市内の墓地からの人骨も加わって600万体の人骨が集めらた場所なのだそうです。

海老澤先生は、何とここを5回も訪れたことがあるそうで、1人の時もあれば、ろうそく1本を持たされて暗い中を進んでいくという体験もされています。この暗黒の墓所にこそモーツァルトの母、アンナ・マリーナは眠っているのである。

こうした母アンナ・マリーナのお骨が、遠い異郷のパリのカタコンブの中に置かれているという推測は、いままでどのモーツァルト伝の中にも書かれていないことで、先生は留学から帰国後の1973年に「モーツアルト研究ノート(音楽の友社)」で発表されました。

現在、このダンフェール・ロシェローのカタコンブ、入場料は8ユーロ/1人、ガイド付きです。

2012年12月22のモーツァルトハウス(東京)
モーツァルト「フィガロの結婚」2013年6月 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール公演、
またまた来年のお話。先月初めてびわ湖ホールを体験し、そのホールの素晴らしさにすっかり魅了されてしまいましたが、2013年6月30日(日)15時開演、モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」の公演があります。
このホールの素晴らしさを一度は体験して頂きたく思います。もう既に体験された方、まだの方、この機会にぜひご一緒に「フィガロの結婚」を観に行きましょう♡♠♤、京都、また琵琶湖周辺は、魅力的な観光名所がたくさん、美味しいものもたくさん!オペラ鑑賞とセットで楽しめます。

2012年12月19のモーツァルトハウス(東京)

モーツァルトピアノ協奏曲、K413、K414、K415は、「通でも、通でなくても、満足する曲・・・」
モーツァルトはウイーンに移り住んで、音楽の都で成功するため、予約演奏会で演奏するピアノ協奏曲の作曲に力を入れなければなりませんでした。そこで連続して3曲のピアノ協奏曲を作曲しました。

モーツァルトはこの曲について、ザルツの父レオポルト宛の手紙で次のように語っています。「これらの協奏曲はやさしすぎもせず、むずかしすぎもせず、ほどよい中間を保っています。ひじょうに華麗で耳に快くひびき、空虚におちいることなく自然さを保っています・・・・」「これらの協奏曲」とはK413(11番)、K414(12番)、K415(13番)の3曲です。

K414「イ長調」の優雅な、明るくのびやかな旋律はモーツァルトそのもので、後の同じ「イ長調」K488の協奏曲を彷彿させるものがあります。それ故か、この曲は3曲セットの中で最も広く親しまれています。
尚、K414の第2楽章にはヨハン・クリスティアン・バッハ(1735~1782)の交響曲からの引用があり、これを作曲した年に、この敬愛する作曲家がこの世を去ったことへの追悼の意味が含まれているといわれています。

イタリア旅行のお土産としてこの3曲のCDを頂き、改めてウイーン時代ののちの傑作の陰であまり演奏されるされる機会の少ないこれらの曲の存在を知り、その魅力に浸っています♡♠♤

2012年12月18のモーツァルトハウス(東京)
入院中の福田さんから届いた 新版「色の名前507」(福田邦夫著)

本書は日本やヨーロッパに古くから伝わる慣用色名に、その他の国で古くから使われてきた色名、基本色名などを加え、私たちが日常的に目にしたり耳にしたりする色名について解説しています。全507色と他に例を見ない色名を色見本とともに紹介し、それぞれに色名の由来や特色などについてくわしく解説しました。(本書の「特色と使い方」:冒頭文より)

このご本は「ポケット図鑑」として1994年に刊行されて以来、何度も版型を変え、ページ数を増やしたりして再発行されてきました。2012年10月24日に最新の改訂版が出たばかりです。出版社は「主婦の友社」です

著者の福田邦夫さんは「日本モーツアルト愛好会」の前前の代表であります。
このHPでも一方ならぬお世話になっていて、「モーツァルトの本棚」の「F.K氏からの寄贈の 書籍たち」は福田さんから寄贈して頂いたものですし、また絵画展 「モーツァルトゆかりの地を巡る旅 展」を2010年4月24日(土)~7月11日(日)まで、オナーズヒル軽井沢クラブハウスロビー で開催させて頂きました。(Mozarthouse News :2010年4月参照)

今はご入院中ですが、早くお元気になって頂きたいと思います。

2012年12月17のモーツァルトハウス(東京)

「ノーベル賞は過去形」受賞者・山中伸弥教授の言葉・・・・

慌ただしい年の瀬の選挙の最中、先週はスウェーデンから届いたノーベル賞受賞者、山中伸弥氏の言葉の数々に、勇気をもらいました。

受賞式が終われば、「ノーベル賞は私にとって過去形だ」、贈られた金メダルは「大切に保管してもう見ることはないと思う」と語った。心境を問われて色紙に書いた言葉は「初心」の一言。「研究者を目指した最初の日に戻ってまたやりたい」。

「初心とはいつでも帰れる貌をして傍らにありてすでに帰れず」(馬場あき子)。
一首にに頷きつつも、せめて正月を期して気持ちを新たにしたい、と思うのが普通だろう。年明けまであと半月でもある。がノーベル賞をマラソンの給水にたとえた山中さんは、少しでも脚を休めたかどうか、とうに走り出している。」(2012.12.15、日経新聞朝刊:春秋より)

受賞式、晩さん会と数日の休日を大いに楽しみ、それが終われば、山中氏はもう既に気持はこれから託された大きな仕事に向かっている。

2012年12月10のモーツァルトハウス

日中でも氷点下になった軽井沢。薪ストーブであったまりました。


いつも慰めてくれるメロディは、やっぱりモーツァルト。オペラ「フィガロの結婚」は気持が沈んだ時に決まって聴き、観るオペラです。私にとってなくてはならない「元気薬」です。


今年は12月ですでに1月下旬の寒さ。冬の軽井沢は日差しが強く、明るいのに、気温は日中でもマイナス。これから春までこんな日が続きます。

2012年12月9のモーツァルトハウス

12月5日、中村勘三郎さん逝く。モーツァルトの命日に・・・・

「中村勘三郎さんを悼む」
野田秀樹さん(劇作家・演出家)が12月9日(日)の日経新聞に載せられた記事を読みました。

「----------------朝起きるたびに、君の不在を知る。
君の死は、あまりにも僕に近すぎる。君の死を語ろうとするたびに言葉を失い、唇が震え、目が霞む。確かに肉親の死に似ている。
君がこうなってしまうまで、君の存在の大きさに気が付かずに生きていた。その意味では、君の死は、隠れてしまった太陽のようだ。起きるたびに、君がいないことを確認して、途方にくれる。おそらく君と深くかかわった人々すべてが、そんな太陽のない朝を迎えている。--------------」

こう綴る野田秀樹さん、母を失った今の私のこころそのものだ。

「君が夜中に逝ってしまい、帰ってきた自宅の窓から富士の山が見えた。たとえようもなく美しかった。月が白くうっすらと西の空に残っていた。紅葉が終わりかけ、冬の訪れを教える真白き富士の嶺と名残の月・・・・「富士紅葉名残の月に 勘三郎」

「僕が初めて君と出会ったのは、渋谷の百軒店(ひゃっけんだな)という坂道だ。僕はその頃やっていた小劇団の劇団の仲間と坂道の上から下りてきた。君は歌舞伎の仲間と坂道の下から上ってきた。まるで一触即発のヤクザ映画の出会いのように緊張が走った。だが「同い年うまれだよね」とどちらからともなく話が始まった。、一目で気が合うのがわかった二十代だった。その夜はそのまますれ違っただけだった。あれから三十年近く、君とは芝居のことを語り続けてきた。-------------------

君が僕を歌舞伎の世界に迎え入れてくれて、初めて僕が書いた「研辰(とぎたつ)の討たれ」という芝居の中で、君は、かたき討ちをされる役を演じ、追い詰まれた君が、刀を研ぎながら、涙を流して、シラノ・ド・ベルジュラックさながら語る。

「生きて生きて、まあどう生きたかはともかくも、それでも生きた緑の葉っぱが、枯れて真っ赤な紅葉に変わり、あの樹の上から、このどうということのない地面までの、そのわずかな旅路を、潔くもなく散っていく、まだまだ生きてえ、死にたくねえ、生きてえ、生きてえ、散りたくねえ、と思って散った紅葉の方がどれだけ多くござんしょ」

君が回復していたら、再演していただろう芝居のこのせりふをどんな思いで演じてくれただろうか。
でもその願いはもう叶わない。
君と初めて会った日のように、坂道の下から歩いてきたかと思うと、瞬く間に坂の上に消えて行ってしまったのだから。僕にできるのは、あの時のように茫然と君の背中を見送るばかりだ。」(12/9付日本経済新聞:文化欄より)

12月5日はモーツァルトの命日、同じ日に天国に逝ってしまわれました。あまりにも惜しい、勿体ないお人でした。誰もがそう思ったに違いありません。

2012年12月のモーツァルトハウス(東京)
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第1番

♪2012年、第81回日本音楽コンクールが終わりましたね・・・・

今年の日本音楽コンクール「ヴァイオリン部門」最終予選の5人に選ばれた中に大江馨さんがいらっしゃいました。大江さんは「日本モーツァルト愛好会」の例会に昨年12月に出演して頂いた方です。現在慶応義塾大学法学部1年、桐朋学園大学音楽学部ソリストディプロマコース(特待生)在学中であります。
最終予選では残念ながら入選で終わってしまいましたが、最終予選にはご自身が得意として自ら選んで「メンデルスゾーン・ヴァイオリン協奏曲:ホ短調」で臨み、情緒豊かにその表現力を発揮し、初めての日コン挑戦とは思えない堂々たる演奏でした。今後に益々期待したい若き彗星です。

♪この「日本音楽コンクール」ヴァイオリン部門の第1次審査の課題曲をご存知ですか。①パガニーニ:24のカプリス作品1から任意の11番、17番、19番、23番から1曲 ②モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第1番変ロ長調K207の第1楽章。このどちらかを選んで演奏します。

♪話はガラッと変わりますが、時に、我々モーツァルト好きは自分の誕生日がモーツァルトの何の曲であるかを楽しんで話す場合があります。例えば5月27日生まれの人はK527になる訳で、これはオペラ「ドン・ジョヴァンニ」のケッフェル番号になります。これを自慢げに喜ぶと言った具合です。こんな風になってくると、同じモーツァルト好きでも頭に「バカ」がつく感じになりますが・・・。
実際に、5月27日に娘を出産したご婦人から聞いたお話ですが、モーツァルト好きだったご主人にとても喜んで貰えたとか♡♠♤
羨ましいお話です・・・。
但し、これには該当者もいるけれども、該当しない人も出てきます、、我が家を例にとると、主人は2月11日で運よくK211、しかし、10月26日生まれの私はというと、該当曲がないのです。こんな具合です。

こんなことでせっかく「授かった」主人の曲、K211はどんな曲かと興味が湧き聴いてみました。ヴァイオリン協奏曲第2番です。とてもいい曲なので驚き、あるヴァイオリニストさんに「2番はいい曲ですね。」と話したら「私も2番は大好きです。でも1番もいい曲なんですよ。私は好きだけど、でもみんなあまり弾きたがらないです・・・」

このモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第1番、課題曲になっていることを知り、その難易度が分かる様な気がしました。それと何となくヴィオリニストさんが敬遠したくなる曲だという事も・・・。

モーツァルトのヴァイオリン協奏曲というと3番から5番が有名ですが、1番2番も素晴らしくいい曲なのです。ぜひもっと聴いてほしいですね。♡♠♤


2012年12月4日のモーツァルトハウス(東京)
メトロポリタンライブビューイング「皇帝ティートの慈悲

上映期間:2013年1月5日(土)~1月11日(金)

♪ちょっと気が早いですが、来年モーツァルトのオペラの上映があります。

指揮:ハリー・ビケット 演出:ジャン=ピエール・ポネル

出演:ジュゼッペ・フィリアノーティ(皇帝ティート)、エリーナ・ガランチャ(セスト)、バルバラ・フリットリ(ヴィッテリア)

上映時間(予定):3時間13分(休憩1回)[ MET上演日 2012年12月1日 ]

楽しみですね♡♠♤

2012年11月30日のモーツァルトハウス(東京)

オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール11月30日(金) 午後2時開演

一度は行ってみたかった西のオペラの殿堂「びわ湖ホール」。そのチャンスがこんなきっかけで訪れてくれようとは・・・・

出し物はモーツァルトのオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」。バーゼル歌劇場とびわ湖ホールの共同制作です。指揮者は沼尻竜典(びわ湖ホール芸術監督)、そして歌手陣は佐々木典子、小野和歌子、高橋薫子、望月哲也、堀内康雄といった超豪華キャスト。そしてこの日は午前11時より、海老澤敏オペラ講座「コジ・ファン・トゥッテの魅力」もあり、私達の初参加をお膳立てしてくれているかのよう・・・。

「行きたいんでしょ・・・行って来たら♡♠♤」またまた天国からの母の声が聞こえてくるで・・・そんな後押しもあって、京都の紅葉を訪ねながら1泊2日の旅にでかけました。

びわ湖のほとりにたたずむ「滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール」、素晴らしいロケーション、建物の美しさ、また音楽ホールとしての空間の素晴らしさ、バーゼル歌劇場の総裁のジョルジュ・デルノン氏、「どこが好きかって、とにかく全てが素晴らしい・・・」と、この劇場だからこそ今回の演出を引き受けたのだそうです。それも頷けます。
ちょうど「メタセコイア」がいい感じで色づいてこの建物と湖の美しさを更に引き立てていました。

海老澤先生の講座があった中ホールロビー

ランチは「ローストビーフサンド&サラダ、スープ」。
京都風の甘めのパンに挟まれたローストビーフサンドは逸品でした。前面の景色がまた何とも贅沢!


大ホールのロビー。比叡山が望めます(左から2番目の写真)。2階から見下ろしたロビー。メタセコイアが秋を演出しています。


ドイツのオペラ専門誌「オーパンヴェルトOpernwelt」で2年連続で「年間最優秀歌劇場」に選ばれたバーゼル歌劇場。同歌劇場総裁ジョルジュ・デルノン氏の演出となる今回の「コジ」。シンプルな舞台で音楽をじっくり聴かせるもので、照明効果をうまく使って、衣装も際立って凝ったものでもなく、すんなり受けいれやすい演出に思えました。注目の2組のカップルの行方はというと、やはり、フィオルデリージとフェランドがカップル成立かな・・という予感を残しての幕切れでした。

2012年11月29日のモーツァルトハウス(東京)

紅葉の京都を訪ねて・・・・。富士山がきれいでした。


洛北:瑠璃光院


NHK朝のニュース番組で放送されたばかりで、ここ「瑠璃光院」には大勢の人が来ていました。
番組では、2階からの眺めが「モミジの雲海」と紹介されました。

京都駅から40分程かかりました。。
(JR奈良線で東福寺まで行き、京阪電車・出町柳駅で叡山電車に乗り換えて、八瀬比叡山口下車)

もみじと言えば京都ではやはり「東福寺」


2012年11月24日のモーツァルトハウス
軽井沢の自然が、ちょっぴりですが、癒してくれました・・・・。

もうすっかり冬に変っていました。

遠くに浅間山が見渡せます。


友人がお花を送ってくれました。いい香りがします。


2012年11月20日のモーツァルトハウス(東京)

滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール「コジ・ファン・トゥッテ」11月30日(金) 午後2時開演

11月30日(金)は、海老澤敏先生のオペラ講座「コジ・ファン・トゥッテの魅力」も開催されます。11時~の講座を聞き、午後2時~オペラ鑑賞というのも更に楽しめそうですね。

このびわこホールは音楽評論家・加藤浩子先生の超お勧めの音響抜群の音楽ホールです。出かけてみたいです~。
このオペラ、スイスバーゼル歌劇場と琵琶湖ホールとの共同制作。演出はバーゼル歌劇場総裁のジョルジュ・デルノン氏、指揮はこちらも琵琶湖ホール芸術監督の沼尻竜典氏。そして出演者も最高の演奏家たちです。

このバーゼル歌劇場、実はドイツのオペラ専門誌〈オーパンヴェルト Opernwelt〉で、2009年・2010年と連続で“年間最優秀歌劇場”に選ばれ、オペラ通には良く知られたスイスの名門歌劇場なのだそうです。知らなかったなぁ~。
詳細はこちらのHPで。まだ余席はあるそうです。

2012年11月20日のモーツァルトハウス(東京)

哀しみはじわじわと・・・・・・

すっかりごぶさたしてしまいました。みなさまお変わりありませんか。いつの間にかあたりの風景が晩夏から秋一色へと移り変りましたね。季節のうつろいを感じます。

私共の近い友人、知人の皆様にはご心配を頂き、お優しいお言葉をたくさん頂戴いたしました入院中の私の母が11月5日に他界致しました。
秋田で長く一人暮らしをしていた母でしたが、体も弱くなり皆様のお世話になるのも限界かと思い、昨年9月に秋田から連れてきて、姉の所と私の家を時には行ったり来たりしながら元気にしていたのですが、今年の9月半ば頃から体調を崩して入院し、11月5日帰らぬ人になってしまいました。最後まで家族全員に見守られた安らかな旅立ちでした。母の入院中温かなお見舞いのお言葉をかけて下さいました方々に、心からお礼申し上げます。

地元の方々との深い関わりの中で楽しい毎日を生き、それが心の支えであり、又何より母の幸せでしたので、病院からそのまま秋田の家に連れて帰り、9日の葬式等一連を全て滞りなく済ませ、、昨日私達はようやく秋田から戻ってまいりました。
お悔みのお言葉を頂戴し、ここに改めてお礼申し上げる次第です。

危篤状態から3週間生き抜いた母でしたが、11月4日待望の「小山裕幾フルートリサイタル」に私達を行かせてくれ、翌日5日夕方4時に亡くなりました。「浜離宮朝日ホール20周年記念、世界に羽ばたく若き演奏家シリーズ」の4人の中に選ばれたバーゼル留学中の小山裕幾さんの晴れの舞台。行きたかったこのコンサートに愛好会の仲間たちと行かせてくれたのが母の最期の最高の私達へのプレゼントのように思っています。


2012年9月23日のモーツァルトハウス

バーゼルフルート・トリオコンサート 2012年9月23日(日)東御市文化会館(サンテラスホール)午後1時半開演

バーゼル音楽院で学ぶ3人の俊英たちのフルート・トリオコンサートに行って来ました。

9月29日には高野山大学での声明と、フルート・トリオの共演(世界初演作品)も見ものです。

東御市文化会館(軽井沢から車で30分程)で開かれたこのコンサート、フルート3本で演奏される珍しいコンサートです。出演者は名門スイスバーゼル音楽院で学ぶ期待の星たち。小山裕幾さん(ファーストフルート)、阿部礼奈さん、小松綾さんら素晴らしいフルーティストたちです。

3本のフルートで醸し出される音色は何とも煌びやかで美しかった。小山裕幾さんがこの日独奏で披露した超現代曲には驚きでした。たぶんめったに聴く事ができない超絶技巧の曲に思えました。小山さんのフルートはバーゼルで更に磨きがかかり、又この長期ツアーは貴重な体験となることでしょう。♡♠♤

楽屋から出てきてくれた小山さんと久しぶりに対面できました。

主催者は、バーゼル音楽院で学ぶ留学生を支援している「アヤメ基金」
このツアーは9月14日から北海道を皮切りに各地をまわり10月1日まで続きます。最終日の10月1日(月)は国立音楽大学講堂小ホールでコンサートがあります。こちらは無料で、開演は18時30分です。お時間のある方ぜひ聴きに行ってみてください。フルート・トリオコンサート、選曲も絶妙でした。国立音楽大学・バーゼル音楽院交歓演奏会もあるそうです。

2012年9月21日~22日のモーツァルトハウス
行ってきました!「湯の街ふれあい音楽祭 モーツァルト@宇奈月」

昨年、北陸新聞に掲載された音楽祭の記事の切り抜きをある知人が送ってくれたのがきっかけでこの音楽祭の存在を知りました。この街でモーツァルト「レクイエム」を指揮した横島勝人氏が「宇奈月にはモーツァルトが似合う」と言ったことからもこの音楽祭が始まっているそうです。行って、自分の目で見て、体感しないことには始まらない・・と、行ってきました!

街中がモーツァルトのメロディで溢れています。(黒部国際ホテルロビー&カフェモーツァルトの前で)

モーツァルトビール、本屋さんもモーツァルトコーナーを設けていました。

袈裟を着て説教も交えながらフルート演奏をする樹徳寺の住職さん。お寺の本堂でお経をバックにモーツァルトのディヴェルトメントK136の第2楽章を演奏しました。この音楽祭最高のハイライトでした♡♠♤


これはモーツァルトうどん。うどんの券までモーツァルトなのです。モーツァルトを聴かせて作った小麦粉で作ったものでコシがあっておいしかった。モーツァルトを聴かせて作った冨山産こしひかりのおむすび。つやがあってお米の美味しさだけで充分、おかずがいりません。

実行委員長(中央:上田さん)、カフェモーツァルトのマスター(右:能勢さん)と。全て黒部市の方々のボランテイアによる手作り音楽祭なのです。

番外編!富山といったら「ます寿し」でしょう!
美味しかった♡♠♤

期間中はホテル・旅館のロビー、街角、屋外スポットなど、様々な場所でモーツァルトが演奏され、街中にモーツァルトのメロデイが溢れるのです。各地で音楽祭が行われていますが演奏される曲がモーツァルトの曲限定というのはここ宇奈月を除いて私は知りません。

滞在したホテルでは、館内は勿論のこと、温泉の脱衣所、温泉の中、はたまた露天風呂にまでモーツァルトが流れているのには驚きでした。「黒部の山や川、温泉に、モーツァルトが響く!」まさにそんな感じです。

たくさんの出会いもありました。この音楽祭限定品として「フィガロの結婚饅頭」(皮はモーツァルトを聴かせて作ったこしひかりを使い、オーストリア貴腐ワインに漬け込んだマスカット入りという超豪華版)を精魂込めて作った「酒井菓子舗」のご主人、またフルートを吹く樹徳寺の住職さん、
それから「カフェモーツァルト」のマスター、何と27年も前から営業しているとのこ.

そしてこの音楽祭の実行委員長の上田さんにもお会いできました。「未来を担う子供たちに生の音楽に触れる喜びとともに、人と人との交流の場としての宇奈月の新しい魅力を生み出したい」と音楽祭について語ってくれました。

とろっこ電車の通る黒部の渓谷、黒部川、そして温泉、これだけでも満たされる観光地黒部宇奈月の地にモーツァルトが響く!想像しただけでも行ってみたくなりませんか?湯の街ならではの心のふれあいは、温泉と同じくあったかく、温もりがありました。

モーツァルトを愛する人に一度は体験して欲しい、そんな思いにさせられる「湯の街ふれあい音楽祭@宇奈月」、いつかご一緒にいかがですか・・・♡♠♤

2012年9月8日のモーツァルトハウス(東京)

宇奈月モーツァルト音楽祭 ~湯の街ふれあい音楽祭~ モーツァルト@宇奈月

宇奈月にはモーツァルトが似合う!日本のザルツブルク宇奈月!

宇奈月の景観がモーツァルトの生誕地ザルツブルクと似ているとして始まった「宇奈月モーツァルト音楽祭」、今年で第3回目になります。

今年は9月21日(金)の前夜祭から22日(土)、23日(日)の3日間開催されます。

宇奈月温泉にモーツァルトを愛するプロ・アマチュア演奏家が一同に会し、温泉街各所で演奏会を開催します。期間中は、街角や旅館・ホテルのロビーなど宇奈月温泉の何処に居てもモーツァルトの演奏を聴くことができます。

街あちこちでモーツァルトの音楽が演奏され、まさにその街全体が音楽で溢れるそうです。

♪開催日時♪  2012年9月22日(土)~23日(日) 10:00~21:00
           9月21日(金)17:30~ 前夜祭

♪開催場所♪  宇奈月温泉街各所

2012年8月28日~30日のモーツァルトハウス
第33回草津夏期国際音楽アカデミー&フェステイヴァル

8/17~30の期間で行われている草津音楽祭、今年は28日、29日のコンサートと、30日のスチューデントコンサートを聴くことができました。天狗山のレストハウスのショップで先ずはソフトクリームを♡♠♤

今年はモーツァルト愛好会のお仲間であるTさんご夫妻とご一緒になり、共に音楽祭を楽しむことが出来ました。

8月28日のコンサートの前に・・・コンサートホール正面で♡♠♤

28日のプログラムは室内楽、「ヴォルフガング・シュルツ フルート・リサイタルwith 吉野直子」

モーツァルトの「アダージョとロンドK617」を聴きました。この曲はグラスハーモニカの為にモーツァルトが作曲した曲ですが、グラスハーモニカのパートを吉野直子のハープで演奏。その見事なハープに聴き入ってしまいました。グラスハーモニカの透明で澄んだ音色の魅力をハープの演奏でも同じく味わうことができました。因みに、グラスハーモニカの考案者と命名者はあのベンジャミン・フランクリン、モーツァルトは、この楽器の名手だったマリア・アンナ・キルヒゲスナーの為にこの曲を作曲しました。残念ながら、この楽器は脳にダメージを与えるとして、やがて禁止されてしまう。

ハープの音色の清らかな美しさにこの曲は正にピッタリで、モーツァルトはもしかしてパープの為にこの曲を作ったのかも知れないと感じるほどでした。
観衆の誰もモーツァルトの典雅な響きに魅せられた感動の時間でした♪♪


ここはザルツブルク郊外の高原・・・・?、すっかり「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台にいる気分でした・・・・・。
(30日スチューデントコンサート終了後、芝生で)

2012年8月25日のモーツァルトハウス

毎年楽しみな極上の時間・・久能木邸・サロンコンサート

安田謙一郎:チェロ、西優樹(ゆうき):チェンバロ
 演奏曲  安田謙一郎 「無題:森の中の雨」   ヴィヴァルディ「ソナタ 6番 変ロ長調」   現代曲「飛べない鳥」   ムファット「シャコンヌ」
       J・S・バッハ「ガンバ ソナタ 2番」   グノー「アヴェ・マリア」   サンサーンス「祈り」   ヘンデル「アリオーゾ:オルガン用」
       宮城道雄「春の海」   サンサーンス「白鳥」

今年も待ちに待った久能木邸のサロンコンサートが、軽井沢の短い夏の終わりを告げる8月の末に開催されました。以前ベルリンフィルで活躍されていたチェロの名手:安田謙一郎さんと若手チェンバリスト:西優樹さんを迎えて、バッハやヴィヴァルディ他の名曲を心ゆくまで堪能しました。大きなホールで聴く様な音の響きではないのですが、目の前で演奏される楽器から直接伝わってくる深々とした音色が、心に沁みわたってくるような感じがしました。又、この日使用されたチェンバロは、フェルメールの絵画に登場する楽器に類似している「名器:ヴァ―ジナル」で、大変繊細で美しい音色を奏でていましたが、奏者の西さん曰く「温湿度に対する管理が大変で、演奏中でありながらいつもハラハラしている」とのことです。

いつもごちそうがいっぱい♡♠♤

久能木邸でのコンサートが終わる頃は、軽井沢に、秋がすぐそこに・・・・。。さァ来週は「草津音楽祭」に行って来ます♪♪

近くの万平ホテルで

2012年8月23日のモーツァルトハウス

高原のリゾートレストラン(エクシブ軽井沢:翆陽)

今日は友人ご夫妻とお約束のランチの日♡♠♤

初めてエクシブ軽井沢の中華レストランに連れて行って頂きました。広々とした敷地内に、そのお店はあります。

♪♪ゆっくりとランチとお喋りを楽しむことが出来ました。♪♪

2012年8月21日のモーツァルトハウス

おいしいケーキやさん発見♡♠♤

ブルーベリータルト

追分に出来たかわいいお店「プチ・ラパン」、国道18号線の「浅間サンライン入口」交差点を左に入って「追分教会」への道(旧中山道)のすぐ右側にあります。

お店のお隣さんのお庭には「モーツァルトのバラ?」がきれいに咲いていました♡♠♤

2012年8月20日のモーツァルトハウス
いま何かと話題になる「ハーグ国際司法裁判所」
オランダのハーグは、モーツァルトゆかりの場所でもあります。

1763年6月9日から始まったモーツァルト西方の旅、その途中の1765年秋からモーツァルト一家はこのハーグにも滞在しました。

ここでモーツァルトは音楽的な成長をし、ダカーポアリア「貞節を守って下さい」K23を作曲し、またK24、25のクラヴィーアによる変奏曲を2曲、フォン・ヴァイルブルク侯妃に献呈したハーグ・ソナタK26~31や「ガリマティアス・ムジクム」K32など、数々の有名な曲を残しています。

1946年に国際司法裁判所が設立されたこのハーグは、今ではアムステルダムとロッテルダムに次ぐ第3の都市でもあります。

「竹島問題」のニュースで、「ハーグ国際司法裁判所」の名前が流れるたびに、モーツァルトの事を思い出してしまう私であります。。。。。。。

2012年8月18日のモーツァルトハウス

モーツァルトハウスに咲く花々たち・・・・

左上から:ふしぐろせんのう、モーツァルトのバラ、おみなえし、左下から:あさまふうろ、そばな、山あじさい
特に今の時期、「ふしぐろせんのう」がきれいに咲いています♡♠♤

2012年8月17日のモーツァルトハウス

軽井沢 夏のバロックコンサート(軽井沢:大澤邸)

大澤さんはパイプオルガンを自宅に設置し、常時演奏家を招いてコンサートをされています。
その大澤邸でのコンサートに初めてお伺いしました。

まずそのパイプオルガンの大きさにびっくり!、この日は70人位の方がいらしていました。休憩時はテラスでドリンクのサービスもあり、上質な音楽サロンといった雰囲気を感じました。

この日のプログラム&演奏者プロフィール

2012年8月15日のモーツァルトハウス

指揮者・下野竜也のコンサート(軽井沢:大賀ホール)

第2回YEKアンサンブル・アカデミー 下野竜也指揮によるYEK受講生と講師陣による演奏会~未来の演奏家とプロ奏者の饗宴~

2012年08月15日[水] 開場17:30、開演18:00、終演予定20:00

出演 下野竜也(指揮)
ダニエル・ゲーデ、吉田恭子(ヴァイオリン)、
鈴木康浩(ヴィオラ)、渡部玄一(チェロ)、
YEK受講生全員

曲目 モーツァルト:ディベルティメント ニ長調
エルガー:序奏とアレグロ 作品47
ドヴォルジャーク:弦楽セレナード ホ長調

モーツァルト:ディベルティメント ニ長調K136は、YEKの受講生が第1楽章と第2楽章を指揮、第3楽章を下野竜也が指揮するという構成でした。
指揮で変わる演奏も、この日は楽しむことができました。♡♠♤

2012年8月10日のモーツァルトハウス

またまたイチゴの話し・・・・

我が家で採れたくろイチゴです。ジャムにしてみました。とってもおいしいです。ナチュラルないい香りがします♡♠♤

2012年8月9日のモーツァルトハウス
一汗かいたら温泉で・・・

温泉の後は、ロビーで新聞を読んで帰ってきます。


ボストンからのお土産を頂きました。(ボストン美術館のコレクションの絵画のマグネットです)

2012年8月8日のモーツァルトハウス

イチゴの収穫期を迎えています・・・・

えびがらイチゴ(自生でのこの種は減ってきているそうです)、くろイチゴ、どちらも採れたて食べられます。

左2枚:えびがらイチゴ、右:くろイチゴ

野生のものですので、ブルーベリーと同じく目にいい成分が入っていそうです。ジャムにしたり、ヨーグルトのトッピングにして楽しんでいます。

2012年8月6日のモーツァルトハウス(東京)

METライブビューイング 2006-2012 アンコール上映
あのマリウシュ・クヴィエチェン、モイツァ・エルドマンの「ドン・ジョヴァンニ」が再び上映されます。

昨年10月METでの「ドン・ジョヴァンニ」。主演はマリウシュ・クヴィエチェン(今や世界一のドン・ジョヴァンニ歌いといわれています)、そしてツェルリーナ役にモイツァ・エルドマン。彼女も6月に来日を果たしたばかりで、東京公演も大評判でした。そのMETでのライブビューイングが9月に東劇(銀座)でアンコール上映されます。

新国立劇場でクヴィエチェンの「ドン・ジョヴァンニ」を見損なった方、また彼のドン・ジョヴァンニ役に魅せられた方、必見です。出演はその他バルバラ・フリットリ、ラモン・ヴァルカスで、大画面で観るMETのオペラお楽しみください。


モーツァルト<ドン・ジョヴァンニ>上映時間3時間37分 指揮ファビオ・ルイージ 出演マリウシュ・クヴィエチェン、バルバラ・フリットリ、ラモン・ヴァルカス、モイツァ・エルドマン

9/8(土)・9(日)-14:45  9/10(月)・11(火)-19:00  9/12(水)~14(金)-10:30  9/25(火)-14:45

2012年8月2日のモーツァルトハウス
久しぶりにテラスで・・・・

家の中ではもっぱらロンドンオリンピック観戦・・・。大きな画面が迫力です。

夏のオリンピックではオーストリアは表彰台に上ることはないんですね。。。。残念です。なぜならば、オーストリアの国歌はモーツァルト作曲小カンタータ「我らが喜びを高らかに告げよ」K623といわれているからです。冬季オリンピックで聴くことができるといいです。
1791年11月15日、モーツァルトは死を2週間後に控えた時期にフリーメイスンの為にこのカンタータを書きました。「作品目録」に書き込まれた最後の作品。完成された最後の作品であります。

2012年8月2日のモーツァルトハウス

モーツァルトハウスの周囲には夏の草花が咲き、ベリー類が実を付けました。
ぎぼうし、おみなえし、ほたるぶくろ、ふしぐろせんのう、そばな、、、、

モーツァルトのばらもまだ健在です。

2012年8月1日のモーツァルトハウス
安曇野のバウムクーヘン

軽井沢銀座で見つけたバウムクーヘン。しっとりとして優しい上品なお味が気に入って買いました。夏限定のバージョン、レモン風味が爽やかでつい食べ過ぎてしまいます♡♠♤


2012年7月31日のモーツァルトハウス
涼しさは緑のカーテンから

モーツァルトハウスは森に囲まれています。木を最大限切らずに家を建てたからです。周りの樹木は我々の財産と考えました。そのお蔭で強い日差しが周辺の緑に遮られて涼しく過ごしています。まさに緑のカーテンのお蔭です。

待ちに待った山百合が咲きはじめました。自生の山百合です。猿やいのししなど球根を大好物とする動物がいないお蔭で、毎年こうして山百合、うば百合など、大切な自生の花がここでは楽しむことが出来ます。この環境はずっと守って行きたいですね。


2012年7月24日のモーツァルトハウス(東京)
「モーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための秘曲」~東西の名手協演の午後~

朝日カルチャー新宿校15時半~中野雄(講師)、岩田恵子(ヴァイオリン)渡邉千春(ヴィオラ)須関裕子(ピアノ)
〈プログラム〉
「ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲ト長調K423」、「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調K364」

今日は大ホールでは味わえないサロン風コンサート。
曲の美しさだけではなく、作曲技法のすごさや、曲の構造、どうやって面白くかいたかなどサロンでしか味わえないメリットを体感できました。
モーツァルトほど適正な時期に適正な教育を受けた作曲家はいないと言います。父レオポルトが1750年代から70年代にあらゆる教育を受けさせたからです。今の様に容易に情報を得られる時代ではない時代に、どこに優れた先生がいるかなどレオポルトの情報収集能力のすごさには驚きです。それ故に作曲技法に習熟していないと書くことができないこれほどの名曲を、モーツァルトは作曲できたのです。
ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲、この後だれもこの楽器を使って作曲していない。230年経っても作られていない、唯一モーツァルトが残した1曲だと言います。フルート、ファゴット、クラリネットの楽器の協奏曲も同様です。

「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調K364」
22歳のモーツァルトは、この気品のある、後世だれも書くことが出来ない秘曲を我々に残してくれたのです♪♪♪

2012年7月19日のモーツァルトハウス
モーツァルトのバラは息が長くまだ楽しめました。
この時期「おかとらのお」も咲きはじめました。いい香りがします♡♠♤

ここでは車の掃除も大事な仕事。

2012年7月16日のモーツァルトハウス

眺望のいいレストラン・ジンガラ
眼前に雄大な裾野を広げる浅間山を望みながら、イタリアンランチをいただく・・・贅沢な空間がここにあります。

今日は八ヶ岳に住む友人達と久しぶりに会って佐久にあるこのレストランでランチ♡♠♤
このお店、「モナリザがピザを食べている絵」が目印!です。休日のランチはカウンター席を狙い、開店前から行列になります。

2012年7月14日のモーツァルトハウス(東京)
モーツァルト恐るべき成長!!ハーグ(オランダ)にて・・・


海老澤敏先生の講座「モーツァルト都市巡礼」、西方への大旅行その3の今日はオランダ編。

1763年6月9日から父レオポルトの故郷アウグスブルクにまず立ち寄り始まったこの西方への旅は、およそ3年半にも及ぶ大旅行でした。ライン河を下りドイツからパリ、ロンドンを巡り、1765年秋からモーツァルト一家はオランダに滞在しました。この滞在期間について残されたものは殆どなく、従ってあまり語られることが無いそうですが、でもレオポルトがザルツブルクの家主ハーゲナウワー宛に送った3通の手紙が残されていてそこからモーツァルト一家に何が起きていたかが読み取ることができると言います。

そこで分かったことはオランダでのモーツァルトの音楽的な成長のすごさでした。ここでモーツァルトはダカーポアリア「貞節を守って下さい」K23を作曲し、ロンドンですでに「怒りのアリア」を作曲しており、オランダで「愛のアリア」という表現領域を広げていったことになります。
またK24、25のクラヴィーアによる変奏曲を2曲、フォン・ヴァイルブルク侯妃に献呈したハーグ・ソナタK26~31や「ガリマティアス・ムジクム」K32などを父レオポルトは次々とモーツァルトに書かせ、コンチェルトを除いて大部分を書かせたことになり、これは海老澤先生曰く、レオポルトの父親としての教育の成果としています。この聴きなれないタイトルの「ガリマティアス・ムジクム」K32はセレナードやデイヴェルティメントではないが、はやり歌の旋律をもつ娯楽音楽とのことで、歌も入り急・緩と続く全体的には大曲で、いくらレオポルトの教育があったとしても8歳か9歳でこの様な曲をも作曲できたというのも驚きです。

オランダではレオポルト自身の病気やナンネル、モーツァルト姉弟の病気との闘いという試練もありましたが、このような災難の中でも音楽活動としては大きな成果を残してオランダでの旅を終え、一家はパリへと向かったのです。

       ・・・・・・最近のニュース・嬉しい贈り物・・・・・・

下の写真は、学生時代の友人T君が先日「スイス・アルプス:山麓トレッキング」に行って来た際、お土産に頂いた「マッタ―ホルンのチョコレート」と氷河特急のパノラマカー車内で販売されている「傾斜グラス」です」。チョコレートはいかにもスイスらしいものですが、形が可愛らしいので食べるのがもったいないくらいです。氷河特急は登山電車なので、傾斜が付いていることが物理的な理由に思えますが、実際は関係なくこれは「鉄道会社のオシャレ」とのことらしいです・・・こういうオシャレはセンスがあって楽しいですね。

私達もスイスアルプスに滞在している気分になって、マッターホルン・チョコを食べながら、ワインを飲みたいと思います。♡♠♤

2012年7月5日のモーツァルトハウス
モーツァルト、ヴァイオリン&ヴィオラのための秘曲

先日は、ピアニストの菊池洋子さんを迎えて「モーツァルト「らしさ」とは何か・」という講座をこのページで紹介しましたが、朝日カルチャセンター新宿校では様々な魅力溢れる「音楽講座」を企画しています。

モーツァルト、ヴァイオリン&ヴィオラのための秘曲・・東西の名手共演の午後」と題して7/24(火)15:30~17:00 朝日カルチャー新宿校にて講座があります。
音楽プロデューサー中野雄氏が演奏者とのお話を交え、モーツァルト通の名曲中の名曲、「ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲ト長調K423」、「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調K364」 2曲が演奏される、またとない講座です

ヴァイオリンとヴィオラの組み合わせで、モーツァルトは3曲書き遺していますが、この3曲ともこの分野では古今無双、音楽史上比肩すべき曲は見当たりません。があまり演奏される機会がないのが実情です。(講師中野雄氏:記)

この機会を逃すことなくぜひ聴きにいらしてください。
連絡先は朝日カルチャーセンター℡:03-3344-1945、会員:3990円、一般:4620円です。

2012年7月4日のモーツァルトハウス

モーツァルトハウスはいまモーツァルトのバラが満開です・・・・♡♠♤

軽井沢は7月に入り、ようやく咲きはじめました。楽しみに待っていた開花です。

2012年7月1日のモーツァルトハウス

ダニエル・ハ-ディング大賀ホール芸術監督就任記念コンサート
ダニエル・ハ-ディング
指揮:新日本フィルハーモニー交響楽団  7月1日(日)大賀ホール;開演16時

あいにくの雨でしたが、チケットは完売。期待の高さがうかがえます。


ロビーの写真;左から大賀氏と小澤さん、ハーデイングと、そしてカラヤンと

曲目:ヴェルデイ歌劇「運命の力」序曲
     ワーグナー歌劇「タンホイザー」より序曲~ヴェヌスベルクの音楽(パリ版)
     ベートーヴェン交響曲第7番 イ長調 op.92

お隣の「東急ハーベスト」のロビーで。お庭の緑がきれいでした。

2012年6月27日のモーツァルトハウス(東京)
美味しいさくらんぼ、それは愛情の結晶・・・

村形忠悦さん「村忠果樹園」

山形県天童市の「村忠果樹園」さんで作っているさくらんぼ  とっても甘くて粒も見事としか言いようがありません。それもそのはず、丹精込めて作られた愛情の結実なのです。
より良い味,食感、色を充実させるために摘果作業や、葉つみ(実の着色と実の引き締めのため)、高所には雨除けビニールをかけ、鳥よけネット張り、地面にはシルバーシートを敷いたりと、地道な努力も。
学生時代からの友人:T君から今年も天童直送で届きました。一粒一粒味わって頂いています♡♠♤

2012年6月23日のモーツァルトハウス(東京)
モーツァルト「らしさ」とは何か・・・・
6/23(土)13:00~14:30、朝日カルチャー新宿校講座を受講して♡♠♤

ピアニストの菊池洋子さんを迎え、音楽評論家真嶋雄大氏とピアノの実演を交えて、モーツァルト「らしさ」とは何かを語り合う講座
菊池洋子さんは、2002年モーツァルト国際コンクールにおいて日本人として初めて優勝して一躍注目を集めたました。その後国内外で活発に活動を展開し、今や実力・人気ともに日本を代表するピアニストのお一人であります。

この日ははモーツァルトのピアノ・ソナタ第8番イ短調K310、ピアノ・ソナタ第11番イ長調K331「トルコ行進曲付き」、ロンドイ長調K511の3曲をフル演奏して下さいました。
その上貴重なお話もたくさんお聞きでき、また演奏もこの上なく素晴らしく、さすがに実力派で、国内外から引っ張りだこのというのも成る程と頷けました。

終了後、CDへのサイン会もあり、一流の演奏家を身近に感じることができた幸せなひと時でした。

モーツァルト・・・、他の作曲家にない特徴、それは「対話の音楽」、菊池洋子さんの言葉です

2012年6月20日のモーツァルトハウス
森の生活♡♠♤

緑が濃くなってきた軽井沢・・・・どこかしこ緑一色です。

時々枝の剪定もしています

~この日にピッタリのモーツァルト~ 
ピアノソナタ第15番 ハ長調 K545~

第2楽章のアンダンテの美しさは言葉にできない・・・。
1788年6月26日に完成しました。この日はモーツァルトの三大交響曲の一曲、第39番「変ホ長調」K543が完成した日でもあります。モーツァルトが自らが「初心者のための小ソナタ」と記しています。しかし単純・簡素な曲ながら、音楽性の質はきわめて高く、表現の多様さはモーツァルトならではの豊かさがあります。そしてどこまでも美しいメロディ。第3楽章はモーツァルトお得意の躍動感に満ちた明快なロンド・フィナーレ・・

森の中にこのメロディが流れると、緑の木々も、小鳥たちも嬉しそうに思えます♡♠♤

2012年6月20日のモーツァルトハウス

台風一過・・・・

前日は軽井沢一帯に「雷警報」「大雨警報」、更には「竜巻警報」まででました。

大変な嵐でしたが、たいした被害もなく台風は通過していきましたが、翌朝は一面落ち葉だらけに・・・.弱い桜の枝も折れてしまいました・・

 ~今とってもはまっている曲~ 
ヴァイオリンの為の中間楽章アダージョ ホ長調 K261


~この日のモーツァルト~ 

1783年6月20日
モーツァルトはこの日アリア「あなたに明かしたい」K418を完成しました

ヴァイオリンの為のアダージョK261は、1776年に作曲されたものといわれている。いつかのコンサートで、ヴァイオリニストがアンコールで弾いてくれ、初めてその時聴き好きになって曲です。うっとりするほど素敵で、オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」のアリアにどこか似ています。オランダ室内管弦楽団(レオポルド・ハーガー指揮)ヴァイオリン:ジャン・ジャック・カントロフの演奏を聴いています。

2012年6月17日のモーツァルトハウス(東京)

今日は自由学園明日館でのコンサート

敷地内には、池袋をもじって「いけふくろう」の石像が建てられています。

額縁の中での演奏会・・・そんな雰囲気を感じさせる佇まいの舞台です。

直前のリハーサル風景

梅雨のさなか、軽井沢の爽やかさをそのまま運んできてくれたような4人のカルテット(ギター、フルート、クラリネット、ヴァイオリン)そよ風を思わせる瑞々しさを私達聴衆に残して去って行きました。もう一度・・またいつか聴きたい・そんな余韻を残して終わったコンサートでした。

更に挑戦して、新たな「楽器を超えたモーツァルト第2弾!」これを聴ける日が来るのを楽しみにしています♡♠♤

2012年6月15日のモーツァルトハウス(東京)

風もの語り 2012年6月15日(金))午後2時開演/19時開演  16日(土)午後2時開演 千代田区立 内幸町ホール

今日は朗読の師匠である中村こずえ先生の朗読会がありました。

中村こずえ先生は、TOKYO FM放送の「FM歌謡バラエティ」のパーソナリティとして一世を風靡したアナウンサーです。私達の世代、特に主婦層(お昼の番組だったので、仕事のしている男性よりは)には圧倒的な人気番組で、むろん私もよく聴いたものです。先生のお声を聞くと、ラジオを聴いていた若かりし時代の自分が懐かしく思いだされます。

現在は、「ほのぼのワイド」(静岡放送)「みんなでニッポン日曜日」(全国11局ネット」・・・他でご活躍。平成22年度日本民間放送連盟賞ラジオ教養部門最優秀賞という素晴らしい賞を受賞しました。

今日の演目は、森浩美作「短い通知表」。さらっと読んでしまいそうな短編小説を先生は、笑いあり、涙ありですっかり映像化してしまうのですからさすがです。小説を読んでは涙もなんて出なかったのに、いつの間にか涙が・・・、周りでも鼻をグスグスしている人が・・・・。活字では感じない、生きた物語の世界にこの作品は生まれ変わった感じ。

読む楽しさの醍醐味はこれなのでしょうか・・・。改めて感じました。お花がいっぱい届いていました♡♠♤

2012年6月13日のモーツァルトハウス(東京)

重要文化財・・自由学園明日館(目白)でのリハーサル・・・・

梅雨の晴れ間の一日♡♠♤
今日は、6月17日(日)の「日本モーツァルト愛好会」の例会コンサートのリハーサルがありました。

会場となるホールは、羽仁吉一・もと子夫妻が創立した自由学園の校舎の向かいに建つ講堂。
「フランク・ロイド・ライト」の設計による校舎と、そのライトの設計思想を受け継いだ日本人「遠藤新」設計の講堂が並び、国の重要文化財・自由学園明日館は構成されています。

この講堂は、今ではコンサートや結婚式場など様々な活動に利用されています。

校舎 講堂

この日のリハーサル風景

会場の音響効果は抜群で、演奏する側も、聴く側もどちらも満足のいくサロン風コンサートにはぴったりのホールです。例会コンサート、いつもこういうホールでできたらいいのに・・・

当日は一般の方も3千円で聴くことができます。250人ほどの収容可能で、演奏内容も充実しています。
後半1曲目に演奏される、ギター独奏、フェルナンド・ソル作曲、オペラ「魔笛」の主題による変奏曲は、古典期ギター高峰の作品です。

オペラ「魔笛」第1幕、モノスタトス他の登場人物が歌う「おお、たえなる響き」の旋律をテーマに選び、5つの変奏曲からなり、味わい深いギターの音色を通して、まぎれもないモーツァルトのメロディーが心に沁み入ってくる名曲。

異色の楽器編成でお届けするこの日のコンサート。お時間のある方はぜひ聴きにいらして下さい♪♪♪

2012年6月10日のモーツァルトハウス(東京)

モイツァ・エルトマン ソプラノ・リサイタル 2012年6月10日(日)午後2時開演 オペラシテイ・コンサートホール

注目のソプラノ歌手モイツァ・エルトマンのリサイタル。
この日、終了後のサイン会は長蛇の列でした。

ハンブルク生まれ。2006年モーツァルトのオペラ「ツァイーデ」で、ザルツブルクにデビュー。2011年にCD「モーツァルト・ガーデン」をリリース。     歌声も素晴らしく、すらりとした長身で、とってもチャーミング、ますます将来が楽しみです。
1月のザルツブルクでの「モーツァルト週間」ではモーツァルテウム大ホールでコンサートを聴き、日本から持って行っていたCDにサインまでして頂くことが出来ました。その時の写真です。

2012年1月末:ザルツブルクのコンサートで撮った写真(髪型がこちらはアップでした)

モーツァルト仲間だけではなく、久しぶりにオペラのお友達にもお会いできて本当に楽しいひと時でした。帰りはちょっと居酒屋で、皆と美味しいビールや日本酒も頂いてご機嫌な日になりました♡♠♤

2012年6月8日のモーツァルトハウス
大賀ホールでのコンサート「モーツァル・トスーパースター」♡♠♤

永遠の大天才を、あなたのすぐそばに   軽井沢大賀ホール 2012年6月8日(金) ムージカ エマセネポー


モーツァルト、どうやったらそんな高貴な人の音楽を再現することができるのだろう。磨き抜き、たったひとつの傷もない音を、感情を込めて並べれば、たどり着ける世界なのだろうか・・・

あるとき、ふと気付いた。
モーツァルトの作った「音楽」は確かに素晴らしい。
しかしそれ以前に、音楽に大きな力を宿したモーツァルトが、その瞬間に感じ取っていた世界こそが美しいのではないか。
演奏する一瞬一瞬を直接モーツァルトの感じた世界とつなごうと努力した。

そのとき私は「天才の作品」という呪縛から解き放たれた。
モーツァルトはスーパースターとなって私の目の前にやってきたのだ。

今日私達は、モーツァルトが考えもしなかった異色の編成で、モーツァルトの音楽を使って、モーツァルトの世界へ向かう。』

     ・・・当日のプログラムより、記:小平真司さん・・・


モーツァルトが残した珠玉の名曲を「永遠の大天才を、あなたのすぐそばに」と、意欲的に演奏し続けているムージカ エマセネポーの4人の演奏家たち。
楽器編成は代わってもその美しさ、モーツァルトの素晴らしい音楽の世界は不変のものです。
6月17日(日)には、自由学園明日館において「楽器を超えたモーツァルト・・・10弦ギターが紡ぐモーツァルトの世界」と題してもう一度東京でコンサートが行われます。
必死で自分らしさとは何かを追い求め、努力を続けてこられた4人の演奏家たち・・・。待ちに待った東京公演がもうすぐです♡♠♤

2012年6月7日のモーツァルトハウス

軽井沢が美しいとき・・・

6月は軽井沢が最も美しいとき・・といわれています。それもほんの束の間・・・緑が濃くなるほんの少し前の頃。今がちょうどその美しい時期を迎えています。
6月は木々に花のつく頃でもあります。ほおの木、栃の木(マロニエ)、ひょうたん木、これらの木につく花が丁度満開でした。アカシアはもう少し先にまた、やまぼうしの花もこれからです。

直ぐ近くに小さな養蜂場があり、そこの栃の木にちょうど花が咲いていました。毎年見に行くのが楽しみな場所です。
数年前モーツァルトの旅で訪れた、パリ、マンハイムの土地で、この栃の木(マロニエ)の花を見ることが出来て、大変感激したのを覚えています。花もベニバナという濃いピンク色のもあり、そして又その木がとてつもない大木で、高くそびえた大樹にいっぱいピンクの花がたわわにぴょんぴょんと立って咲いている姿は感動的で、それ以来大好きな花になりました。

ほおの木の花はずっと上に咲いていて、下から見上げてもなかなか写真には撮りずらく、上から眺められる場所があると良いのですが・・・。

ぽつんと白く見えるのがほおの花です。

和食処「なが蔵」(追分駅近く)でランチをしました♡♠♤

2012年6月5日のモーツァルトハウス(東京)

草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバル 2012
プログラムが届きました。

今年のテーマは「C.ドビュッシーとW.A.モーツァルト」 久しぶりにモーツァルトがテーマになりました♡♡

期間:2012年8月17日(金)~30日(木) http://kusa2.jp/
ほぼ毎日モーツァルトが演奏されます。
今年のテーマについて
~2012年は近代フランス最大の作曲家ドビュッシーの生誕150周年です。一方、その誕生の年1862年からちょうど100年のときを遡る1762年には、6歳のモーツァルトが初めてウイーンを訪れ、シェーンブルン宮殿で神童としての華々しいデビューを飾りました。1世紀を隔てて並び立つこの二人の天才をテーマに、名作の数々を紹介します~。(プログラムから)

2012年6月4日のモーツァルトハウス(東京)

みちのく津軽の旅から~2泊3日の旅を終えて・・・・

モーツァルトの世界から少し離れて、みちのくを訪ねる旅にちょっと行って来ました。

青森空港に到着したのは6/1の午前9時をちょっとまわったところ。その足で縄文文化で知られる三内丸山遺跡を訪ねました。今から4500~7000年前に営まれた新石器時代の文化に、遠く悠久のロマンを感じさせます。そして次に東北の祭りを代表する「立佞武多の展示館」を見学。そのスケールと迫力にただ圧倒されるだけでした。二日目の弘前は城下町とモダンな洋館が随所に残る美しい街・・もう少し滞在したい程でした。
黒石市温湯(ぬるゆ)の津軽伝承工芸館で買い物をした時、お店のおばさんに、行く予定のなかった親戚の家(父の関係・モーツァルト好き)を聞いて、訪ね当てて会えたのには感激しました。奥入瀬経由で十和田湖に泊まった翌日は、最後の目的地「八甲田山」、新緑と残雪の絶妙なコントラストに素晴らしいの一言。

立佞武多館&三内丸山遺跡


雪解け水に咲く水芭蕉に別れを告げ、帰路につきました。♡♠♤

 ~この日のモーツァルト~ 
1774年6月4日
モーツァルトはこの日ファゴット協奏曲 変ロ長調 K191を完成しました
モーツァルトがザルツブルクに定着して宮廷音楽家としての生活を始めた年であり、様式的にも<ギャラント様式>に大きく転換した年に誕生した曲。
18歳の青年らしく明るく溌剌とした曲想の中に、レガートとスタッカートの対比、幅広い跳躍進行といったファゴットの特性を見事に織り込んだ作品として、数少ないこの分野の最高傑作に数えられている。
ミュンヘンに住むファゴット好きの音楽愛好家デュルニッツ男爵がこの作品の依頼者でないかと思われているが真偽のほどはわかっていない。
この作品を通してこの楽器を好きになった人も多いことだろう。三つの楽章全てが素敵だ。

2012年5月30日のモーツァルトハウス(東京)

吉田秀和氏死去

音楽評論家であり、文化勲章受章者の吉田秀和氏が22日に死去した。98歳だった。
東京帝国大卒業後、1946年に雑誌「音楽芸術」でモーツァルトに関する連載を執筆、評論活動を開始した。バロックから現代音楽まで幅広い分野を論じ「主題と変奏」など多くの作品を発表して、クラッシク音楽の普及に尽力した。-------
人材の育成に積極的に取り組み、48年に桐朋学園音楽部門の母体となった「子供のための音楽教室」を指揮者の故斎藤秀雄氏らと創設、指揮者の小澤征爾氏は1期生として学んだ。88年からは水戸芸術館館長に就任し、同館専属の水戸室内管弦楽団の発展にも力を注いだ。
吉田秀和氏の文章は音楽の深い知識に裏打ちされながら美しさを感じさせ、人間論に及ぶなどスケールが大きかった。
(2012.5.28(月)日本経済新聞から)

「吉田秀和さんを悼む」 音楽で日本復興信念に
堤剛・チェロ奏者・桐朋学園大学学長 (2012.5.29(火)日本経済新)

「83年にピアニストのウラジミール・ホロヴィッツが初来日した際に「ひびの入った骨董品」と率直に評された。一種伝説になっていたホロヴィッツに対して歯にきぬ着せず言えたのは先生だけだった。」とこう堤氏は書いている。

長年クラッシクを愛好してきたある知人は、今日かかってきた電話で「ショックで仕方がないです・・・」と死を悼んだ。
今月号の「レコード芸術」、「シャイーとティーレマン」が遺稿になったそうです。

2012年5月29日のモーツァルトハウス(東京)
若手演奏家の活躍・・・♡♠♤
追加公演 宮田大 チェロリサイタル 2012.5.29(火) 19時開演 浜離宮朝日ホール

プログラム
J.Sバッハ :チェロ・ソナタ第1番 ト長調 BWV1027
ベートーヴェン:チェロ・ソナタ 第3番 イ長調 Op.69
フランク:チェロ・ソナタ イ長調

宮田大さんは、BS朝日で放送されたドキュメンタリー番組「カルテットという名の青春」「小澤征爾と音楽で語った日~チェリスト宮田大・25歳~」でお馴染みの新進若手演奏家。

その番組の中では、「音」「テクニック」は完璧でありながら、真面目で優しい性格が演奏の随所に表れ、それが宮田大さんの魅力でもあるのですが、小さくまとまらず、もっと大胆に、もっと己をだすように指導されていた姿が印象に残っていました。
初日の販売でチケットは即日完売となり、今日のこの日は「追加公演」です。

番組放送からほぼ4ケ月、この日の演奏はその殻を突き破ったよう。チェロという楽器で、バッハ、ベートーヴェン、フランクという作曲家の曲を自由自在に表現していました。なにかとても大きくなった感じ。将来はどんなチェリストになって行くのだろう・・・・。

「世界に羽ばたく新進演奏家たち」-Vol.1-ひたむきに、のびやかに。注目の演奏家の「今」を聴く

このシリーズは浜離宮朝日ホール開館20周年記念公演として「-Vol.2-7/20 山根一仁 ヴァイオリン・リサイタル」「-Vol.3-11/4 小山裕幾 フルート・リサイタル」「-Vol.4-12/5 金子三勇士 ピアノ・リサイタル」と続きます。特に小山裕幾さんのリサイタルは大いに期待しています♡♠♤

若手演奏家 日本人の進出・・・♡♠♤

5/28(月)の朝刊で、エリザベート王妃国際音楽コンクールで作曲部門でグランプリを酒井健冶さんが受賞、又ヴァイオリン部門では成田達輝さんが2位というニュースが届きました。
日本人の若手演奏家の世界への進出は目覚ましいばかりです。

2012年5月24日のモーツァルトハウス
モーツァルトコンスタンツェになった日・・・♡♠♤~軽井沢の森の中で~   

撮影:軽井沢写真館


♪♪軽井沢銀座を散策しました♪♪


2012年5月23日のモーツァルトハウス
新緑の中で聴くモーツァルト・・・♡♠♤

~今とってもはまっている曲~ 
   モーツァルトの「ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲ト長調」 K423

ウィーンで新生活を始めていたモーツァルトが妻コンスタンツェを伴って故郷ザルツブルクに帰郷した際、大司教コロレードから二重奏曲6曲を依頼されていたかつての同僚ミヘヤエル・ハイドンが当時病気で4曲しか作曲できなかったのを、モーツァルトが代わりに、このK423とK424を作曲し急場を救ったと伝えられています。1783年7月~10月の間にザルツブルクで作曲されました。ハイドンはこの作品を高く評価し、生涯宝物としこの総譜を大切にしていたという。
ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲(1番)ト長調 K423と、ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲(2番)変ロ長調 K424、二つの楽器の音色の違いや音域の差が逆に協奏曲効果や絶妙な調和を生み出していて、この2曲はどちらも1度聴くと、その渋い味わいに酔ってしまう。♡♠♤


この帰郷のもう一つの目的であるミサ曲「ハ短調ミサ」は10月26日に聖ペーター教会で演奏され、コンスタンツェはソプラノの一つをうけもって歌いました。

敷地内では、ツツジ、ヤマブキ、芝桜のお花が満開でした


2012年5月22日のモーツァルトハウス

行列ができるというお店・・・♡♠♤

雨上がりのなか、久しぶりに行って来ました。

デザートがあまずっぱくて美味でした!

庭に咲くサクラソウ・イチゴの花・ヤマブキ


2012年5月21日のモーツァルトハウス

軽井沢の新緑・・・♡♠♤


玄関の黒船つつじがちょうど満開でした

この日朝には日本列島広い地域で「金環日蝕」がみられました。仙台から部分蝕の写真が届きました。

photo by shinichi tagaya

2012年5月19日のモーツァルトハウス(東京)

マカロンはパリの貴婦人のよう・・・♡♠♤

JEAN-PAUL HEVIN と PIERRE HERME のマカロンを食べ比べてみました。どちらもパリのお店です。伊勢丹新宿店の地下食料品売り場で買うことができます。ケーキはちょっと苦手・・となりつつある我等シニア世代にはぴったりのお菓子♡♠♤サイズも丁度です。

こちらもはまっています。たねやの「よもぎ餅」♡♠♤季節の「稚鮎」も一緒に買って来ました。

お菓子だけではなく、今とってもはまっている曲、
   モーツァルトの「弦楽四重奏曲変ホ長調」 第7番 K160

〈ミラノ四重奏曲〉を締めくくる最後の曲。1773年の初め、ミラノで完成されました。モーツァルト17歳の時の作品です。明るい響きが気に入っています。弦楽四重奏曲というとモーツァルトの場合よく「ハイドンセット」が注目されがちですが、10代の頃のこんな曲も大好きです。

イタリアで作曲されたせいもあるのか、「イタリア弦楽四重奏団」のCDがお勧めです。♡♠♤

2012年5月16日のモーツァルトハウス(東京)

モーツァルトの調べに映しだされて・・・

夕方、吹き抜け上部にあるロフトの窓から夕日が差し込み、窓ガラスを通して外部の手摺まで東側の壁に映し出されました。吹き抜けになっているリビングの壁に、まるで窓があるみたいです・・・。
~今日はモーツァルトが弦楽四重奏曲K516を作曲した日~

幻想的な春の夕暮れでした。K516を聴きながら・・・

2012年5月14日のモーツァルトハウス(東京)

楽器を超えたモーツアルト・・・・
  モーツァルトをより近くに♪♪♪ 
「ムージカ エマセネポー」

軽井沢で音楽活動を続けている演奏家たち 「ムージカ エマセネポー」
クラリネット、ヴァイオリン、フルート、そして10弦ギターという異色のアナンブルです。地域で活動している為、本来の楽器編成ができないハンディーをハンディともせず、モーツァルトの音楽を身近に・・・という思いと、そして何より、本来のモーツァルトの音楽の良さは損なわない事を大事にしながら、アンサンブル活動を続けている人達です。


2012年6月8日(金)には大賀ホールで、また6月17日(日)には、日本モーツァルト愛好会6月例会として明日館(目白)でコンサートが行われます。


詳しくは、大賀ホール、明日館のHPで

音楽に常に情熱を傾けて活動している4人の「楽器を超えたモーツァルト」ぜひ聴きにいらしてください。

2012年5月13日のモーツァルトハウス(東京)

5月の第二日曜日は日本では「母の日」♠♤

プレゼントは
お花&JEAN-PAUL HEVIN (PARIS)
♡♠♤


風薫る五月晴れの爽やかな一日でした

2012年5月11日のモーツァルトハウス(東京)

♪ジャン=ジャック・ルソー生誕300年祝年記念公演
    「ルソーとモーツァルトの競演」 2012年5月11日(金)18時30分開演 武蔵野市民文化会館小ホール

J.=J.ルソーの牧歌劇《村の占師》 & W.A.モーツァルトのジングシュピール《バスティアンとバスティエンヌ》

2012年は18世紀フランス語圏における思想家の巨人ジャン=ジャック・ルソーの生誕300年。
この日は「日本モーツアルト研究所」主催「ルソーとモーツァルトの競演」が武蔵野市民文化会館小ホールでありました。
海老澤敏先生はモーツァルト研究家でもありますが、ルソーの研究家でもあります。

先生が所長を務める「日本モーツァルト研究所」がいくつもの点でモーツァルトの芸術とも深いつながりをもつこの思想家の音楽活動の中でとりわけ直接に関係しあう牧歌劇<村の占師>とモーツァルトのジングシュピール<バステイアンとバスティエンヌ>の同時上演を試み企画しました。

ルソーの「村の占師」のパリでの初演から15年後、ドイツ語に訳されたこのオペラを、12歳のモーツァルトはジングシュピール《バスティアンとバスティエンヌ》というドイツ語オペラとして試みたのです。このふたつのオペラを同時に聴くことが出来るのは極めて貴重な体験となりました。チケットは完売。この機会を見逃すまいと、特にオペラ関係の音楽家もたくさんお見えでした。


付近は武蔵野の面影があり緑が多く、心なしか空気も新鮮で、ホールまでの道では、思わず新緑の美しさに目も奪われます。
白いつつじがちょうどきれいでした。

2012年5月5日のモーツァルトハウス

軽井沢の新緑は、日に日に芽吹いていくのが分かります。森の息吹を感じます。
雨も良く降ったし、気温も少しづつ上昇してきているし、これから本格的な新緑の季節を迎えます。

リビングの窓から良く見えた桜の木。きれいでした。

2012年5月5日のモーツァルトハウス

モーツァルトさんがリビングに?!・・・・♡♠♤

ウイーンやザルツブルクで買ってきたモーツァルトさん。またグッズが少し増えました。

2012年5月4日のモーツァルトハウス
春は駆け足です・・・・♡♠♤
新緑がこんなに進みました。


毛虫の巣の退治に一生懸命です。

2012年5月4日のモーツァルトハウス
到来物の玉三郎(和製グレープフルーツ)が届きました。

ぼんたんの木になる美味しい和製のグレープフルーツを頂きました。香りよし、とてもジューシーで、そのフレッシュな甘さは朝食にピッタリです!

2012年5月3日のモーツァルトハウス

「リゾートコンサート イン 軽井沢」(軽井沢旧三笠ホテル)を聴きに行きました。演奏はムジカ・エマセネポー。

旧三笠ホテルは、設計・施工が日本人の手による明治後期の初めての純西洋風木造ホテル。
最初の持ち主は日本郵船と明治製菓の重役である実業家の山本直良で、その後日本長期信用銀行に渡り、軽井沢町に贈与された建物です。現在は国の重要文化財となっています。今日のリゾートコンサートは軽井沢町の教育委員会主催です。


演奏はホテルのロビーで行われました。
タイトルは「モーツァルト・スーパースター 永遠の大天才をあなたのすぐそばに・・・」
地元の4人の演奏家による、とても素敵なコンサートでした。

お昼は近くの「三笠茶屋」でとろろそばと鴨蕎麦を頂きました。


帰りは白糸の滝に寄って・・・

2012年5月1日のモーツァルトハウス
軽井沢は丁度今桜が見ごろで、それはそれはきれいでした。
どこかしこ桜が満開で、特にここ御代田は桜の木が多い所で、色いろな所で花見ができて幸せでした。





桜色のじゅうたんみたい・・・


2012年4月29日のモーツァルトハウス

ゴールデンウイークの始まりです・・・・♡♠♤

いよいよゴールデンウイーク、久しぶりに軽井沢に行きました。

まだ新芽はこんなもので、新緑はまだ先ですね。


枯れ枝を切って焚き木を作りました。


大賀ホールでの「春の音楽祭」は今年も充実しています

2012年4月24日のモーツァルトハウス(東京)

待ちに待った新国立劇場「ドン・ジョヴァンニ」

主役のマリウシュ・クヴィェチェンは、昨年メトロポリタン歌劇場での「ドン・シジョヴァンニ」で大好評を博し、今や世界一のドン・ジョヴァンニ歌いと言われるほど。そのスターが今度は日本の舞台でその素晴らしさを披露してくれます。期待に胸を膨らませ、出かけました。
期待通り、いやそれ以上に若き躍動感あふれる見事な舞台でした。テノールのドン・オッターヴィオ以外は歌手陣も粒ぞろいで、また演出、舞台美術も文句の付けどころがなく心から楽しめました。こんな「ドン・ジョヴァンニ」なら何度でも観たいと思わせる舞台でした。♡♠♤

2012年4月8日のモーツァルトハウス(東京)
春限定の和菓子を見つけました。

どこのお店のお菓子かは忘れてしまいましたが、伊勢丹新宿店、地下の売り場で見つけました。桜の季節限定だそうです。牛皮と小豆がとてもマッチして桜の香りもしておいしかった。春の味がしました

2012年4月4日のモーツァルトハウス(東京)
スカイツリーを眺めながらのお花見を楽しみました。


色とりどりの春の花が川べりに咲いていました。

長命寺の桜もちは有名で、今日もお客さんが並んで買っていました。ここ長命寺の桜もち「山本や」さんの2階を、正岡子規が3ケ月ばかり借りて住んでいたことでも有名ですね。


お寺さんと、桜とスカイツリー、最高の組み合わせで、きれいでした。♡♠♤


2012年3月22日のモーツァルトハウス(東京)
春の訪れを感じながら・・・・♡♠♤

近くの善福寺川沿いをぶらぶら散策しました。

昭和初期風近代建築の中学・高校の建物。レトロな感じがして好きです。

こちらは厄除け祖師で有名な妙法寺さん、堂々とした佇まいで立派です。

2012年3月18日のモーツァルトハウス(東京)

岩手の郷愁~光心とその門下生の日本画展・・・・♡♠♤会場横浜市神奈川区民文化センターかなっくホール

今日は素敵な絵の鑑賞に横浜に行って来ました。

東日本大震災被災地岩手県ご出身の日本画家の山﨑光心さんはアトリエ 花の実の主宰者でいらっしゃいます。その光心さんとその門下生の日本画展にお邪魔しました。今回の津波に濡れた絵も展示されていました。

光心さん、小倉無心さんの絵の前で、主宰者・光心さんと・・・

どれもこれも素敵な作品で、とってもあたたかな気持ちにさせられ、心が洗われるようでした。本当に幸せなひと時でした。♡♠♤

2012年2月19日のモーツァルトハウス(東京)

スイス航空を利用したので、初めてチューリッヒ空港を経由しました。とてもきれいな空港で、本当はチューリッヒ歌劇場でオペラでも観ることができたら最高だったのですが、残念ながら経由だけなので、空港のショップでスイスチョコを買いました。

SPRUNGLIというお店の人気のチョコです。ショップもとてもおしゃれでした。

2012年2月16日のモーツァルトハウス(東京)
阿佐ヶ谷「うさぎや」さんの和菓子

最近阿佐ヶ谷に出かける日が多くなりました。渋谷-阿佐ヶ谷を都バスが運行していて「堀ノ内2丁目」のバス停は家から近いので、阿佐ヶ谷にはこのバスをよく利用します。

「うさぎや」さんは阿佐ヶ谷駅の大きな通りから小路を入って行きますが、入り口も狭く小さなお店なのですが、いつも人が大勢入っていて、外までお客さんが並んで居ることもこともしばしばです。
このお店はどら焼きが有名ですが、売り切れの事が多く、この日もどら焼きはもうなくなっていたのでおまんじゅうにしました。可愛いうさぎ饅頭です。しっとりとして優しいお味のあんこで美味しかったです。


2012年2月11日のモーツァルトハウス(東京)

ウイーンのお土産は「ザッハートルテ」。
今までホテルザッハやデメルのは知っていましたが、今回インペリアルホテルのザッハートルテがお薦めと教えてもらい、早速買ってきました。
さすがの上品なお味に大満足でした。
ショップに入るホテルの入り口は超格式あるホテルなだけにいちいちドアマンが開けてくれるのですが、足を踏み入れるのにも緊張しました。
世界のVIP、日本の皇室の方々のホテルにもなっています。

旅先ウイーンで買ってきた、インペリアルホテルの「ザッハートルテ」
甘すぎず、上品な甘さは日本人好み!
赤ワインともぴったりで、今日は二人ともご機嫌です。


2012年2月5日のモーツァルトハウス(東京)

帰国早々「日本音楽コンクール80周年ガラコンサート」へ

この日は、渋谷のNHKホールで黒柳徹子さん&池辺晋一郎さんの司会で、歴代の「日本音楽コンクール」の受賞者による記念のコンサートがありました。2日間に渡って行われ、今日はその2日目です。
今朝成田に到着し、ちょっと自宅で一休みしてコンサート会場へ向かいました。
昨年12月にモーツァルト愛好会にご出演頂いた大江馨さんもいらしていて、終了後は小山裕幾さんの楽屋に連れて行って下さったのでお二人のツーショットを撮りました。将来世界に羽ばたく立派な演奏家に育つ大きな可能性を持ったお二人です。これからずーと注目していきますので、頑張って下さい!

フルートの小山裕幾さんは現在バーゼル音楽院に留学中、大江馨さんは慶應義塾大学付属高校からこの春慶應義塾大学に進まれます。


2012年1月25日のモーツァルトハウス(東京)

明日出発!!
モーツァルト紀行
「ザルツブルク・モーツァルト週間」&ウィーン&プラハ11日間

真白い富士山も毎日見られます

ここ数日東京も中央ヨーロッパ並みの寒さ、また珍しく雪まで降っています。旅先での体験を予行練習している感じがします。
いよいよ明日から11日間のウィーン、ザルツブルク、プラハの旅に出掛けます。モーツァルトの生誕地ザルツブルクでモーツァルトのお誕生日の1月27日をはさんで開催される「モーツアルト週間」。さまざまなコンサートやオペラが祝祭劇場や、モーツァルト劇場、またモーツァテウム大ホールでおこなわれるのです。
ウィーンでオペラ「魔笛」やプラハで「フィガロの結婚」を鑑賞するおまけつきです。

いまパッキングの最中です。

真冬の衣類はかさばります。その上殆ど毎晩のようにコンサートやオペラ鑑賞があるので、ドレスやスーツ類でスーツケースの荷物も大変なものです。一日プラハで夜が空いているだけで、連日多い時は一日昼、夜2公演を鑑賞する超過激スケジュールです。
今回私達は「モーツアルト愛好会」のお仲間大勢とご一緒です。きっと楽しい旅になるでしょう!

我が家の幸福の木ももうすぐ花が咲きそうです。陽当たりがいいせいか今年はいつもより早いです。
留守中に咲いてのきっといい香りをただよわせることでしょう!♡♠♤

2012年1月14日のモーツァルトハウス(東京)
2012年幕開け!「日本モーツァルト愛好会」新春例会&新年会

今日は新年初の愛好会の例会の日。お天気も幸いそれにふさわしく、風もなく穏やかな晴天です。
会場はルーテル市ヶ谷センター、そして新年会は近くのホテルグランドヒル市ヶ谷。

2006年から毎年行き始めて楽しみにしている音楽祭があります。その「リゾナーレ音楽祭」の演奏者、プログラムの充実ぶりは素晴らしく、毎回最高の音楽を聴衆の私達に届けてくれています。その音楽祭の音楽監督が岡山潔先生であります。

いつかわが愛好会の例会にご出演して頂きたく願っていましたが、やっと今日この日実現することになりました。

ご出演のメンバーは「岡山 潔 弦楽四重奏団」&川崎和憲(ヴィオラ)。日本を代表する演奏家の方たちばかりです。

1.弦楽四重奏曲「狩」K458
2.弦楽五重奏曲K515
3.弦楽五重奏曲K516

モーツァルトを知る者にとっては垂涎の演目をこのような素晴らしい演奏家の方々に演奏して頂き、心から幸せを感じたひと時でした。
一音一音聴きもらすまいとする聴衆と、渾身の演奏をされる演奏家と一体となる緊張感。。。。この場に居た者だけが得られる幸福感を体験しました。

新年会風景

この後行われた新年会も、極上の音楽に皆の心も浄化されて、頬も上気し、笑顔、笑顔の新年会となりました。
今年はきっと佳い年になりましように♡♠♤

 ~この日のモーツァルト~ 
1785年1月14日この日モーツァルトは弦楽四重奏曲「不協和音」K465を作曲しました
ハイドンに捧げた「ハイドン四重奏曲」の6曲目。『不協和音』の呼び名は曲の第一楽章の序奏のハーモニーとその進行が、当時の聴衆たちに与えた驚きと疑念に由来しているが、内容的には限りない深みと壮麗さを誇っている。また第2楽章「アンダンテ・カンタービレ」等にはこれまでの作品にはない成熟した味わいがあり、叙情的な温かさ、深みと言ったものも感じられてことのほか魅力的な作品である。

2012年1月7日のモーツァルトハウス(東京)


テラスからの今朝の富士山

湯島天神へ初詣


皆が幸せを感じる年になるといいですね。。

帰りはこんなお土産も・・・・・・

2012年1月3日のモーツァルトハウス(東京)

KIZUNA~皆様にいっぱい幸せがあります様に!!

プラハのモーツァルト

♡♠♤今年もモーツァルトと共にたのしいことがたくさんあります様に♡♠♤

2011年12月26日のモーツァルトハウス(東京)

期待のヴァイオリン、輝く新星!!

慶應高校・大学に続く銀杏並木(日吉)


大江馨さんは現在慶応義塾高校3年生、来年は慶應義塾大学法学部に進学される将来有望なヴァイオリニストです。日本学生音楽コンクール全国大会高校の部で1位という輝かしい経歴の持ち主でもあります。

今日はその大江さんが、「慶応義塾高校 ワグネルソサイエティ クリスマスコンサート」でメンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」のソリストとして舞台に立たれるので、私達愛好会の仲間たちは、そのコンサートを聴きに日吉のコンサートホールに行って来ました。
学舎へと続く銀杏並木は、青空に美しく映えていました。この並木道の右手に立派なコンサートホールがあります。

当日のプログラム&大江馨さんを囲んで


大江さんは、礼儀正しくその誠実で純粋なお人柄も大きな魅力です。

高校生活の最後となるオーケストラとの共演について、高校の友達皆と指揮の田中先生の御指導の元共演出来,勉強にもなり,楽しい思い出になったとご自身おっしゃっています。

卒業記念にこんなにも素敵な思い出が出来た大江さん、本当にお幸せですね!でもそれは大江さんの才能であり、実力があってのことなのですから、充分それを誇りに思って、これからもご自身の道を更に邁進して頂きたいですネ。これからも注目していますよ!!

日本モーツアルト愛好会では、このようなモーツアルトを愛好する若手音楽家に演奏の場を提供し、大きく成長して頂く支援になればと「モーツァルトを愛好する若手演奏家シリーズ」を新設し、例会で演奏して頂くことにしました。その記念すべき第1回目にご出演されたのが大江馨さんでした。

12月18日(日)光が丘美術館での第386回例会の様子です。


2011年12月5日のモーツァルトハウス(東京)

220年前の1791年12月5日午前零時55分にモーツァルトは息をひきとりました。
今日はモーツァルトの命日 
    良く晴れた朝には澄んだ空に富士山の姿がきれいに見えます。

2011年11月24日のモーツァルトハウス(東京)

「モーツアルトの顔」日本初公開!ランゲ作:モーツァルトの肖像画

第一生命110周年記念:モーツァルテウム財団コレクション

今日は最終日、海老澤先生もお見えになっていて、初来日となったランゲの絵やいくつかのコレクションを解説して頂けたので、本当にラッキーでした。


2011年11月22日のモーツァルトハウス(東京)

海老澤敏先生の傘寿をお祝いする会♡♠♤ ホテルニューオータニ「鶴の間」

海老澤先生は、2007年に「文化功労者」として顕彰されました。これは西洋音楽研究を専門とする音楽学者としては初めてのことでした。
その先生が11月22日に傘寿を迎えられました。そのお目出度いお祝いの会に出席することが出来ました。

お祝いに集まった300人もの大勢の方々が見守る中、会場となった「鶴の間」へ、先生はバレリーナの美しい踊りに導かれるように、そしてモーツァルトのヴァイオリンソナタの音楽が奏でられる中ご入場となりました。終始華やかなムードでした。


当日の記念品『海老澤敏先生傘寿記念論文集』&『モーツァルトの虚実:海老澤敏著(ぺりかん社)』


2011年11月20日のモーツァルトハウス(東京)
再起不能の病床につくモーツァルト・・・・1791年11月20日

「モーツァルトの生涯」海老澤敏著から

「主治医クロセット博士の手当てを受けて小康を取り戻したモーツァルトは、11月18日、フリーメイスン結社の分団<ツア・ノイゲクレーンテン・ホフヌング>の新会堂の献堂式で、「小カンタータ<われらが喜びを高らかに告げよ〉K623」を自ら指揮してみせるのであった。この作品はモーツァルトがその「全自作品目録」に記録した最後の作品に当たるものである。すなわち、モーツァルトが確固とした意識をもって完成した一番最後の曲である。
・・・・・・・
だが、そのモーツァルトが病床に臥したのは、おそらくは翌々20日のことであった。28日、トーマス・フランツ・クロセット博士のほかにマティーアス・エードラー・ファン・ザラーバ博士が対診の相手となった。病気は一進一退をくりかえしながら、次第に重くなっていった。
・・・・・・・・・

こうしてモーツァルトが最期の息を引き取ったのは、1791年12月5日午前零時55分であった。


2011年11月18日のモーツァルトハウス(東京)

死の直前に完成させた最後の曲
「フリーメイスン・カンタータ」
<われらが喜びを高らかに告げよK623>


1791年、モーツァルトは人生の締めくくりとして残した曲は?

モーツァルトが自分の作品目録に書き入れた最後の曲は、この小カンタータで1791年11月15日の日付になっています。
死の床につくわずか2日前の11月18日にモーツァルト自らの指揮で初演されています。そしてこの後3週間も経たない12月5日早朝とうとう息を引き取ることになるのです。

作詞は「魔笛」の台本作家シカネーダー。善行、忠誠、協和といった結社フリーメイソンの基本精神を晴れやかな喜びと共に確認し合うメロディはオペラ「魔笛」のそれを要約したものとも受け取れるし、音楽自体も、優れた作曲家として最後に到達した高みとも思える。

あまり演奏される機会の少ない曲ではあるが、静謐な響きの世界が反映された、モーツァルトの白鳥の歌と呼ぶべき作品に思えてなりません。

2011年11月9日のモーツァルトハウス(東京)

「長くつらい労苦の結実」ハイドン四重奏曲!

 ~この日のモーツァルト~ 
1784年11月9日
この日モーツァルトは弦楽四重奏曲第17番変ロ長調「狩」K458を作曲しました
ハイドンに献呈された6曲からなる「ハイドン・セット」の第4曲がこの曲である。モーツアルトはハイドンを自宅に招いて披露している。その場に居合わせた父レオポルトに向かってハイドンは「ご子息は優れたセンスともっとも奥深い作曲技法をお持ちです」と絶賛している。またモーツァルトの友人で、コントラバス奏者のストーレス家の集いではハイドンが第一ヴァイオリン、モーツァルトがヴィオラを弾いて楽しんだそうである。「狩り」のニックネームはモーツァルトの命名ではなく、第1楽章冒頭の主題が賑やかな狩りの音楽を思わせるところからつけられたものだが、確かに室内楽とは思えないファンファーレを聴くかのような華やかさがあり、晴れやかである。


2011年11月6日のモーツァルトハウス(東京)

2011/11/6(日)14:00 王子ホール

「天上の音楽 モーツァルトフルート四重奏の夕べ」

小池郁江(フルート)
篠原智子、及川博史(ヴァイオリン)
村田恵子(ヴィオラ)
森山遼介(チェロ)

モーツァルト:フルート四重奏曲 第1番 ニ長調 K285
      :フルート四重奏曲 第4番 イ長調 K298 
      :フルート四重奏曲 第19番 ハ長調 K465 「不協和音」


王子ホールのロビーにショップがあり、色いろな音楽グッズを売っていました。その中に素敵なモーツァルトカレンダーがありました。♡♠♤

2011年10月29日のモーツァルトハウス
玄関には秋色がいっぱい!!

玄関に秋色の植物を飾ってみました。赤。黄、橙、紫も・・・・。

 ~この日のモーツァルト~ 
1787年10月29日
この日モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」が初演されました
序曲をようやく前日に完成させたモーツァルトは、1787年10月29日、プラハ劇場(現在のスタヴォフスケー劇場)で初演を迎えた。この初演は大成功で、「フィガロ」と同様プラハを湧きたたせた。「フィガロ」でこの作曲者に心酔していたプラハの聴衆はこの新作に対しても初めから大きな期待を寄せ、自身指揮をするモーツァルトが管弦楽のなかに現れたとき既にたいへんな拍手をもって彼を迎えた。モーツァルトは曲に対しても、あるいはまた歌手たちにも相当な不安を抱いていた。が結果はかつてプラハにおいて上演された最もすぐれた歌劇とまで賞讃されたのである。
今でも、プラハは「ドン・ジョヴァンニ」の初演の街として有名であり、又それが、プラハ市民の大きな誇りなのではないだろうか。


2011年10月28日のモーツァルトハウス
イチゴの白い花が咲いていました♡♠♤

寒さの中でもけなげに咲いて、可愛い白いお花です・・・・・

 ~この日のモーツァルト~ 
1787年10月28日
この日モーツァルトはオペラ「ドン・ジョヴァンニ」を完成させました。
ダ・ポンテ三部作の一つ。作曲はその年の夏までに大半をすませ、9月の上旬には未完の草稿をたずさえてモーツァルトは2度目のプラハへの旅に出かけた。メーリケ(1804-1875)が、2ヵ年をついやして書きあげた彼の最後の作品である美しい短篇小説「旅の日のモーツァルト」は、この旅行を素材としたものである。プラハに着いたモーツァルトはボンディーニの手厚いもてなしを受け、ドゥシェック夫妻からは郊外の立派な別荘ヴィラ・ベルトラムカを提供され、まったく恵まれた環境のなかにこの新作を完成した。
 序曲だけは、初演の前々日27日から28日へかけての一夜に作曲されたと言われている。傍らに妻を侍らせてポンチを作らせたり、お伽噺をさせたりして笑い興じながら筆をすすめたが、居眠りのためにとかく仕事は停滞しがちであった。しかたなしにコンスタンツェは1時間後に起す約束でモーツァルトを眠らせたが、彼のあまりの熟睡に、起したのは2時間後、朝の5時であった。それにもかかわらず朝7時に訪れた写譜係は、完成した序曲をまちがいなく受けとることができた、と伝えられている。
 こうして完成された「ドン・ジョヴァンニ」はともかく29日の初演にもちこむことができたのです。

2011年10月26日のモーツァルトハウス
ベーコン、生ハム、フェインコスト・メッツゲライ(ピザパテ)・・・どれもみんな美味しい!!

片山肉店は1972年の3月 浅間山麓の小さな町に開店したお店です。軽井沢から車で10分ほどのお隣御代田町馬瀬口という所にあります。
2005年、ドイツ国際コンクールSUFFAで地元産の豚肉と牛肉を使ったこのお店ののハム・ソーセージが金、銀、銅、合わせて15個のメダルを獲得しました。


いつもおいしいお肉を提供してくれる信頼できるお店として、利用させて頂いています。♡♠♤

見事なこの牛肉、しゃぶしゃぶ用です。


2011年10月24日のモーツァルトハウス

秋色が濃くなっていました。久しぶりの軽井沢はすっかり秋でした!

温泉から見た浅間山

 ~この日のモーツァルト~ 
1772年10月24日
この日モーツァルトは第3回イタリア旅行に出発しました。
1772年10月24日、モーツァルト父子は第3回イタリア旅行に出た。ザルツブルクに帰郷するのは翌1773年3月13日になる。この旅行中に「ミラノ四重奏曲」と呼ばれている6曲の弦楽四重奏曲が書かれた。 これらの自筆譜は1冊にまとめられ、出版するつもりがあったようであるが、実現はしなかったのです。又、ミラノでは「ルーチョ・シッラ K135」が上演されました。ミラノ滞在中にモーツァルトはカストラートのソプラノ歌手「ラウッツィーニ」のために1曲のモテットを作曲しました。それが「エクスルターテ・ユビラーテ(踊れ・喜べ・汝幸いなる魂よ)K165」である。

1772年10月28日付、 レオポルトから妻マリア・アンナへ:ボーツェンにて
私の健康は目下のところ(おかげさまで)、一見するところのいつもの不節制にもかかわらず、またかなりきちんとしてきました。
私の健康のために旅行が必要だったら、飛脚の勤め口でも見つける努力をしなくてはなりません。それとも、せめて駅馬車の御者にならなけりゃなりません。ヴォルフガングもまた達者です。あの子は今、退屈なので四重奏曲を書いています。あの子はみなさんによろしくと言っています。

2011年10月19日のモーツァルトハウス
2011年10月19日(水) 19:00
浜離宮朝日ホール


白井篤 ヴァイオリン・リサイタル
白井篤(ヴァイオリン)、大須賀恵里(ピアノ)

J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンの為のパルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004、ほか



昨年愛好会の例会にご出演頂いた白井篤さんのリサイタル。ピアノも長年コンビを組んでいる大須賀恵里さん。

とってもいいコンサートでした。白井篤(ヴァイオリン)と大須賀恵里(ピアノ)の息もぴったりの完成された音楽でした。
無伴奏ヴァイオリンの為のパルティータ 第2番は魂のこもった素晴らしい演奏でした!!。

2011年10月16日のモーツァルトハウス(東京)


 ~この日のモーツァルト~ 
1784年10月16日
この日モーツァルトはピアノ四重奏曲 第一番 ト短調 K478を作曲しました。
この曲は、1785年10月16日にウィーンでオペラ『フィガロの結婚』の創作の合間をぬって作曲され、同年の12月にウィーンのホフマイスターから出版されました。モーツァルトは最初、出版社側から3曲のピアノ四重奏曲を作曲してほしいという依頼を受けた。アマチュアが家庭で演奏する音楽を出版し、ひと稼ぎしようという目論見でホフマイスターが依頼したものであった。完成後、第1番を受け取った出版社側から「一般大衆には受け入れにくい難解な作品であり、誰も買おうとしないだろう」という苦情を呈したため、モーツァルトはその契約の継続を自ら解除し、連作の作曲を断念した。結果的に、第2番は別の出版社アルタリアから出版され、第3作目のピアノ四重奏曲は作曲されることのないままに終わってしまった。


2011年10月14日のモーツァルトハウス(東京)


 ~この日のモーツァルト~ 
1784年10月14日
この日モーツァルトはピアノソナタ 第14番 ハ短調 K457を作曲しました。 
モーツァルトが作った短調のピアノソナタは、イ短調のピアノソナタ第8番とこの作品のみである。このソナタはモーツァルトのピアノソナタの中で最も激しく劇的な展開を見せており、初期のベートーヴェンに強い影響を与えたと言われる。1784年にウィーンで作曲され、翌1785年に幻想曲ハ短調(K.475)と共に「ピアノフォルテのための幻想曲とソナタ」として出版された。両曲は続けて演奏されることも多い。2曲はモーツァルトのピアノの弟子だったテレーゼ・フォン・トラットナー夫人に献呈された

2011年10月5日~10月7日のモーツァルトハウス(北杜市:小淵沢町)

八ヶ岳リゾナー音楽祭、今年も楽しんできました!

2011年軽井沢(及び周辺/草津・八ヶ岳)音楽祭めぐりをご参照ください。



2011年10月3日のモーツァルトハウス
軽井沢にも秋の訪れが!

今年はつり花がいっぱいつきました。

 ~2011年10月3日の朝日新聞朝刊から

「はじめてのモーツァルト」という記事が載っていました。

面白かったのは数学者の秋山仁氏の「どこか寅さんに似ている」と言うところ。

「明るさの中に、ふと寂しい表情をのぞかせる。ひとを愛する天才で、常に人を喜ばせることを考えていた。そうでなければ、数百年も愛され続ける曲なんて書けるはずがない。
シンプルで美しい真実ほど生き残る。そう証明したのが数学ではピタゴラスであり、音楽ではモーツァルトだった。俳句や短歌にも通じる世界。」

名物記者と言われる吉田純子さんは、
「個性や斬新さを主張しないところにこそ、真に非凡なものが宿る。これもまた、自然の摂理なのかもしれない。」と、このモーツァルトの記事を結んでいる。

2011年9月27日のモーツァルトハウス(東京)
辻井伸行 with 井上道義 & オーケストラ・アンサンブル金沢


[出演]
辻井伸行(Pf)、井上道義(Cond)、オーケストラ・アンサンブル金沢

[曲目]
・モーツァルト:セレナード第13番ト長調K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
・ピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467
・交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」

[アンコール]
・モーツァルト:トルコ行進曲
・辻井伸行:コルトナの朝

2011年9月28日のモーツァルトハウス(東京)
辻井伸行 with 井上道義 & オーケストラ・アンサンブル金沢
[出演]
辻井伸行(Pf)、井上道義(Cond)、オーケストラ・アンサンブル金沢

[曲目]
・モーツァルト:ディヴェルティメント ニ長調K.136
・ピアノ協奏曲第26番ニ長調K.537 「戴冠式」
・交響曲第40番ト短調K.550

[アンコール]
・モーツァルト:トルコ行進曲
・辻井伸行:それでも、生きてゆく
・ハイドン:セレナーデ

2011年9月23日のモーツァルトハウス(東京)

就職活動の旅に出発・・・・モーツァルト21歳

「モーツァルトの生涯」海老澤敏著から

1777年9月23日朝、モーツァルトは母親のマリーア・アンナとともに故郷ザルツブルクの町を発った。出発の4日前、モーツァルトの家を訪ねたフォン・シーデンホーフェンの日誌にはレオポルトが重いカタルに罹っていたことが記録されているが、やむなく留守番に廻ってしまったレオポルトは出発当日を当人の筆で次のように語っている。

「お前たちが発ってから、私は疲れ切って階段をあがり、椅子に倒れ伏したものだった。私たちの別れを一層辛いものにしないよう、この別れをやめてしまうよう、あらゆる努力を払っただろうし、またそんなに茫然となっていたので、父親としての祝福を自分の息子にしてやるのも忘れてしまったのだ・・・・中略・・・・・・・・・・・・・こんな具合にこの悲しい日が過ぎたが、生涯に一度だって経験したことにないようなものだった」(1777年9月25日付)

レオポルトは妻のマリーア・アンナが二度と再びここザルツブルクに立ち戻ってこないことを予感していたのだろうか。ナンネルもその日記に書いている。「お母さんと弟の出発の日、私はほとんどベッドで過ごし、吐き、それにものすごく頭痛がした。これは9月23日だった」

このあと海老澤先生の「モーツァルトの生涯」は、モーツァルトが第一夜を過ごしたヴァッサーブルクからの初信と続きます。

「就職の失敗」「アロイジアとの失恋」そして「母の死」という、いわゆる三重苦の、後世の我々にとっても忘れることのできない「パリ、マンハイムの旅」は、こうして始まったのです。

2011年9月20日のモーツァルトハウス
台風15号の接近で・・・・

夕方になって急遽東京に戻ることを決めました!台風が近づいています。ここオナーズヒルも大きな被害がないと良いのですが・・・・・

2011年9月16日のモーツァルトハウス(東京)
♪明日は「朗読の発表会」・・・・
モーツァルトの調べにのせて♪♪♪

空気が澄んでいたせいかこんな景色が夕方見えました。テラスから撮った写真です。(右に富士山のシルエットがみえます。)
良く晴れた冬には雪をかぶった真っ白な富士にうっとりすることがあります。

「コスモス会朗読発表会」

発表会も今年で6回目。私は今年は「向田邦子の恋文」(向田和子著)を読むことにしました。
いつかは発表会で読んでみたいと~ずーっと温めてきた作品です。今年没後30年になる向田邦子さん、妹の和子さんはこのエッセイで、お姉さんの「秘め事」を明かしています。
この夏NHKでドラマ化された「胡桃の部屋」でもこのN氏は登場していたましたね。邦子さんにはずーと心に秘めた人、支えになってくれていた人の存在があったのです。姉の遺品を整理していて出てきた「茶封筒」。邦子さんが捨てずに持っていたその中には、N氏との手紙や日記が・・・・。

発表会ではモーツァルトの曲をバックに語ります。ピアノソナタK310の第2楽章とヴァイオリン協奏曲第3番K216 第2楽章。今回モーツァルトと向田作品の共通点を見つけました!哀しみの中にあるユーモア、人間の弱さを明るくユーモラスに描き出す「モーツアルト」と「向田作品」、両方とも品格というものを感じるのも同じです。どちらも大好きです♡♠♤


終了後の記念写真です

2011年9月13日のモーツァルトハウス
NHK朝の連続小説「おひさま」の舞台の安曇野の蕎麦畑は、いま白い蕎麦の花が咲き、きれいでしょうね!

ここ軽井沢から御代田に向かう裏道には、「里山」と呼べるににふさわしい景色のところがあり、ドライブコースとしてお気に入りのスポットです。
収穫の秋を迎え、黄色い稲穂のじゅうたんと、白い蕎麦の花のじゅうたんが連なっていて、得も言われぬ景色が青い空に映えて、それはそれは美しいです。ほっとする里山の懐かし~い、癒しのスポットになっています。モーツァルトを聴きながらドライブしていると幸せ~な気分になります♡♠♤



2011年9月12日のモーツァルトハウス

「つりばな」がもう真っ赤に色づいています!

真中が割れてぶらさがったさまは、かわいらしいんです
~この日のモーツァルト~ 
1775年9月12日
この日モーツァルトはヴァイオリン協奏曲(第3番)ト長調K216を作曲しました
1773年3月に3度目のイタリア旅行からザルツブルクに帰って来たモーツァルトは、いったんここで旅のピリオドを打ち、1777年9月「マンハイム・パリ旅行」に出発するまでの4年半をウイーンとミュンヘンに短期間出かけるもののザルツブルクでの宮廷音楽家として過ごすこととなる。この間作曲に精を出し、およそ120曲もの作品を生み出している。その中の代表的な作品が「小ト短調」(第25番)を始めとした第22番から第30番までの9曲の交響曲などであり、また、もうひとつのジャンルでもこの時代はモーツァルトにとって重要なものとなった。いわゆる「ザルツブルク協奏曲」といわれる5曲のヴァイオリン協奏曲が1775年4月から12月にかけて相次いで作曲されたことである。

モーツァルトは生涯にわたってピアノ協奏曲やピアノソナタ、ヴァイオリンソナタを書き続けたが、ヴァイオリン協奏曲が1775年に集中して作曲された理由は明らかではない。この第3番は独奏楽器であるヴァイオリンとオーケストラの間に対話がみられ、対等の関係に置いたことなど、大きな飛躍的な発展が認められる作品である。第3番以降のヴァイオリン協奏曲は特に人気は高く、よくコンサートで採りあげられるが、その理由は形式的な完全さ、音色の美しさ、さらにゆたかな内容によるものであるのは確かであり、また教育的な目的でも好んで使用されるため、コンクールの課題曲とされることが多いのも特徴的である。

再建されたモーツァルトの住家(ザルツブルク)


2011年9月11日のモーツァルトハウス

♪「トマトベリー」はハート形のトマト!!♡♠♤

こんな可愛いトマトをみつけました。しかもハートの形です。味はフルーツのような甘さ!軽井沢産です。

~この日のモーツァルト~ 
1767年9月11日
この日モーツァルトは第2回目のウイーン旅行に出発しました。 
ウイーンでは皇女マリア・ヨゼファとナポリ王フェルデイナントの結婚式が予定されていた。レオポルトは息子モーツァルトと娘ナンネルを当地で華々しく登場させ、強く印象づけるまたとないチャンスと思っていた。がこの目論見は不運にも崩れさってしまった。皇女がウイーンで流行中の天然痘にかかって急死してしまったのである。この天然痘に為、一家も一時ボヘミアに避難するが、モーツァルトも、ナンネルも相次いで発病。回復してウイーンに戻ったのは翌年1768年の1月だった。

ウイーンに戻り、女帝マリア・テレジアと新皇帝ヨーゼフ2世に謁見。モーツァルトは、宮廷劇場の為のイタリア劇「見てくれの馬鹿娘」を作曲するが、ウイーンでは結局上演されずに終わってしまった。真相は明らかではないが、ウイーンでの上演関係者による意図的な妨害工作があったのではないかと言われている。

結果的に1年と4ケ月間の二度目のウイーン行きは期待外れに終わることとなる。しかし、ウイーン滞在中に「見てくれの馬鹿娘」の他に、ドイツ語小歌劇「バスティアンとバスティエンヌ」や「孤児院ミサ」のような大規模のハ短調ミサ曲などいくつもの充実した作品が書かれている。モーツァルトはすでに非凡な才能を早くも充分にうかがわせる、すこぶる魅力的な傑作を生み出し始めたのである。
(モーツァルト:田辺秀樹著から)

2011年9月6日のモーツァルトハウス(東京)

またもやキャンセル・・・

ボローニャ歌劇場来日公演、3演目の主役テノールがすべてキャンセルなのだそうです。こんなことがあるのでしょうか・・・・。交通事故で出演が中止されていたリチートラは亡くなりました。「清教徒」のフローレスは海水飲んで咳が止まらないという理由です。何か信じがたい理由です。そんな不注意なことを日本での大事な公演を控えている、フローレスがするものでしょうか・・・。メトに続いて、「カルメン」に出演のカウフマンは残念ながら今回も理由をつけて来日を草々に中止をしてしまいました。この先オペラの来日公演はどうなるのでしょうか。いつまでこのような事態が続くのかと不安です。日本の原発はどう収束して、私達日本人だけではなく世界がはいつ安心できるのでしょうか。
 ~この日のモーツァルト~ 
1791年9月6日
この日モーツァルトのオペラ「皇帝ティートの慈悲」がプラハで初演されました
完成したのは初演前日の5日と言われている。モーツァルト最後の年である1791年7月に大作をを3作も抱えていた。「魔笛」「レクイエム」そしてプラハから依頼されたこの「ティートの慈悲」である。これは1791年9月6日にプラハで行われるレオポルト2世の戴冠式の祝典のために上演されるものでこのような機会にふさわしいとしてこの「ティートの慈悲」が選ばれた。原作はウイーンの宮廷詩人ピエトロ・メタスタージョである。モーツァルトはこれをザクセンの宮廷詩人カテリーノ・マッゾーラに改作を依頼し、それを用いている。レチタティーヴォはモーツァルトの手になるものではなく、ジュスマイヤーが作曲したのではと推測されている。

モーツァルトは指揮棒を執ったこの上演について、皇妃マリーア・ルイーゼは「お粗末な出来ばえのドイツ物」と語ったと伝えられている。しかしプラハの市民たちは、この曲にも惜しみない拍手を贈ったのであった。(「モーツァルトの生涯」海老澤敏から)


プラハ:ベルトラムカ荘


2011年8月29日のモーツァルトハウス(東京)
モーツァルト、ザルツブルクでの最後の日々・・・・

 ~この日のモーツァルト~ 
1780年8月29日
モーツァルトはこの日交響曲第34番K338を作曲しました
ザルツブルク時代に書かれたの最後の交響曲。モーツァルトは8歳で交響曲を書きはじめ、すでに40曲を超える交響曲を作曲していた。前半生の交響曲を締めくくるにふさわしい規模と個性的な内実を備えた交響曲がこのK338といえます。荘厳さと、一種のロマンティックな揺れが微妙なところで均衡しているところがこの曲の魅力となっています。過去を豊かに反映しながら、あらゆる細部にモーツァルトの個性が息づいている、古典的な完成への予感に満ちた交響曲です。

1780年モーツァルトはザルツブルクでの最後の年を迎えていた。3月には「ミサ・ソレムニスK337」を、又ザルツでの最後の交響曲K338の後にはこの時代最後の教会作品である「証聖者の盛儀晩課K339」を作曲している。

「従来、1778年の夏に作曲したと考えられていたクラヴィーアのためのソナタハ長調K330、イ長調331(トルコ行進曲付)およびヘ長調K332は最近の自筆譜の研究によって、ケッヒェルが指定した1779年よりもさらに後年、はやくても1780年の夏に、すなわち、モーツァルトの最後のザルツブルク滞在中、あるいは、さらに後年のウイーン時代に生み出されたものとされるに至っている。ーーーーーーーーーーーーー

この年の10月31日、ウイーンでは、かつてモーツァルトの情熱の対象であったアロイージアが結婚した。相手はウイーン宮廷俳優ヨハン・ヨーゼフ・ランゲであった。」(「モーツァルトの生涯」海老澤敏から)

1780年11月5日、モーツァルトはザルツブルの町を出発し、ミュンヒェンへ向かった。ミュンヒェンに宮廷をもつバイエルン選帝侯、かのカール・テオドールから依頼されていたオペラ「イドメネオ」上演のためである。

このあとモーツァルトは、大司教コロレドとの訣別、そしてウイーン在住の運命へとつながっていくのです。


2011年8月28日のモーツァルトハウス(東京)

W.A.モーツァルト作曲 オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」 第一生命ホール、13時開演

簡易舞台形式による全2幕原語上演(字幕付き)

今年の矢澤定明&ヴィッラ・ディ・ムジカ室内管弦楽団 オペラプロジェクトによるオペラは、モーツァルトのダ・ポンテ三作目「コジ・ファン・トゥッテ」。オペラの価格革命と銘打って始めたオペラだけに一般3500円、シルバー(65歳以上)2500円と本当にお安い値段である。それなのに演出、歌手陣、オーケストラと全てにわたって大満足のオペラでした。
この様な価格で満足できるオペラを提供してくださった、すべての関係者に感謝したい気持ちです。

モーツァルト「ダ・ポンテ3部作」がこの「コジ」で終わり、来年2012年は「ロッシーニ作曲:セビリアの理髪師」が予定されています。

矢澤定明&ヴィッラ・ディ・ムジカ室内管弦楽団 オペラプロジェクトⅢ
【出 演】 ◆矢澤定明(指揮/音楽監督)
◆飯塚励生(演出)
◆近藤元(舞台監督)
◆黒澤明子/前川依子(ソプラノ)
◆鈴木涼子(メゾソプラノ)
◆与儀巧(テノール)
◆星野淳(バリトン)
◆細岡雅哉(バス)
◆小埜寺美樹(チェンバロ)
◆ヴィッラ・ディ・ムジカ室内管弦楽団


2011年8月27日のモーツァルトハウス(東京)・・

皇后さまが、お弾きになった曲はモーツァルト・・・・♡♠♤


「皇后さまは、群馬県草津で開かれている国際音楽祭に参加し、 世界の一流の音楽家たちとの合奏でピアノの演奏を楽しまれました。

27日午後、国際音楽祭が開かれている「草津音楽の森」に到着され、世界の一流の音楽家たちから楽器の演奏のアドバイスを受けることができる
ワークショップに参加されました。
ピアノを担当する皇后さまは、クラリネットやビオラを担当する音楽家たちと一緒に モーツァルトの三重奏曲を演奏し、美しいメロディーを奏でられました。 」(共同)

ピアノ三重奏曲というと、もしかして、変ホ長調K498<ケーゲルシュタット>(クラリネット、ヴィオラ、ピアノ)かな?

2011年8月24日のモーツァルトハウス(秋田

♪ふるさと行きは体力勝負!・・・

夏休みを利用してのふるさと行きはこれで2回目、急に随分と年老いてしまった母をまた訪ねました。今回は1泊2日のトンボ返りで、久しぶりに秋田新幹線こまちに乗って、列車の旅です。
「モーツァルト天才の秘密 中野雄著」や「モーツァルトの食卓 関田淳子著」を再び読み返したり、車窓を眺めたり、・・・
ゆったり~とした気分になれた列車の旅は快適でした。♡♠♤

 ~この日のモーツァルト~ 
1787年8月24日
モーツァルトはこの日ピアノとァヴィオリンのソナタ第42番K526を作曲しました
モーツァルトは「フィガロの結婚」で大成功をおさめ、プラハのオペラ座の支配人、ボン・ディーニより新作オペラを依頼された。その新作オペラ「ドン・ジョヴァンニ」の作曲を始めていたこの間、父の死を体験するなど身辺も慌ただしかったのですが、このヴァイオリンソナタはそうした時期に書かれたもので,「ドン・ジョヴァンニ」のK527に隣接するK526という番号を持っている。このソナタでモーツァルトは真の意味でヴァイオリンとピアノの二重奏に到達したといわれている緩徐楽章の転調による音色の多彩な変化はフィナーレの規模大きさと共にこの曲の充実ぶりを端的に表しています。


2011年8月23日のモーツァルトハウス

♪ナンネルの結婚は、夏の終わり・・・

軽井沢にも夏の終わりを告げる植物が咲きはじめました・・・・
みなずきの可憐なレースのような白い花や、まゆみ(つり花)の実もぶら下がってきました。つり花は秋を迎えると真っ赤に色づきます。今年は我が家のまゆみの木も大きく成長して、一杯つり花をつけるようになりました。

 ~この日のモーツァルト~ 
1784年8月23日
モーツァルトの姉、ナンネルがこの日結婚しました
姉ナンネルの結婚式がこの日ザンクト・ギルゲンでとりおこなわれ、父レオポルトは友人たちをたずさえて同地に赴いている。ナンネルはすでに33歳になろうとしていた。彼女の嫁ぎ先は、母親マリーア・アンナの生まれ故郷ザンクト・ギルゲンの地方管理であり、彼女より15歳年上。、二度も妻に先立たれ、5人の子持ちであった。ナンネルは母親の生家に住居を定め、この建物はザンクト・ギルゲンの「モーツァルト記念館」として今も残っています。

(「モーツァルトの生涯」海老澤敏から)

レオポルトが、ザルツブルクに戻ったのは8月28日のことであった。
翌々日30日の付の娘宛の手紙から、3年に亘る父娘の文通が始められる。レオポルトは妻に先立たれたあと、息子がモーツァルトがウイーンに去り、そして今ここに、一人娘が嫁いだのであった。「わしはほんとうに今、たった一人で、本当に死の静寂の中に、八部屋に囲まれている。昼間はなんでもないが、この手紙を書いている夜はかなり寂しいものだ」(9月3日付)

ザンクト・ギルゲンの「ヴァイオリンを弾くモーツァルト像」

ザンクト・ギルゲンはヴォルフガング湖畔の小さな町。対岸にはサウンドオブミュージックの舞台ともなったザンクト・ヴォルフガングがある。

2011年8月20日のモーツァルトハウス

♪久能木邸コンサート・・・

毎年8月末に行われる、旧軽井沢の堀辰雄の小説に出てくる「幸福の谷」のすぐそばにある久能木邸でのホームコンサートは、私達に軽井沢の短い夏の終わりを告げてくれます。このコンサートが終わる頃、軽井沢に、もう秋がすぐそこまできているのです。

今年のコンサートは、リコーダー(山岡重治)、ヴィオラ・ダ・ガンバ(平尾雅子)、アーチリュート(金子浩)3人が奏でる音楽。

2007年度「レコード・アカデミー賞」を受賞した「マラン・マレの横顔4」の奏者である平尾雅子さんのヴィオラ・ダ・ガンバと金子浩さんのアーチリュートのマレの演奏は「涙が出てきた・・」という感想を抱く人がいたほど、静かで澄み切った優しい音色で、魂を揺さぶられます。「幸福の谷」の静まり返った夜のとばりに、深奥に触れてくる上質な音楽でした。

久能木さんの温かいお人柄、また深く音楽に精通したさりげない解説等、魅力満載のホームコンサートに今年も大勢の方々が遠くからお集まりになりました♡♠♤。参加できて今年も幸せな夜でした~。

2011年8月19日のモーツァルトハウス
大賀ホール「荒川洋&林光リサイタル」開演14時
 


開場の13時半前にはすでに大勢の人たちが並んでいました。

終了後のサイン会も大盛況でした
予告:フルートの荒川洋さんは9月25日光が丘美術館での「日本モーツァルト愛好会第383回例会」にご出演されます。

この日は久しぶりに外食を~駅に近いイタリアンのお店で~♡♠♤


早い秋の訪れ・・・・・、錦木はもうこんなに色づいていました


 ~この日のモーツァルト~ 
1786年8月19日
モーツァルトはこの日「弦楽四重奏曲」(第20番)K499を作曲しました
モーツァルトは6曲一連の「ハイドン四重奏曲」の完成を果たした後、このジャンルの創作活動の重点は、弦楽五重奏曲に切り替えられていたが、「ハイドン四重奏曲」の最後「不協和音」が書かれてから1年半余りを経て、この曲は作曲された。さらに3,4年を隔てて3曲が生まれています。モーツァルトの弦楽四重奏曲の作曲は、数曲がまとまってなされることが多いが、この作品だけは他の曲から切り離され、孤立したものとして生み出された点、他の作品とは異なっている。

2011年8月13日のモーツァルトハウス(秋田
お墓参り

 ~この日のモーツァルト~ 
1771年8月13日
モーツァルトはこの日第2回目のイタリア旅行に出発しました
モーツァルト父子は南に向かって再びザルツブルクを後にします。この2回目のイタリア旅行は同年12月15日までの4カ月間に亘ります。ミラノでフェルデナント大公の結婚式が行われるのにあたり、大公の母である女帝マリア・テレージアから祝典用のオペラを依頼されていたからです。「アルバのアスカーニョ」である。婚儀は10月15日ミラノ大聖堂でとり行われ、続いて17日にいよいよモーツァルトの祝祭劇「アルバのアスカーニョ」K111が宮廷劇場で初演されました。このオペラの大成功ぶりはレオポルトの手紙で故郷に伝えられている。

2011年8月10日のモーツァルトハウス(秋田
澄んだ空気!広がる田園風景!遠くに連なる山々・・・・それは今も懐かしい故郷の原風景♪♪♪
  お盆の帰省で秋田に行って来ました・・・・♡♠♤

~この日のモーツァルト~ 
1787年8月10日
モーツァルトはこの日セレナード「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」K525を作曲しました。
誰もが口ずさむモーツァルトの有名な曲です。どういう機会に作られ、いつ演奏されたかはまったくわかっていないそうです。もともとこの曲はメヌエットを含む5楽章の作品だったそうです。本人が削除したのか、誰かが取り除いてしまったのか、第二曲目のメヌエットとトリオは消失しているそうです。本当にだれからも愛され、これぞモーツァルトという、作品になっています。
1788年8月10日モーツァルトはこの日交響曲「ジュピター」K551を作曲しました。
「3大交響曲」の最後を飾る傑作。どういう目的で、また経緯で作曲されたかは明らかではないが何らかの演奏会を念頭において作曲されただろうといわれている。最大の特徴は最終楽章。「フィナーレ」の見事さは言葉を失うばかりである。ただただ天上に向かって走る天才の姿を見る思いである。
この後モーツァルトは亡くなるまでの3年間、シンフォニーの作曲はしていない。



2011年8月4日のモーツァルトハウス
素敵なゲストがモーツァルトハウスへ・・・・♡♠♤
フルートを吹いたり、ピアノを演奏したり、歌ったり、・・・音楽を楽しみ、愛するご家族です。

モーツァルトの美しいメロデイ-が気に入って、即興で演奏してくださったりしました。♪♪♪
「訪れた人々」&「演奏する人々」にも掲載しています。

~この日のモーツァルト~ 
1782年8月4日
モーツァルトはこの日コンスタンツェと結婚しました。
モーツァルトは、7月半ば、念願久しいドイツ語オペの上演を果たしました。奇遇にもそのオペラの女主人公と同じ名前、「コンスタンツェ」と結婚しました。8月4日のことである。この日モーツァルトはウイーン大聖堂聖シュテファン教会でコンスタンツェ・ウエーバと結婚式を挙げました。モーツァルトの3日後のレオポルトへの手紙には「僕たち二人が結ばれた時、妻も僕も泣き出してしまいました。-----それでみんなも、司教までも感動してしまい----みんな泣きました。」とある。モーツァルトは愛する人と結ばれたのです。



2011年8月3日のモーツァルトハウス
軽井沢の西、メルシャン美術館を訪ねて・・・。

百合の大輪がちょうど咲き誇っていました。秋には紅葉するつたも今は緑がきれいです。♡♠♤

 ~この日のモーツァルト~ 
1779年8月3日
モーツァルトはこの日セレナードニ長調ポストホルン」K320を作曲しました。
この曲は、第六楽章におかれた第ニメヌエットの第三トリオ部に、ポストホルンが使われていることから「ポストホルン」の名で知られている。このポストホルンは、当時郵便馬車が郵便を運んでいることを知らせる信号音として用いられていたもので、非常に小さい。モーツァルトは後にやはりポストホルンを使った「ドイツ舞曲K605」の第三曲「そりすべり」を作曲している。ザルツブルク最後のセレナーデである。



2011年8月2日のモーツァルトハウス
長野県と群馬県の県境、「見晴らし台」のある、熊野神社をお参りして・・・・

おいしい名物「力餅」にも舌鼓を・・


境内には「科(しな)の木のご神木」もあり、パワースポットになっています。


2011年7月25日のモーツァルトハウス

♪山百合が咲きました・・・

自生の山百合です。ものすごい香りを放っています。その香りは遙か遠くまでも・・・。またその姿も何とも優雅、まさに山の女王様級です。モーツァルトハウスの宝物として大事にして毎年咲くのをとても楽しみにしているのです。モーツァルトは「すみれ」というゲーテの詩で作曲をしました。百合の曲も作って欲しかったなァ~

 ~この日のモーツァルト~ 
1788年7月25日
モーツァルトはこの日交響曲第40番ト短調K550を完成しました。
モーツァルト三大交響曲のひとつ。悲劇的な暗さに満ちていて、交響曲25番ト短調と短調の作品は交響曲ではこの二つだけである。
言葉では表現できない美と哀しみがひとつに溶け合い純化し結晶する旋律。逃れることのできない宿命的なものを孕んだ調整としてモーツァルトはト短調を選んだのだろうか・・・。その旋律には、人生を知り尽くしたものの成熟した、それでいていかんともしがたい翳りがある。小林秀雄「モオツァルト」の中で、大阪の道頓堀をうろついている時突然この曲の有名なテーマが鳴り、・・・・僕は脳味噌に手術を受けた様に驚き、感動で慄えた。。と書いている。


2011年7月17日のモーツァルトハウス

八ヶ岳の想い出・・・

連休にモーツァルトハウスにいらして下さった「八ヶ岳文化村村長」さんのご招待で、今日は八ヶ岳へドライブ!お宅に一泊させて頂きました。
この日は、軽井沢も、八ヶ岳も記録的な猛暑日でした。ランチは、冷たいにしんそばと自家製の牛乳アイスクリーム。


さて、到着後は清里にある田辺秀樹先生(一橋大学大学院教授)の森の中の山荘にお邪魔致しました。先生のモーツァルトレクチャー「モーツァルトの声変わり」で始まり、お勉強した後は先生のピアノや、先生のピアノ伴奏つきのヴァイオリンの演奏や、ドイツ民謡を歌ったりととても楽しいひと時を過ごしました。ワインや美味しいお料理を頂き、ゲーテやハイネのお話も聞けるなど、とてもアカデミックな雰囲気に浸りました。歌ったり、演奏したり、みんながひとつになって本当に和やかに夜も更けていきました。


翌日の八ヶ岳文化村村長さん宅のテラス。南アルプスが正面に見えます。からっとした天候で、晴天率もとても高く、八ヶ岳は本当に過ごし易いそうです。羨ましい!朝食はこの素敵なテラスで頂きました。

帰り道には、村長さんに教えて頂いた「ぽっぽ牛乳」でソフトクリームを味わい、「びっくり市場」で新鮮な高原レタスを仕入れて家路につきました。

2011年7月8日のモーツァルトハウス(東京)

 ~この日のモーツァルト~ 
1786年7月8日
モーツァルトはこの日ピアノ三重奏曲ト長調K496を完成しました。
ピアノ三重奏曲K254から10年の間隔をおいて作曲されたこの作品は、二つの弦楽器(ヴァイオリン、チェロ)が活発に動き、「三重奏」の名にふさわしくなっています。ピアノのギャラント様式に、ハイドンの影響下の1782年以降書かれるようになった弦楽四重奏の室内楽的な深さが、ほどよくバランスを保った作品である。このひと月後、ピアノ三重奏曲変ホ長調K498<ケーゲルシュタット>(クラリネット、ヴィオラ、ピアノ)が作曲されれるのです。

2011年7月5日のモーツァルトハウス(東京)

♪栄光のはじまり・・・・

ローマ教皇クレメンス14世の勅命により、モーツァルトはヴァティカンのクィリナーレ宮で<黄金の騎士軍勲章>を授けられた。

「明日、大変な知らせをうけるという事がわかった。パッラヴィッチィーニ枢機卿からの連絡によると、ヴォルフガングに騎士の勲章と免状を授けようという命令がくだったらしい。枢機卿は教皇から直接この命令を受けたということだ」ローマ、1770年7月4日、妻に宛てたレオポルトの手紙

こうして黄金の騎士軍勲章がモーツァルトに授けられたのは7月5日であった。この日、父子はクィリナーレ宮にパッラヴィッチィーニ枢機卿を訪ね、この勲章のほか、剣と拍車を賜った。

レオポルトは手紙の中で、息子に授けられたのが「グルックがもっているのと同じもの」と語っている。しかしこれは正確ではない。グルックおよびディッタース・フォン・ディッタースドルフが授けられていたのは、このモーツァルトの勲章より下級のものであり、モーツァルトと同じものは、かつてルネサンス最大の巨匠オルランド・ディ・ラッソに与えられているにすぎない。まことに大きな栄誉であった。

この<黄金の騎士軍勲章>を身につけたヴォルフガングの肖像画は、7年後の1777年の夏に描かれる。この肖像画はマルティーニ師に寄贈すべく描かれ、現在なおボローニャのマルティーニ音楽院の貴重なコレクションの一つになっている。

(「モーツァルトの生涯」海老澤敏より、「神に愛されしもの モーツァルト」訳:海老澤敏より)

~この日のモーツァルト~ 

1770年7月5日モーツァルトはこの日ローマ教皇クレメンス14世より黄金の騎士軍勲章を授与されました・・・・・・・。


2011年7月4日のモーツァルトハウス(東京)
かねがね「さくらんぼをお腹こわすほど食べてみたい!」「さくらんぼ狩りしに行こうよ」と言うのが口癖だった夫のもとに、その思いが伝わったか知らずか、山形からまさに宝石(ルビー)のような佐藤錦が届きました!サイズも3L


♪モーツァルトの好物は~
♡♠♤
ところで、モーツァルトはウィーンに移り住んでも、故郷ザルツブルクのタンの塩漬けや、マスの料理を恋しがっていたそうです。父レオポルトに手紙で(1782年8月31日)「郵便でザルツブルガー・ツンゲ(ザルツブルクの牛タンの塩漬け)を送ってもらえますでしょうか?・・・・・それからニジマスも送っていただけますでしょうか」と書いている。

このとき父はザルツブルクから急行便で、塩漬けの牛タンを送っている。これに対しモーツァルトはこう返信した(9月11日)「牛タンを送って頂き、ありがとうございました。・・・・・・もしニジマスも送ってもらえたら、本当にすごくうれしいのですが」と。よほどモーツァルトは故郷のニジマスが食べたかったのだろうか、二度にわたって、これを父に頼んでいる。

オーストリアの景勝地ザルツカンマーグート地方の湖のマスは非常に美味で、今日でも訪れる観光客の人気の一品になっている。またザルツブルクの牛タンも有名で、ゼンフという辛味のの少ないマスタードで、食べることが多い。

当時ザルツブルクからウィーンへの輸送には、平均5日間かかったという。。夏場ともなれば、当然鮮度も落ち、腐敗は避けられない。そのため牛タンもマスも塩漬けかあるいは燻製、酢漬け品として送られた。この地方の塩はまろやかなことで、現在も多くの人に好まれている。
ちなみに今日ザルツカンマーグート地方のマスの燻製法は、モーツァルトの時代とまったく変わっていないという。

後にニッセン夫人(コンスタンツェ)はザルツブルクで「亡きご主人は何が好物でしたか?」と尋ねられると、「前夫は魚、特にマスが好きでした。彼は食べ物に関してはまったくうるさくなかった」と答えたという。

(以上、朝日新聞出版:「モーツァルトの食卓」関田淳子著から)

モーツァルトが晩年特に愛飲していたのがシャンパンとパンチだったという。トカイワインも特に好きだったそうである。

「モーツァルトさん、さくらんぼはお好きですか?もしお好きでしたら海を越えて日本のさくらんぼを送って差し上げます」

こんな会話をしてみたかったなァ~夢ででも~


2011年7月3日のモーツァルトハウス

♪悲しみの夜・・・・

 ~この日のモーツァルト~ 
1778年7月3日モーツァルトはこの日パリでお母さんを亡くしました・・・・・・・。

この日、母の遺体を前にして、パリの宿で深夜、モーツァルトは二通の手紙をしたためるのです。一通は父親のレオポルトに、そしてもう一通は親友のザルツのブリンガー神父に宛てて。

父親宛には
「とてもいやで悲しいことをお知らせしなければなりません。・・・・・・私のいとしいお母さんが思い病気なのです。・・・・・・・・
みんなが望みがあるといってくれますが、ぼくはあまり望みをもっていません。-----もう長いこと、昼も夜も怖れと望みのあいだにいるのです。------でもぼくはすべて神様の御意志にお委ねしております-----そしてあなたも、愛するお姉さんにもそうしてほしいのです。・・・・・・
------一人の人間に生命を与えるのも、また奪うのも、どんな医者にも、どんな人間にも、どんな不幸にも、どんな偶然にもできることではなく、神さまだけにおできになることだと信じています。・・・・・・・・・・・」

親友には
「最良の友よ!あなた一人にだけに。
友よ、ぼくと一緒に悲しんでください!------今日はぼくの生涯で一番悲しい日でした。----僕はこれを夜の二時に書いています。----でもあなたに言わなければならない。----ぼくの母、愛する母さんはもういないのです!----神様が彼女をお召しになったのです。・・・・・・・・
---ぼくは同じ便で父に手紙を書いたのですが----でも母が重病とだけでした。・・・・・・
最良の友よ、ぼくのために父を守り、父を励まして下さって、父が最悪のことを初めて耳にしても、あまり悲しくかつ辛くそれを受け取らないようにして下さい。姉のこともまた心からよろしくお願いいたします。・・・・」

モーツァルトは、この手紙で、この親友にすぐに二人のところを訪ねてくれるよう頼むのです。そして母が死んだことをなにも言わないで、ただそのための準備をしてやって下さいとだけ重ねて頼み、「ぼくのためにぼくの愛する父と姉とを守ってやってください」と結ぶのです。

マリーア・アンナは享年57歳。彼女の葬儀はあくる4日にサン・トゥスタッシュ教会でとりおこなわれている。

モーツァルトはその後6日たってから、父親宛に母親が死んだことを正式にしらせるのであった。自分が嘘をついていたことを二人に詫びるのだった。
            
(「モーツァルトの生涯」海老澤敏から)


異国の地で母を亡くし、ひとり取り残されたモーツァルト、22歳。人間モーツァルトが浮き彫りにされた二通の手紙に思えます。試練ともいえるこの悲しみをモーツァルトは作曲家として曲で表現して行くのです。見事なまでに!

2011年6月30日のモーツァルトハウス
 モーツァルトオペラの会 in 軽井沢
    今年はダ・ポンテオペラの三作目、待望の「コジ・ファン・トゥッテ」   

「コジ・ファン・トゥッテ」は楽しみがいっぱいのオペラ。珠玉のアリアが玉手箱からあふれ出てくるようですそして重唱のきれいなこと!結末の演出がどうなってるかもワクワク・・・。それにしてもストーリーはドン・アルフォンソのセリフに「おんなはみんなこんなもの」(タイトルでもあります)とあるように、女性が怒ってしまいそうなひどいお話です。
でも今までついストーリー重視していた人たちがじっくりこのオペラを観て、音楽が素晴らしい・・とのご感想!やっぱりモーツァルトなのです!!

  に更に詳しく掲載


2011年6月26日のモーツァルトハウス(東京)
2006年に放送された「毎日モーツァルト」録画してあったものを久しぶりに見返してみました。

最終回に近い第203回の「世紀を超えた賞賛」で、「モーツァルトの最後の交響曲39番、40番、41番は続けて書かれ、三つが一つの曲と考えるとしたら、39番が第一楽章、40番は第二楽章、41番ジュピターはフィナーレの第三楽章の性格をもっている。ジュピターの第4楽章はハ長調のフーガで、シンフォニーの最後の盛り上がりにふさわしい。日本では誰もやらなかった一晩で三曲演奏を30年前のコンサートで初めてやりましたが、その後ヨーロッパに行ってみると、ベームもそうだし、こうした通しの演奏がよく行われるようになっていた」と指揮者の故岩城宏之さんが語っていたのが、印象的です。

~この日のモーツァルト~ 
1788年6月26日モーツァルトはこの日交響曲第39番変ホ長調K543を完成しました。
「白鳥の歌」といわれるにふさわしい、美しい響きに満ちた「第39番」K543。「第40番ト短調」K550、「第41番ジュピター」K551と、<三大交響曲>と呼ばれて親しまれてきました。この三つの作品はわずか2か月足らずのうちに生み出され、18世紀の交響曲の最も高い峯をモーツァルトは築きました。
三大交響曲>は長い間謎に包まれてきていて、それは、作曲の動機、目的、連作としての意図など、当時の記録が残されていないためです。しかし今日ではおそらくある機会のために作曲され、演奏もされたらしいと考えられるようになっています。特に第3楽章のメヌエットは、オーボエのかわりにクラリネットを使った、ロマンティックで透明な響きで、モーツァルトならでは品格を感じて、あまりに魅力的です。

2011年6月24日のモーツァルトハウス
モーツァルトハウスの周辺は果実の宝庫??
うぐいすかぐら、クマいちご、桑の実、ブルーベリー、木いちご(黒色の実)など・・・あっそう、ふきも・・・。

ブルーベリー うぐいすかぐら 桑の実
ふき

うぐいすかぐらはお砂糖で煮て、ヨーグルトと混ぜて朝食の食卓にのぼります。
これからは山椒、つのはしばみなど、楽しみが続きます~

 ~この日のモーツァルト~ 
1787年6月24日モーツァルトはこの日歌曲「夕べの想い」K523と「クローエに」K524を作曲しました。
モーツァルトはこの日、「すみれ」とならぶ、モーツァルトの代表的な歌曲2曲を作曲しました。父レオポルトが亡くなって一月足らずのことでした。「夕べの想い」は夕暮れの情景の中に、人生の無常について思いをめぐらせる内容の歌詞が、淡々と美しい旋律にのせて歌われています。父の死や、友人の死が相次ぎ、モーツァルトの心の中で、死というものに対する思いがいつになく深まり、このような感動的な歌が生まれたのだろうか。詩の作者は不明。
「クローエニ」は激しい恋歌を歌ったもので、「夕べの想い」と同じ日に書かれた傑作歌曲であるが、「夕べの想い」とは打って変わって明るく、快活でこのような気分転換の鮮やかさこそ、モーツァルトの真骨頂と言えるだろう。作者はドイツの人気詩人のヨハン・ゲオルク・ヤコビ。「詩の言葉に対する、モーツァルトの繊細にして鋭敏な感性が光る!」と田辺秀樹先生は評している曲。


2011年6月22日のモーツァルトハウス
軽井沢の新緑・・・・一年中で最も美しい季節、6月の軽井沢~♡♠♤

少年モーツァルトとモーツァルトの薔薇

いろんな花が咲いています。でも新緑の緑の美しさに、身も心もリフレッシュ♪♪♪

 ~この日のモーツァルト~ 
1788年6月22日モーツァルトはこの日「ピアノ三重奏曲」ホ長調K542を完成しました
モーツァルトの室内楽曲において、ピアノを伴った作品は独特な性格をもったものとして、ウイーン時代の活動を語る上では欠かせないものであるが、その量的な点で目立っているのがピアノ三重奏曲であり、全部で8曲を作曲している。友人のミヒャエル・プフベルクの家でちょっとした合奏をしてみたいと述べた後にこの作曲をしたのである。同時にプフベルク家にミヒャエル・ハイドンも呼んで聴かせたかったらしいが、いずれにしても親しい人たちの間で演奏される家庭的な音楽として、捨てがたい味わいを持っているばかりでなく、なかなか見事な構成感と内容を示しているのはさすがにモーツァルトというべきか。

2011年6月17日のモーツァルトハウス(東京)

紫陽花と菖蒲を訪ねて・・・・☀♪

歩いて5分の場所に、厄除け祖師で有名な妙法寺のお寺さんがあります。コンドルが設計したというレトロな門があり、大好きな場所です。
参内は広々としており、戯れている鳩をみながら、桜、ケヤキ、銀杏、ヒマラヤスギ、松・・等の大きな木々の中を歩いていると、四季折々、季節を感じます。そのなかでも今の梅雨の時期に、ひときわ目に鮮やかなのが、紫陽花と菖蒲の群生。裏門から入るとすぐにあります。

人影もなく、一帯は静まり返っていて、モーツァルトの弦楽五重奏K515アレグロが聴こえてきそうなスポットです~♪♪♪

 ~この日のモーツァルト~ 
1791年6月17日モーツァルトはこの日モテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」ニ長調K618を完成しました
死の半年前の1791年夏、当時バーデンで療養中の妻コンスタンツエの世話をしてくれた同区の教会合唱長アントン・シュトルのために、モーツァルトは心を打つ作曲家最晩年の宗教曲の名作をバーデンで完成しました。妻がお世話になっている謝意を込めてモーツァルトはシュトルにこの曲を作曲・献呈したのでしょう。モーツァルトのコンスタンツエへの愛を感じるのは私だけでしょうか。全曲わずか24小節の小品。短いながら、清らかで素晴らしい透明感に満たされた、モーツアルトでしか書けない世界です。

2011年6月16日のモーツァルトハウス(東京)

ドニゼッテイ「ランメルモールのルチア」 2011年6月16日(木)東京文化会館大ホール18時半開演
 歴史に残る最高の舞台!メトロポリタン引っ越し公演2011♡♠♤

に更に詳しく掲載



今回来日公演の演目の1つ、ドニゼッティの名作「ランメルモールのルチア」で、ディアナ・ダムラウはそのタイトルロールのルチアを見事に演じました。又、エドガルド役のピョートル・ペチャワも艷やかで伸びやかな歌声で全てに渡って最高の舞台でした。

2011年6月14日のモーツァルトハウス(東京)

モーツァルト」・・・学ぶ楽しさ~♡♠♤

朝日カルチャーセンターでの講座「モーツァルト」(講師:海老澤敏)の受講生である。2006年からだから今年で6年目になる。
テーマは半年(10回)ごとに変り、今期のテーマは「モーツァルト家三代の音楽世界」。

近年のモーツァルト研究は、モーツァルト自身の作品および生涯に多角度から多面的に照明を当てているだけでなく、彼の周辺にもひろく眼を向けている。当然父親のレオポルトや息子のフランツ・クサーヴァーに対しても同様である。モーツアルト一家の音楽活動にそうした新しいアプローチを試みてみたい。(講師・記)

今講座でよく資料となる「モーツァルトの生涯」

♪「モーツァルトの生涯」(海老澤敏著:白水社)は、2006年モーツァルト生誕250年の年に、名著リクエスト復刊としてハードカバーで復刊された本です。初版は1984年で先生の7冊目のモーツァルト著書だったそうである。巻末に付けられた「楽曲索引」と「ヴォルフガング・アマデーウス・モーツァルト年譜」は大変貴重な資料です。
モーツァルトを学ぶ楽しさは、モーツァルトを聴く楽しさに共鳴しています。知って聴く!聴いて知る!いい関係です~

 ~この日のモーツァルト~ 
1775年6月14日モーツァルトはこの日ヴァイオリン協奏曲(第2番)ニ長調K211を作曲しました。
ザルツブルクで書かれた2曲目。1曲目から2年2か月後に作曲されたこの作品は、フランス的なギャラント・スタイルをつよく示しているのが特徴です。第3番K216はこれから3か月の月日をへだてて完成しますが、規模の大きさ、技法の確かさ、表現の幅、芸術的価値などさまざまな点から、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲が飛躍的に発展していく姿が注目に値するのです。

 ~この日のモーツァルト~ 
1787年6月14日モーツァルトはこの日音楽のヘ長調冗談K522を作曲しました。
まず聴いてみてください。楽しい作品です。モーツァルトの真面目さと悪ふざけな悪戯っぽさの両面を感じる美しい音楽。わざと間違えた音や、陳腐で単純な旋律を、友達たちと笑い転げながら演奏するモーツァルトの姿が浮かんできます。


2011年6月12日のモーツァルトハウス(東京)

八ヶ岳リゾナーレ音楽祭2011♪♪
第19回目を迎える「リゾナーレ音楽祭」10月4日(火)~6日(木)。今年のプログラムが送られてきました。毎年楽しみに参加している音楽祭です。

2006年から毎年参加しているこの音楽祭は、昼の部、夜の部、ロビーでのナイトサロンと盛りだくさん!それに午前11時からチャペルコンサートも加わり、音楽三昧できます。それも素敵な八ヶ岳にあるホテルに泊まってリゾート気分も満喫できるのです。モーツァルト好きな仲間を誘って今年も2泊の予定です。


2011年のプログラム


(過去のリゾナーレ音楽祭はをご参照ください)

 ~この日のモーツァルト~ 
1778年6月12日モーツァルトはパリ交響曲(第31番)ニ長調K297をこの日までに完成しました。
パリ到着前に訪れたマンハイムで優れた音楽家たち(カンナビヒやシュターミツ兄弟)に出会い、管楽器重視によるダイナミックな表現法などを学び取っていたモーツァルトは、マンハイムに引けを取らない、パリの大オーケストラのために、マンハイム楽派の様式にフランス的な表現法を織り込んだ傑作となるパリ交響曲を作曲しました。モーツァルトには珍しいほど推敲を重ねています。いかに意欲的にこの交響曲の構成に取り組んだかがわかりますね。注文主は「コンセール・スピルチュエル」の支配人ジャン・ル・グロで、彼の注文で第2楽章は書き直さなければならなかったが、こうして出来上がった〈パリ交響曲〉は、6月18日の初演で大成功を収めたのです。


2011年6月9日のモーツァルトハウス(東京)
 2011年6月9日13時30分 「朗読・語りの会 絆 第八回」なかの芸術小劇場


昼下がりのひと時、物語の世界へ・・・・。朗読仲間の語りを聞きに、今日はなかの芸術小劇場へ出かけました。
思わず物語の世界に引き込まれ、聞き入ってしまいました。皆さんの表現力に脱帽!感動を頂きました♠♤

今日はモーツァルトが大がかりな西方への旅へ出発した日・・・モーツァルト一家は、1763年6月9日にその一歩を踏み出しました。
~この日のモーツァルト~ 
1763年6月9日モーツァルト一家はこの日、西方の大旅行に出発しました。
一行は合計5人。レオポルト、マリーア・アンナ夫妻とナンネルとモーツァルト姉弟に従僕のゼバァステァン・ヴィンターが加わっています。この一行がザルツに帰郷するのは、1766年11月29日のことで、この旅は3年半近く続きます。彼らが訪れ歩いた先はドイツ各地はもとより、ベルギー、フランス、イギリス、オランダ、更にはスイスに及びます。この旅行の印象をモーツァルトは脳裏に刻み、そして後に五線紙上に書き記すことになるのです・・・・。
 

(資料:海老澤 敏著 「モーツァルトの生涯」 白水社 )

2011年6月8日のモーツァルトハウス(東京)

オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」新国立劇場  6月8日(水)14時開演
原発による音楽家たちのキャンセルが続いています。この「コジ」も指揮者はじめ歌手陣が来日を取りやめ、新キャストで公演が決行されました。しかし、キャンセルせず、予定通り来日し、出演して下さった何人かの歌手の方たちもいます。心から感謝します。がいつまでこの状況が続くのか、原発がまだまだ解決の糸口さえ見えない現状では、これからの公演がどうなっていくのか不安です。

メトロポリタンの引っ越し公演が始まっています。大物歌手が原発を理由に来日をキャンセルするなか、今回「ランメルモールのルチア」にルチア役で出演のディアナ・ダムラウは来日を中止せずに、まだ1歳未満の(生後6ケ月)の子供を同伴して来日しています。このニュースは驚きでした。早速16日「ルチア」公演のチケットを2枚購入しました。ダムラウという歌手はもともと好きな歌手だったし、この公演は観なければ・・と心がつき動かされたからです。

正確な情報を政府や東電は世界に発信しているのでしょうか・・・。日本の安全を訴えでいるのでしょうか。
一日も早い収束。誰しもがいま望んでいることです。

 ~この日のモーツァルト~ 
1785年6月8日モーツァルトはこの日歌曲すみれK476を作曲しました。
モーツァルト唯一のゲーテ歌曲である。モーツァルト歌曲中最高傑作であるこの曲は「フィガロの結婚」に着手する直前に完成されました。原詩はドイツオペラの「エルヴィーンとエルミーレ」の中に出てくるアリア「すみれ」に、ゲーテの詩と知らずにモーツァルトは曲を付けました。モーツァルトは踏みつけられながらもそれでも踏みつけた相手への愛を失わないすみれの可憐さを歌い、最後に原詩にない<哀れなすみれ、それは愛らしいすみれだった>という句を付け加えました。晩年のゲーテとの対話を記録したエッカーマンは、ゲーテがフランクフルトでの演奏会で7歳の子供のモーツァルトを見たと、後に書いています。

2011年6月7日のモーツァルトハウス(東京)

映画『マーラー 君に捧げるアダージョ』 パーシー・アドロン&フェリック・アドロン監督

渋谷・ユーロスペースでの上映は6/10(金)までロードショー

2011年6月3日のモーツァルトハウス(東京)

「モーツァルトの恋」・・・・タイトル通り、ロマンティックなモーツァルトの恋の物語♡♠♤

恵比寿ガーデンプレイスの中にある「写真美術館ホール」で「モーツアルトの恋」の映画を観ました。第二次世界大戦中に作られた映画とか。今では珍しい白黒の映画です。パリ旅行の途中、マンハイムで、後に結婚するコンスタンツエ・ウエーバーのお姉さんのアロイジアに会い、恋するモーツアルト。舞台はウイーンへ移り、コンスタンツエと結婚した後も、アロイジアと再会し、その思いを断ち切れないモーツァルト。夫の姉への思いに気が付きながら苦悩するコンスタンツエ。モーツァルトの珠玉の音楽をバックにこのストーリーが展開します。

コンスタンツエが夫モーツァルトの気持ちを知りながら苦しむのですが、内容以上に随所に散りばめられた音楽の美しさに引き込まれていきます。古い映画だけに音響の悪さを感じながらも、モーツァルトの音楽がそれを超えて感動を与えてくれました。
最期の病床のモーツァルトは、今まで見たことがある「死床のモーツアルト」の絵と同じリアルそのもの・・・涙を誘います・・・。
大変満足した映画でしたよ

 ~この日のモーツァルト~ 
1786年6月3日モーツァルトはこの日ピアノ四重奏曲第2番変ホ長調K493を作曲しました。
2曲作ったピアノ四重奏曲のうちの一つ。もう一つのト短調は1785年10月16日にに完成しています。この時期には、3曲のピアノ協奏曲(K482、K488、K491)あるいは、「劇場支配人」K486、さらには、「フィガロの結婚」K492などが相次いで書かれた時期にあたり、充実した創作意欲に燃えていたモーツァルトの姿がうかがえます。

2011年5月29日のモーツァルトハウス

新緑真っ盛りの軽井沢・・・・春の花々が咲いていました♪♪



 ~この日のモーツァルト~ 
1782年5月29日モーツァルトはこの日後宮からの誘拐K384を完成しました。
モーツァルトが作り上げた完璧なシングシュピール(歌芝居)。「魔笛」K620、ベートーヴェンの「フェデリオ」、ウエーバーの「魔弾の射手」へ続く、ドイツ歌劇の先駆的な位置を占める作品。この歌劇には、青春の若々しく瑞々しい美があふれ、モーツァルトの青春の記念碑とも言える作品。初演は1782年7月16日ウイーン・ブルク劇場で行われ、初演後間もない8月4日に、モーツァルトはコンスタンツエ・ウエーバーと結婚式をあげることとなるのです。主人公と同じ名前の愛するコンスタンツエと結婚することができ、この頃はモーツァルトにとって自由の都ウイーンでの幸せの絶頂期だったのかも知れません。フィナーレの大団円はまさにそれを感じさせるハッピーエンドそのものです。



2011年5月26日のモーツァルトハウス(東京)

 ~この日のモーツァルト~ 
1787年5月26日モーツァルトはこの日ルイーゼガ不実な恋人の手紙を焼いた時K520を作曲しました。
友人のパウムベルク夫人の詩につけられたこの曲は劇的な美しさにみなぎっている。嫉妬の炎を燃やして、裏切った恋人からの手紙を焼く女性の内面劇を表現している。細かく動く伴奏音型で全体の気分をさらに掻き立てている。モーツァルトの親友のジャカンに作曲を依頼されて作ったが、ジャカンはこの歌曲を自作のものとして、公然と恋人に献呈しているのだとか・・・・。20小節の小品ながらモーツァルトの劇的表現力を再認識させられる傑作です。

2011年5月23日のモーツァルトハウス(東京)
「音楽家の使命」とは・・・その3「真の音楽家の使命とは?」

メトロポリタンの引っ越し公演が来月に迫って来ました。
昨年から大宣伝され、特にオペラファンの熱き視線をあびていたのがテノールのヨナス・カウフマンの出演。そのカウフマンが来日を中止しました。聞くところによるとカウフマンの奥さんが「絶対ダメ」と強力に反対したそうな。日本での原発による健康への影響でしょう・・・。理解できなくはありません。でも現に私達日本人はこうして日常生活を今まで通り続けているではありませんか。

大枚をはたき、カウフマンの歌を聴くのを楽しみにその日の予定をいれ、チケットを買ったその日から、一日千秋の思いで待っている大勢のファンが日本にはいるのです。その落胆ぶりは相当なものです。それを忘れないで欲しい。

新国立劇場では間もなく「コジ・ファン・トゥッテ」が始まります。がしかし指揮者はじめ主役のフィオルディリージ、デスピーナ、フェルランド役が降板を申し出ています。「日本への長期滞在は原子力災害による自身の健康への懸念から・・」としています(新国のHPから)この理由に非はないとしながらも、オペラの芸術監督である尾高忠明氏は困惑し、キャンセルしないで予定通り来日してくださる他のキャストのに対し敬意を表すとしています。

「一緒に頑張ろう」「日本を応援しています」世界の人々からたくさんのメセーッジが寄せられています。私達は言葉だけではなく、それを真に実行して私たち日本人を元気づけて欲しいと思います。

あすへの希望、楽しみそれがあるから、今日一日頑張れる。それを繋いで生きているのが人間だとしたら、音楽は大きな力です。こんな時だからこそ音楽で勇気や希望を与えることが出来るのです。そのことを考え世界中の演奏家は率先して日本に来て欲しい。切なる願いです。

キャンセルするような演奏家には「真の音楽家としての使命」を感じないのは私だけでしょうか???

~この日のモーツァルト~ 
1791年5月23日モーツァルトはこの日グラスハーモニカと管弦楽器のアダージョとロンドK617を作曲しました。
この楽器の名手としてウイーンを訪れた、盲目の少女マリアンヌ・キルヒゲスナーのためにモーツァルトは作曲しました。初演は8月19日ケルントナートーア劇場。モーツァルト最後の室内楽曲となったこの曲は、陰影に富んだ澄んだ響きがあり、3週間後の「アヴェ・ヴェルム・コルプス」に通じるものを感じます。グラスハーモニカは1760年ころロンドンに外交官として滞在したベンジャミン・フランクリンによって発明されました。ゲーテが「世界の深奥の生命を聴くようだ」と評した神秘的でロマンティックな音色は特にロマン主義へと向かうドイツ人の心を捉え、多数の作曲家が曲を残していますが、モーツァルトもあと一曲独奏曲K356(617a)を残しています。


2011年5月18日のモーツァルトハウス(東京)

「音楽に祈りをこめて・・・・東日本大震災 復興支援チャリティコンサート クラシック・エイド」
    2011年5月18日(水)東京オペラシティコンサートホール 19時開演


コンサートを両陛下が鑑賞 

アンコールで合唱





この日のコンサートには、ピアニストや声楽家ら40人がボランティアとして参加し、アンコールではアーティストと観客が「見上げてごらん夜の星を」を合唱しました。両陛下も観客と一緒になって歌われました。

皆がひとつになって、音楽に復興の祈りを込めた一夜でした

  ~この日のモーツァルト~ 
1787年5月18日モーツァルトはこの日歌曲「老婆」K517を作曲しました。
弦楽五重奏曲ト短調K516を作曲した2日後のこの日、モーツァルトはハーゲドルン(1708~1754)の詩に曲をつけて「老婆」という曲を作曲しました。いつの時代にも老人たちは昔を懐かしみ、今を嘆き悲しむ・・・それはどんな時代にも共通する普遍的な思いなのでしょうか。「やや鼻にかかった声で」という指示が書かれているそうな・・・

2011年5月16日のモーツァルトハウス(東京)

「音楽家の使命」とは・・・その2「音楽の力」は大きくないかもしれないけれど・・・・・。

日本フィルの松本克巳氏(ヴィオリン)と後藤悠仁氏(ヴィオラ)は日フィルの仲間と一緒に、{「被災地に音楽を」励まし合って生きて行こう!}と過去の阪神・淡路大震災の時の支援活動の経験を生かし、いち早く被災者の方々に音楽を届ける活動をされている音楽家たちです。

「音楽の力」は大きくないかもしれないけれど、音楽の持つ力によって一時でも、慰め、励し,生きる勇気を与えることがきっと出来るはず・・・。

実際、被災地で演奏すると、家族を全てなくし自分一人が残って生きる力を失っていた女性から、「生きていてよかった・・。震災後初めて思えた。なくなった家族の分まで自分が生きるんだという勇気が湧いてきました」と演奏後に声を掛けられることもあったそうです。

又雨の激しく降るコンサートの日には、大事な息子さんをなくした女性が、「この雨は息子が号泣している雨です。よく来て演奏してくれたと喜んでいる涙の雨に思えます」言ってくれたそうな。
ひと時でも希望が与えられたら・・・・。
大きな被害を受け活動の場を失っている仙台フィルの「音楽の力による復興センター」と協力して活動を進め、被災1年後の2012年3月11日まで続けるこの活動に必要な交通費、宿泊費は、募金活動で集められるため、、広く皆様の協力をお願いしますとしています。

ここにも、「音楽の力」を信じて、今何が出来るのかを懸命に模索し、被災地に音楽を届ける活動を続けようとしている音楽家の尊い姿があります♪♪

今日は柿の木坂にお住いのMさんのお宅でのホームコンサート。
チェロとヴァイオリンのアマチュアに、このお二人のプロの演奏家が加わり、ベートーベンとハイドンの弦楽四重奏の調べを聴かせてもらいました。
本当に、素敵なコンサートでした~♡♠♤

 ~この日のモーツァルト~ 
1787年5月16日モーツァルトはこの日弦楽五重奏曲ト短調K516を作曲しました。
小林秀雄が有名な「モオツアルト」の中で「かなしみは疾走する、涙は追いつけない・・・・」と表現したのはこの作品です。ト短調でかかれたこの作品はひと月前のハ長調K515の弦楽五重奏の曲と違って、かなしみを感じる曲である。こののち、5月28日に父レオポルトが亡くなり、その報を受けることになるのであるが、それを予見した訳ではないだろうが・・・。ハ長調とト短調がペアになった名作である。このかなしみをたたえた旋律に、魅せられたモーツァルティアンは多いはず・・・・。

2011年5月9日のモーツァルトハウス
モーツァルトがウイーンで新しい人生の扉を開いた日~

モーツァルトは1781年5月9日のこの日、ザルツブルクの大司教コロレドと決裂し、ウイーンでの生活を始める決心をします。。人生の大きな決断をした日なのです。この後、ウイーンで歴史に残る数々の名曲をのこし、天才モーツァルトはまたここ第二のふるさとウイーンで、大輪の花を咲かせるのです。

5月の第二日曜日は日本では「母の日」♠♤




プレゼントは
お花&ロクシタンのセット♡♠♤

2011年5月5日のモーツァルトハウス

「音楽の力」に引き寄せられて・・・・・・♪♪♪
  音楽仲間が集まってランチを楽しんだり、フルートと歌の共演(協演)をして、賑やかに一日を過ごしました

とにかく音楽好き、フルート好きが八ヶ岳、中央林間、三井の森(軽井沢)から集合しました。八ヶ岳から駆けつけてくれたUさんは「八ヶ岳文化村村長」・「大晦日オペラの会事務局長」等などを務める声楽好き、中央林間のKさんは三度の食事よりもフルートを吹くことが好きで海外出張まで楽器持参をする程、三井の森のYさんは退職前から万全の態勢でフルートに打ち込み、又テニスにも汗を流しています。初対面なのに思いのほか良いハーモニーとなりました。

 ~この日のモーツァルト~ 
1774年5月5日モーツァルトはこの日交響曲第30番ニ長調K202を作曲しました。
モーツァルトは3回のイタリア旅行からザルツブルクに戻り、1773年には春から秋にかけて再びウイーンへの旅にでかけます。その旅行から戻り翌年にかけて4曲の交響曲を作曲します。「24番」K182、「25番」K183、「29番」K201の傑作ぞろいで、いずれも若きモーツァルトのいきいきとした心情が現われています。その最後に位置しているのがこの第30番の作品です。

2011年5月2日のモーツァルトハウス

すてきなゲストを迎えて今日はランチをクラブハウスのレストランでゆっくりと!

とってもあたたかなご夫妻で、心もホンワカに~☼♫☺

モーツァルトハウスでも、モーツァルトのお話からいろ~んなお話がいっぱいできました。♤♡♤


2011年5月1日のモーツァルトハウス
オナーズヒル軽井沢のレストランで「テイータイム クラシックコンサート」がありました。

出演は、バセット・クラリネット、小平真司さん、十弦ギター、斎藤明子さん

バッハ・チェロソナタ3番ハ長調BWV1009をバセットクラリネットで聴かせてくれた小平さん。5月8日(日)大賀ホールにて初リサイタルをして、本格的にデビューします。期待の方です!難しいバッハのチェロの曲に挑戦し、見事にクラリネットのそれもバセット・クラリネットで再現してくれました。

また斉藤明子さんは十弦ギターでクラシックの曲を演奏し、いまや軽井沢でのクラシック界には欠かせない存在の方です。若手の育成もされていて地元演奏家のなかで牽引力を発揮して活躍していらっしゃいます。地元のニュースペーパーに連載のエッセイは、お父様のイラスト入りです。

その「軽井沢 八風の里便り」は<軽井沢ニュース社>から出版されています。

著:斎藤明子・イラスト:斎藤融(早稲田大学:漫画研究会創設者)

「オナーズヒル軽井沢」のレストランではこの日、このようなテイータイムコンサートを企画して、浅間山を眺めながら、生のクラシックの演奏を聴くという、連休の束の間に安らぎと憩いの時間を提供してくれました。お蔭様で、贅沢なひと時で気持ちが休まる思いがしました。これからもこのようなテイータイムコンサートいいですね♪♪♪

2011年4月29日のモーツァルトハウス
今日からゴールデンウイークのはじまり♪♭♪

軽井沢はちょうど「こぶし」と、「きぶし」が咲いてきれいです。
庭には、ある方のお庭から頂いた「クリスマスローズ」のピンクの花がきれいに咲いています。

 ~この日のモーツァルト~ 
1786年4月29日モーツァルトはこの日オペラ「フィガロの結婚」K492を完成しました。オペラ史上不朽の名作。ご存じダ・ポンテ三部作の一つ。オペラブッファといわれる喜劇です。貴族を痛烈に風刺したボーマルシェの台本は当時ウイーンでは上演禁止のものだったのですが、皇帝ヨーゼフをダ・ポンテは見事に説得し、上演許可をとりつけました。それにモーツァルトは珠玉のアリアを散りばめました。序曲も最高傑作、フィナーレも無類のもの。他のどの作曲家も追随できないオペラをこの日モーツァルトは完成させたのです。

2011年4月28日のモーツァルトハウス(東京)

最近感動したこと・・・・。

天皇陛下ご夫妻の震災の被災地へのお見舞い・・・。宮城県を訪れ(4/27)、何時間もかけて避難所をお回りになって一人一人に励ましのおことばを・・・「国民の象徴」をこのように行動で示されるお姿に感動し思わず涙が・・・。有り難く心温まるシーンでした。


もう一つは、ドナルド・キーンさんが日本への永住を決めた事。きっかけは日本を襲った震災です。日本人以上に日本人を感じます。日本を離れる外国人を批判もしています。本当に愛してくれているんだな~と心が温まります。。。88歳米寿です。

2011年4月26日のモーツァルトハウス(東京)

「モーツァルト三つの転機」とは??「モーツァルト天才の秘密」とは??
「日本モーツァルト愛好会第378回」講演:中野雄氏(音楽プロテューサー)5月24日(日)を聴講して・・・・。

♪「彼の音楽をずーっと通してみていくと、音楽がほんとうに一生をあらわしている。音楽が一生を生ききっているんです」ピアニスト・内田光子さんの語った言葉である。更に「私はモーツァルトの生涯と音楽における三つの大きな出来事をあげることができるとしたら、一つは母の死、二つ目はコンスタンツェとの結婚とその後のウィーンでの新しい生活、そして三つ目は父レオポルトの死。あとのことは全部枝葉だと思います」こう述べている。

こういわれると転機になった曲を聴きたくなるのが心情です。自分なりにそのあたりの年代の曲をピックアップしてじっくり聴き比べてみるのも楽しいことです。そしてその違いが分かり、自分も納得できたら更に満足出来るはずです。「モーツァルトは知れば知るほど楽しく、また好きになる・・」最近痛く感じていることです。

モーツァルトの天才の秘密とは「すぐさま経験を作品に転換していく力・・」モーツァルト以外にこのような作曲家は存在しないのではないだろうか。人生を音楽で生ききっているというのはこういうことなのかと。そしてもう一つ改めて思うことは「レオポルトという父親」をなくしては天才モーツァルトは決して存在しないという事実。言い換えるとレオポルトという親だからこそ天才は生まれ、育てられたとも。勿論モーツァルトもすごいけど・・・。

この日K1、メヌエットを聴かせてもらいましたが、弾き手によって同じ曲とは思えない。(素人のピアニスト、イングリット・ヘブラー、バレンボエムの3人)同じ楽譜なのに、こんなにも表現ひとつで違いがあることに驚きました。音楽は「再現芸術」なのだと・・・しみじみ教えられた思いがしました。

♪「モーツァルトは知れば知るほど好きになる・・・!これはこれからも変わることはないと思います。☆

 ~この日のモーツァルト~ 
1779年4月26日モーツァルトはこの日交響曲第32番ト長調K318を作曲しました。
1779年1月にモーツァルトは、マンハイム、パリ旅行を終えて、故郷ザルツブルクに戻ってきました。この年に彼は二つ、翌年に一つ、合計3曲の交響曲を(K318、K319、K338)を作曲していが、この「ト長調」交響曲はその最初のものです。この後1781年に、モーツァルトはザルツブルクの大司教と対立してザルツブルクに決別し、ウイーンに飛び出すことになるのです。


2011年4月23日のモーツァルトハウス(東京)

ギャラリーKUBOTAで「モーツァルト旅先の風景」(京橋)~中村一郎個展~

♪元モーツァルト愛好会会員の方の弟さんである画家「中村一郎」さんによる、モーツァルト絵画展が京橋の画廊で開催されていましたので、見に行って来ました。生涯の三分の一を旅で過ごしたモーツァルトの軌跡を辿って、モーツァルトが立ち寄ったその場所を水彩で表した絵でした。透明な色彩で光と影を巧みに操りながら表現された一枚一枚は大変美しく、現代の場面でありながらモーツァルトがそこに現れても不思議ではない様な感覚にとらわれるような印象に残るものでした。展示資料として、各絵毎に対比した年代月日・モーツァルトの旅先での様子が記された表があり、訪れた人たちにも分り易い様になっており、改めて偉大な作曲家としてのモーツァルトを知ることになります。

2011年4月21日のモーツァルトハウス(東京)
浅草ぶらぶら散策♡♠♤生スカイツリー見学記!

銀座線浅草駅下車して、「隅田公園」を横目で見ながら(すっかり葉桜になっていました)吾妻橋を渡ってスカイツリーをめざしてトコトコ。。。。。
どこからでも高~いスカイツリーを眺めることができるから、つい上ばかり見て歩いてしまいます。
途中大きな泡のモニュメントで有名なアサヒビールの社屋の横を通り、「海の記念日」に記念して建立された「勝海舟」の像を見て、隅田川の川べりをゆっくり行くと、「牛嶋神社」という神社もあり、姉の干支が「丑」なので寄ってみました。境内にあるお牛さんをさすると悪い所が治るというので、お牛さんの全体を撫でて、全てよくなります様に・・・・。欲張りすぎかな~ァ。。
言問通りをまっすぐ、「とうきょうスカイツリー駅」を横切り、川べり沿いに、スカイツリーが川に映るその姿を、いろんな橋のビューポイントからカメラにおさめました。
ぶら~り、ぶら~り、日差しに初夏を感じながら~「春のうらあらあの隅田川~」いつしかなつかしい旋律を口ずさんでいた、春の一日でした~♪♪♪♪

~この日のモーツァルト~ 
1784年4月21日モーツァルトはこの日ピアノとヴァイオリンのソナタK454を作曲しました。
モーツァルトの演奏活動が目を見張るほど活発だった年の作品。K304がモーツァルトの母親で、K376のソナタのヒロインがヨゼファー・アウエルンハンマーだとするなら、K454のソナタのヒロインはレジーナ・ストレナザッキでしょう。ヴァイオリニストであるストレナザッキとの共演の為にモーツァルトはこの曲を作曲しました。彼女は名ヴァイオリニストだったようで、モーツァルト自身もその才能を認めていたようです(手紙に「趣味が良く、感受性が豊かで・・・」という記述が残されています)初演は皇帝ヨーゼフ2世も臨席したケルントナトーア劇場でのコンサートで、ストレナザッキがヴァイオリンを弾き、モーツァルトがピアノを弾き二人は共演しました。会場は大喝采だったそうな。当時の最高の夢の共演だったに違いありません。

2011年4月19日のモーツァルトハウス(東京)

上野の春を楽しんできました♡♠♤

          上野駅、えきなかで見つけたパンダたち・・・・。チョコやお芋の焼き菓子です。。。。。

                     やっぱりかわいい~つい買ってしましました。


 ~この日のモーツァルト~
1787年4月19日
モーツァルトはこの日弦楽五重奏曲ハ長調K515を作曲しました。
次に来る弦楽五重奏曲ト短調K516と共に、モーツァルト室内楽作品の代表的な存在である。この両者は対照的ともいえる個性と存在感を誇り、また形式的にも、内容的にも作品の規模が大きく、交響曲にも似た感銘を与えてくれます。
.よく仲間うちでも、どちらが好きか議論になります。同じ年に「ドン・ジョヴァンニ」も生まれています。アインシュタインが「誇らかで、王者のようで、宿命を孕んでいる」と表現しているが、楽器がお互いに主張し、溶け合って対話していく旋律の見事なまでの美しさには、ただ陶酔するだけである・・・。このあとほぼひと月後の5月16日にト短調の作品が作曲されます。さあ、あなたはどちらがお好き??


2011年4月12日のモーツァルトハウス

軽井沢にも春が来ていました♡♠♤
モーツァルトハウスの周辺には、黄色の花のだん黄梅、そしてフキノトウが咲いていて嬉し~い春の訪れが・・・・・。日差しもあたたかい☆☆


 ~この日のモーツァルト~
1791年4月12日モーツァルトはこの日弦楽五重奏曲変ホ長調K614を作曲しました。
モーツァルト弦楽五重奏曲最後の作品。作曲されたのは死の年の春である。<魔笛><レクイエム>に先立ち、経済的困窮を緩和されるために作曲された作品にもにも関わらず、清明な、くったくのないユーモアすらも含んだ作品を生み出すモーツァルトの姿がここにあります。この後大器楽作品としては「クラリネット協奏曲K622」を残すだけとなります。死を目前にしながらでも、晴れ渡ったモーツァルトの世界。さあ聴いて勇気をもらいましょう!


2011年4月9日のモーツァルトハウス(東京)
「音楽家の使命」とは・・・
東日本大震災、福島原発事故を受け、多くの演奏家が日本公演を取りやめる中、読響常任指揮者のフランス人シルヴァン・カンブルランが予定を早めて来日。
困難な状況にある人々に愛と希望を与えるのが音楽家の使命。常任の責務、日本の聴衆への信頼を考えれば、来て一緒に音楽するのが当然」と語った。カンブルランは欧米での報道が「最初は大震災後の日本人の冷静な対応を称賛しながら、原発事故が起きたら一斉に敬遠へ転じた」ことに不信を抱く。「原発の利便性も危険も世界が共有する。日本だけを特別視、来演を中止した同僚の対応にも失望した」という。
(日経新聞2011、4.9「文化往来」から)

震災、原発事故以降、多くの演奏家が来日を中止したり、さっさと帰国し公演を中止する悲しいニュースの中で、本当に好感のもてる記事なので紹介しました。カンブルランはパリオペラ座で2006年「フィガロの結婚」の指揮をしているDVDがありますが、我が家の愛聴盤になっています。
音楽家として、人間としても尊敬できる発言です。今までドイツ圏内で現代音楽のスペシャリストとして活躍してきたそうですが、「日本では原点に戻り、基本のレパートリーを洗い直す」と古典中心の路線を展開するそうです。大いに期待したいです。

少しづつでも、クラッシク界にも日常が戻ってきています・・・・・・。
いつも通りの活気が間接的に被災者の支援になることにみんながようやく気が付き始めています・・・。お花見も、お祭りも大事ですよ!みなさん~


2011年4月7日のモーツァルトハウス(秋田)

東日本大地震の後、最大級の余震に遭遇!「夜行バス」は帰りがこわい・・・。の続き

さて、大役の「地震見舞い」の任務も何とか果たし、帰京の日となりました。
秋田駅東口を4月7日21時半に予定通り発ち、大曲駅、横手駅と止まり、いよいよ新宿に向けて横手を出発して間もなく、震災後最大級となるマグニチュード7・4、震度6強の宮城県沖の余震に遭遇しました。その後一帯は停電となり、高速道路は全線通行止めの事態になり、バスはそのまま止まってしまいました。それでもバスの乗務員さんたちは、中央との連絡を取りながら、冷静に事態を判断し「一般道路を通りながら、高速道路の開通を見ながら進んでまいります」というアナウンス。東京への到着は4~5時間の大幅の遅れとなるのは必至と覚悟をきめました。しかし途中東北自動車道には福島県の国見インターから乗ることができ、結局、新宿西口スバルビル前には、予定の2時間半ほどの遅れで到着と相成りました。
バスの運行に携わった方たちの懸命な業務遂行の賜物と感謝あるのみです。こちらはただ眠ってるだけですから・・・・。今回利用したバスは「WILLER EXPRESS」大変お世話になりました。初めて利用させて頂きましたが、温かな対応に頭がさがります。そして何より安全運転に努めて頂き感謝です

 ~この日のモーツァルト~
1781年4月7日モーツァルトはこの日ピアノとヴァイオリンのソナタK379を作曲しました。
ザルツブルク大司教に仕えた時期の最後の作品群のひとつ。大司教と側近がウイーンを訪問した際、モーツァルトはザルツブルク宮廷のさまざまな音楽家が演奏する曲を書くよう命令されました。その一人ヴァイオリニストのアントニオ・ブルネッテイのために書いた作品で、ウイーンのドイッチェス・ハウスでこのブルネッテイとモーツァルトが共演した曲とされてきたが、この後のK380の方ではないかという風に今では考えられています。

2011年4月6日のモーツァルトハウス(秋田)
夜行バスは「行きはよいよい、帰りはこわい?!」・・・・

気になっていた一人暮らしをしている母の地震見舞いの為の秋田行きがようやく実現しました。ガソリン不足の不安や、秋田新幹線はいまだ全線開通しておらず、余震はどうかな?などと考えて躊躇しているうちに震災から3週間が過ぎてしまいましたが、やっと様子を見に出かけてきました。いつも電話で心細そうにしていましたから・・・。
考えたあげくに利用した交通機関は秋田-新宿間を結ぶ「夜行バス」。2日(土)の22時半に新宿西口を発ち、秋田駅東口翌朝7時半着というもの。行きは、バス会社さんのきめ細かなサービスが行き届き、眠っているうちのいつの間にか秋田の地に運ばれていたという感想。ラッキーでした。

秋田は雪解けも始まっていて、春の息吹を肌で感じながら、家の周辺を散歩してみました。懐かしい母校である「河辺中学校」まで歩いてみると、幼いころの原風景が呼び戻ってくるようでした。校庭では野球部が元気に部活をする姿が見えました。私が通っていた学校はとうに取り壊されて、超かっこいい校舎が建っていました。建築家の夫曰く「デザインされたしゃれた校舎!」だそうです。ちょっぴり誇らしくなったりしました♡♡

 ~この日のモーツァルト~
1774年4月6日モーツァルトはこの日交響曲第29番K201を作曲しました。
交響曲に新境地を開いた1曲・・・・。
モーツァルトが、ウイーン旅行後完成した5曲の交響曲のうちで、「第25番」ト短調K183と並んでこの時期もっとも円熟した作品。わずか2か月のウイーン旅行で吸収した音楽体験を見事に反映させ、それまでの交響曲になかった表現の深まりをみせてくれています。アインシュタイン曰く「いっさいの騒がしさを避け」むしろ弦楽四重奏曲のような味わい!1774年には、ゲーテは「若きウエルテルの悩み」を発表しています。

2011年3月31日のモーツァルトハウス(東京)
滅びて欲しくないと願う民族・・・それは日本民族♡♠♤

日経新聞に連載中の安藤忠雄氏「私の履歴書」が今日で最終回を迎えた。安藤氏の生き方に毎回数々の感動があった。終わるのはさみしい・・・。読んだ後、毎日のように勇気や希望も与えてもらい、強く生きることの尊さを学んだ気がする。最終回の今日、安藤氏は最後こう結んだ。

「人間性を育む教育を行い、自分なりの価値観をもつ「自立した個人」をつくり、家族や地域への愛情をもった日本人の国民性を回復しなければ、未来は見えてこない。
フランスの詩人ポール・クローデルは同じく詩人で友人のポール・ヴァレリーに「私はこの民族だけは滅びて欲しくないと願う民族がある。それは日本民族だ」と話したという。その日本は存亡の危機にある。今こそ第3の奇跡を起こすべく、日本は真に変わらなければならない。」
(2011.3.31:日経新聞)

本来、日本人には素晴らしい国民性がある。三つの奇跡とは、一つは明治維新、二つ目は敗戦、そして三つ目は今回の原発も含めた大震災。
日本が生まれ変わり、一つになって、将来今を思い出すとき、三つ目の奇跡を見事に起こしたと、日本がいや世界中が振り返れるように・・・・。

がんばろう、にっぽん!

2011年3月30日のモーツァルトハウス(東京) 
ドイツ2大管弦楽団がチャリティ競演♡♠♤

東日本大震災に伴い日本で救援活動をするユニセフ(国連児童基金)への寄付金を集めるため、ドイツを代表する2大オーケストラが29日、合同チャリティー演奏会をベルリンで開いた。
ダニエル・バレンボイム氏指揮のシュターツカペレ・ベルリンと、サイモン・ラトル氏指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。両楽団とも訪日演奏の機会が多く、親日感情が強いことから「何か日本のために」と考え、アイデアが浮上したそうですが、普段はライバル関係にある両楽団。メンバーによると、競演は「戦後は聞いたことがない」という。チャイコフスキーやブラームスの交響曲を演奏し、最後に両楽団の指揮者が舞台に並ぶと、会場を埋め尽くした観衆は総立ちで拍手を送った。
(毎日新聞社3月30日)

このように世界の各地でチャリティコンサートが行われています。世界に支援の輪が音楽を通じて広がっています。がんばれニッポン!
 ~この日のモーツァルト~
1773年3月30日モーツァルトはこの日交響曲第26番K184を作曲しました。
1773年3月13日、3度目のイタリア旅行からモーツァルト父子は帰ってきました。帰国直後1月半の間にイタリアの色彩の濃い交響曲4曲が立て続けに作曲されています。その最初の作品がこれです。祝典的な気分に満ちていて、イタリア風序曲を感じる、モーツァルト初期の傑作のひとつといわれています。
1784年3月30日モーツァルトはこの日ピアノと木管のための五重奏曲K452を作曲しました。
「僕はこの曲を、生涯のこれまでの最高作品だと思っています・・・・」とモーツァルト自身自信をもって語っています。初演は、同年4月1日、ブルク劇場でモーツァルト自身が独奏者として行われています。この稀有な室内楽の編成はのちのウイーン時代のベートーベンにも大きな影響を与えたのだそうです。木管の得も言われぬ温もりのある響きと、ピアノのコラボレーションが何とも魅力的です。

2011年3月27日のモーツァルトハウス(東京) 

素敵なプレゼントが届きました。

これはお菓子の箱です。ピアノの絵が載った素敵な箱です♡♠♤

中味は、ほらこんなに美味しそうなお菓子が!モーツァルトの「フィガロの結婚序曲」や「クラリネット五重奏曲」の楽譜にまかれたお菓子も!

神戸にある「モーツアルト KOBE」というお菓子屋さんが作っている「ピアノソナタギフト」嬉しい贈り物です。モーツァルトの優しい旋律がお口の中に広がって幸せな気分になりました♡♠♤

2011年3月26日のモーツァルトハウス(東京) 

「会場に募金箱 演奏会を再開」 こんな見出しで小さな記事ですけど、公演キャンセルが相次いでいたクラッシク界に義援金活動を伴いながらの再開が始まった!という嬉しいニュースを日経の文化欄に載っていましたのでご紹介します。

読響が19、20日下野竜也指揮の演奏会で会場に募金箱を置き、その上売り上げからも100万円を寄付。
東京オペラシテイコンサートホールも25日から主催公演を再開し、ただし節電の為明かりを通常の半分に落として、窓からの外光を取り入れ、ロビーに募金箱を置く。
バイオリンの島田真千子とビオラの川本嘉子は名古屋のヒルトンホテルロビーで18日から数日間無料で演奏し義援金を募った。
ピアニストの小川典子はロンドンのキングスプレイスで30日コンサートを開き売上金を全て寄付。
(3月24日付)

まずできることから始めよう~と徐々に演奏家も活動を開始しています。支援の輪がクラッシク界にも広がっていくのを願っています。

スポーツ界にもこんなことが・・・。
「~生きるための明るさを~サッカー人として 三浦和良」

「生きているとはどういうことなのだろう。サッカーをする意味とは何なのだろう。見つめ直さずにはいられなかった。サッカーをやっている場合じゃないよと思う。・・・・・。
水も食べるものもなく、家が流され、大切な人を失った心の痛みはとても癒されない。そうした人々にサッカーで力を与えられるとは思えない。むしろ逆だ。身を削って必死に生きる方々、命をかけて仕事にあたるみなさんから、僕らが勇気をもらっているのだから。サッカー人として何ができるだろう。サッカーを通じての協力の輪を広げ、「何か力になりたい」という祈りを支援金の形で届け、一日も早い復興の手助けをしたい。そこに29日の日本代表との親善試合の意義があると思う.。・・・・。
とても明るく生きていける状況じゃない。でも何か明るい材料がなければ生きていけない。29日僕らはみなさんに負けぬよう、全力で、必死に真剣にプレーすることを誓う。
サッカー選手のカズこと三浦和良さんのエッセーです。(日経スポーツ欄、3月24日付)

芸術、スポーツ、世界は違えど何か自分にできることで貢献をしたい、何か手助けをしたい、励ましたい・・・みな同じ気持ちです。

みんないま自分に何ができるか模索しています。一人一人がまず自分にできることから始めてみませんか。懸命に、小さなことでも、何でも。

 ~この日のモーツァルト~
1785年3月26日モーツァルトはこの日リート:結社員の旅K468を作曲しました

フリーメイスンの音楽。ウイーンで作られました。ウイーン時代のモーツァルトの精神世界をかいま見させてくれる数少ない宗教音楽です。

2011年3月24日のモーツァルトハウス(東京) 
「日本の力を信じている!」いま叫ばれている言葉です。「日本はいま一つのチーム」日本が一つになってみんなで頑張ろうという大きなメッセージです。「KIZUNA 絆」という言葉もよく聞かれます。昨日の日経新聞の「私の履歴書」で安藤忠雄さんも復興への力として、人の心をつなぎ、ともに生きていくことの大切さを述べている。建築家の立場から、被災地を希望の持てる街として復活させた神戸を例にとり、街への愛情が復興への大きな力になり国を動かしたとしている。

モーツアルト・ピアノ協奏曲第24番ハ短調K491

今この曲が静かに流れています。昨年11月サントリーホールで、内田光子指揮振りで聴いた忘れられない曲です。(クリーヴランド響)

内田光子(ピアノ・指揮)が、第53回グラミー賞「最優秀インストゥルメンタル・ソリスト演奏賞」を受賞したのもこのアルバムです。(「内田光子/クリーヴランド管弦楽団 モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番・第24番」)

グラミー賞は、年間を通じて優れた録音作品に対して贈られる、世界でも権威のある賞のひとつといわれています。

◆第53回グラミー賞「最優秀インストゥルメンタル・ソリスト演奏賞」受賞
内田光子/モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番・第24番

内田光子(ピアノ、指揮)、クリーヴランド管弦楽団
録音:2008年12月4,5日 クリーヴランド、セヴェランス・ホール〈ライヴ録音〉]

~この日のモーツァルト~ 
1786年3月24日モーツァルトはこの日モーツアルト・ピアノ協奏曲第24番ハ短調K491を作曲しました
20番ニ短調K466と共に、モーツァルトが残したもう一曲の短調の協奏曲がこのハ短調24番です。この曲をモーツァルトはK466のほぼ1年後の1786年の今日、3月24日に作曲しています。
聴衆の好みを考えるより、次第にモーツァルト自身が芸術的な深みを目指すようになっていった頃でもあります。これ以降、それ故にモーツァルトの芸術上の発展が、皮肉なことに聴衆を遠ざけてしまう結果になっていくのです。
そうした意味で、後期の孤高の作風が表れている作品。

2011年3月22日のモーツァルトハウス(東京) 

「世界で一番悲しい曲」モーツアルト・ピアノ協奏曲第23番第2楽章♡♠♤
   
朝日カルチャー新宿校で、今日は「クラシック音楽を生涯の友に」~アンサンブルの妙味を追って~(講師:音楽プロデューサー中野雄)の講座を受講してきましたが、冒頭に先生が、先日ウイーン楽友協会でのウイーンフィルの定期公演で、バレンボエムが日本国民への追悼として、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番第2楽章を指揮振りで演奏したというお話をされました。そしてモーツァルトのピアノ協奏曲23番の第2楽章は人類が知り得る「世界で一番悲しい曲だ」、それを彼は選んで追悼の曲としたのでしょう。さすがです・・・と。

そうなんです。この第2楽章はあまりに悲しく、その悲しみに耐えられない絶望の淵にたたずみ身動きできない、ただ悲しむしかないという旋律です。
でもその次にくる第3楽章は、その悲しみを乗り越え、その悲しみの先には光が、希望があるんだという強いモーツァルトのメーセッジを感じる曲でもあります。この第2、第3楽章の対比がこの曲の大きな魅力でもあり、この最終楽章の明るく弾む旋律に今までどれだけ生きる勇気を貰ってきたか知れません。珠玉中の珠玉の作品!

そして、レクチャーを挟んでピアノとヴァイオリンによるソナタを生で聴くことが出来ました。バレンボイムに通じる気持ちをお持ちと思われる中野先生のはこの日、モーツァルトの「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ ホ短調 K304」とベートーベンの「スプリングソナタ 」を2曲選曲して聴かせてくれました。K304はパリでの母の死を始めとするその時期のモーツァルトの悲劇的な感情を表したといわれているが、最近ではその前のマンハイムで着手されたという説がある。しかし聴くと深い悲しみを感じ取ってしまう作品。モーツァルトヴァイオリンソナタの中、唯一短調の作品。この曲も悲しみの音楽を奏でているのです。

震災以来初めて生の演奏を聴き、それもモーツァルトの曲も聴け、少しだけ勇気をもらった一日でした

2011年3月21日のモーツァルトハウス(東京) 

軽井沢大賀ホールは今年恒例の「春の音楽祭」を「東日本大震災被災者支援 軽井沢大賀ホール 2011春の音楽祭」と名称を改め、売り上げの一部を義援金とすることを明らかにしました。

首都圏でも多くの公演が中止されている中、明るいニュースです。このことで音楽によって人々が勇気づけられ、そしてまたそのチケットの売上金で被災者の苦しみが少しでも救われることになるのだから・・・・・。さあ~みんなで連休は軽井沢に行って大賀ホールで音楽に浸ろう~。多くの人の参加を願っています。私たちも出来るだけ行きます!!


2011年3月20日のモーツァルトハウス(東京) 

「芸術の力を信じる」ズービン・メータ♡♠♤
   
 「音楽の力で人々を励ます場面が絶対に訪れると信じている」
日本経済新聞(3月20日付)文化欄

来日公演しているフィレンツェ歌劇場は13日横浜神奈川県民ホールで「トスカ」、14日には東京文化会館で「運命の力」の公演をした後、フィレンツェ市長からの緊急帰国命令を受け、その後の公演を全てキャンセルして帰国する事態に陥った。指揮者のズービン・メータ氏は国内のオーケストラを指揮してチャリテイコンサートをしたいと主張して帰国を拒否していたが、実現はかなわなかった。以下が氏が日経新聞紙上で述べている一部である。

「危機的状況に陥った人々の前でも、音楽は力を発揮できると思う。さすがに豪奢なオペラは難しいが、より抽象的で純粋な音楽作品、例えばJ・S・バッハのカンタータやベートーベンの「英雄」交響曲、モーツァルトの交響曲第40番といった作品がもつ力、悲劇的状況下の人々に放つメッセージの強さを過小評価してはならない。中略 今の日本にも音楽の力で人々を励ます場面が絶対に訪れると信じている」(談)

最後に結ばれた言葉が大きく胸を打ちます。 モーツァルトの曲には悲しみから救う力、励ます力を持った曲が沢山あります。
それらの曲で救ってあげたい!そんな気持ちが大きく突き上げてくる記事でした。

自分は今何が出来るんだろう・・・・・・。

2011年3月11日のモーツァルトハウス(東京)

未曽有の大震災が東北関東地方を襲った日。被災し避難所生活を余儀なくされている皆様に心よりお見舞い申し上げます。一日も早い皆様の復旧と復興を、そして笑顔が戻る日が来ることを願っております。
  がんばれ東北そしてにっぽん!!

今回大きな被害を受けた東北は私のふるさとでもあります。
幸い日本海側に位置し県内でも中央に位置している秋田市は大きな被害には会わずにすみました。でも交通手段となる東北新幹線、東北自動車道は未だ復旧の目途さえ立たず、秋田で高齢でありながら一人暮らしをしている母の元にはしばらく行く事ができません。今は電話だけが頼りです。
でも、被害地で避難場所で暮らしている多くの方たちのことを思うと、気丈夫に頑張って過ごしているというだけで、母に対しては今は十分な気がします。

人間同士の助け合い、支えがこれからの生きる大きな力になるのは間違いないと思いますが、音楽と言う力も未来を信じる大きな支えにもなると確認します。
「音楽もインフラのひとつ」と私達は考えます。こういう時だからこそ音楽の力を信じたいと思います。今、次から次と公演が中止される現象を悲しく思います。演奏家またそれを提供する人たちの力でどうか可能な限り音楽を街に溢れさせて欲しい、そして勇気づけて欲しい。節電も大切ですが、コンサートなどで電気を使うことで、みんなの心に明るい希望の灯を灯すことも忘れないで欲しいのです。あまりにも辛いことがあると音楽でさえ慰めにならない・・・本当にその通りです。でもいい音楽をじーっと聴くことによって明日への勇気が湧いてくることもあると信じます。がんばれ!!

今回被害に会われた東北地方の人々は、まず忍耐強く、情が深いことから感謝の心が人一倍あります。支えあう力は人一倍です。そして家族はもちろん地域人々との和、絆をすごく重んじる優しい人たちです。この難局を手を手を携えて皆の力を一つにして必ず乗り越えてくれると信じています。東北人魂を世界に見せつけて欲しい!それが出来るのは東北人だからこそ・・と世界に向かって見せて欲しい!!

がんばれ東北・そしてにっぽん!! みんなが今あなた達を応援しています!

 ~この日のモーツァルト~
1778年3月11日
モーツァルトはこの日「ピアノとヴァイオリンのソナタK296」を作曲しました
モーツァルトはこの曲をマンハイムでお世話になったゼーラリウスの娘で、ピアノのレッスンをしてあげていたテレーゼ嬢のために作曲しました。
ゼーラリウスはマンハイムでモーツァルトに宿を無償で提供し、そのかわりモーツアルトはピアノを教えてあげていたそうです。パリに向かってマンハイムを発つそのときに、モーツアルトは感謝の気持ちでこの曲をテレーゼのために作曲して捧げたのでしょう。モーツアルトの優し~い気持ちに浸りながら聴いてみたい曲!
1787年3月11日モーツァルトはこの日「ロンドイ短調K511」も作曲しました。
モーツアルトのピアノ曲の中で間違いなく白眉の曲!この曲をひとたび知ってしまうと、たぶん誰しも繰り返し聴いてみたくなる、そんな曲。悲しみに沈み、出口が見えない絶望の中で、何度も聴くうちにいつしか生きる力が湧いてくるのを感じるという、そんな曲。さあ聴いてみよう!



2011年3月10日のモーツァルトハウス

   地デジ対応化を機にモーツアルトハウスも超大型テレビ対応にしました届けられたテレビ!55型です。

この画面でモーツァルトのオペラを楽しむのが、これからの楽しみ

2011年3月9日のモーツァルトハウス

                               

この前日、軽井沢にはどっさり雪が降りました。この日の気温は日中で1°までしかあがりません。

すっぽり雪をかぶった車

♡♡こんな日は暖炉の赤いほのおが暖か~い

 ~この日のモーツァルト~ 
1785年3月9日
:モーツァルトはこの日「ピアノ協奏曲第21番K467」を作曲しました
 「ピアノを伴う交響曲」とも言われているピアノ協奏曲第21番K467。第2楽章アンダンテは、ロマンティックな名旋律!モーツァルトがウイーンで人気絶好調の時に書かれた協奏曲です。

2月14日はバレンタインディ

   モーツァルトさんにチョコレートを買ってきました。オーストリアはウイーンのデメルのチョコです。
    パッケージには、恋人が見つめあっている絵・・・・、とってもロマンチックで素敵です。さすがウイーンの老舗チョコ
   中を開けるとハートのチョコが二粒。(私のこころ)という名前がついていました。 ♡♣♡ 食べると口の中が恋の香りでいっぱい~。


モーツァルトさんが生まれて255年と17日。天上のモーツァルトさんもどうぞ召し上がれ~。♡♡

2011年2月1日のモーツァルトハウス
      新しい年がはじまりました・・・・・・・

真っ白な浅間山が印象的な冬の軽井沢!

すっかり周りも雪景色です!

色々なモーツァルトさんに囲まれて♣♡♠♤

 ~この日のモーツァルト~
1777年2月1日
:モーツァルトはこの日「ディヴェルティメント第15番K287」を作曲しました
第4楽章のアダージョが特に魅力的若き天才にのみ可能な抒情味に溢れ、本当にいつまでもそこに浸っていたいと思わせるこの楽章は、モーツァルトをこよなく愛する者なら必聴です。カラヤンやトスカニーニといった大作曲家も好んで取り上げたという作品。17番K334も有名ですが、このアダージョを聴くとこれもまた素晴らしい~と思うはず。


暖炉の赤い炎がロマンティック!
今年もモーツァルトさんと素敵な一年でありますように


 2010年12月5日・モーツァルトの命日・・・・。(東京にて)
    
レクイエムを聴きながら・・・・

 
ある方のご新居にお邪魔して、モーツアルトの「レクイエム」(ドレスデン歌劇場でのライブ録画、ホーネック指揮)を聴いて過ごすことができました。60インチの画面と迫  力ある音響には圧倒されました。終わったらあたりは暗くなっていました。高層階から眺める美しい夜景は、ドレスデンの街を思わせ、右手を流れる河はまるでエルベ河のようでした。

 2010年11月18日のモーツァルトハウス
     内田光子コンサートの余韻・・・・。

♪晩秋を感じる軽井沢に行ってきました。木々の葉っぱはすっかり落ち葉となり、紅葉の遅い落葉松がちょうど今黄金色に輝いていました。
寒い軽井沢の本格的な冬の訪れをすぐそこに感じます。次に行くときはもうすっかり葉も落ちているのだろうか。

短い滞在でしたが、Yさんかが貸してくれたDVD「後宮からの誘拐」
のオペラを楽しんだり、テラスの枯葉を掃いたり、
また、クリフオード・カーゾンのモーツァルトのピアノコンチェルト20番、23番、24番をオーケストラをかえてずーと聴いたりしました。
14日にサントリーホールで生で、内田光子のピアノを聴いたばかりで、(内田光子&クリーヴランド管弦楽団の共演(内田光子指揮&ピアノ))その余韻を楽しむかのように・・・。


2006年のモーツァルト生誕250年の記念コンサートがザルツブルクであったのですが、その時のソリストが内田光子さんでした。
ウイーンフィルをバックにムーテイ指揮で聴いた、モーツァルトのピアノコンチェルト第25番の見事なまでの演奏は今でも忘れられない思い出です。
その時のことを思い出しながら、カーゾンの天上の音楽ともいえるモーツァルトの調べに耳を傾け、どこか夢の世界に旅をしてきたそんな感じがします。

そんな二人の軽井沢での写真です。


 2010年10月30日のモーツァルトハウス

すっかり秋でした!

水無月の花も秋色に ウルシの木の紅葉 つり花の木の紅葉

錦秋に染まった信州の秋を訪ねて「軽井沢モーツアルトハウス」に、久しぶりに行ってきました。
10月には珍しい台風の接近もあり、寒くて震え上がるような気温でした。平年よりもずーっと低い12月の気温だとか・・・。寒いはずです。
思いっきり厚着をして、夜は電気毛布もつけで寒さをしのぎ、都会との気温差をしみじみと感じ入ってしまいました。

そんな中、モーツアルトハウスには、大先輩のご夫妻のご来訪がありました。

ワインを傾けながら、秋の夜長をモーツアルトの音楽をCDや、また映像を観たりして楽しみました。
モーツアルトの足跡を訪ねた町のあれこれ旅のお話やら、最近のコンサートやオペラを観たお話など、話題は尽きません。
お酒も進み、アッという間に夜も更けて行きました。

翌日は台風の接近で、朝から荒れ模様。モーツアルトハウス周辺の木々の紅葉した美しさを見て頂けなくて残念!
そんなお天気を恨めしく思いながら、モーツアルトの音楽に耳を傾け、お喋りしていると、また時間も静かにゆっくりと流れていきます。
次回を楽しみにしてお別れとなりましたが、モーツアルトを楽しんだ思い出の1ページがまた加わりました。

  いろいろなCDを聴かせていただきました。
 
その中で、ちょっと珍しいCDを紹介して頂いたので、なかでも興味深いものをあげてみます。
 
モーツァルトとバッハをベースにしたジャズ曲なのですが、クラシックとしての原曲のプロポーションを崩さずに、即興も取り入れた軽快でリズム感
 溢れる楽しいものに仕上がっています。

スウィンギン・モーツァルト:モーツァルト・ジャズトリオ(アイネ・クライネ・ナハトムジーク、ピアノ・ソナタ第8番、フィガロの結婚他)
 モーツァルト・ミーツ・キューバ:クラッツ・ブラザーズ・アンド・キューバ・パーカッション(ピアノソナタ・K457、魔笛、クラリネット協奏曲他)
 モーツァルトとザルツブルクの民謡:アンサンブル・トビアス・ライザー
                

  2010年9月6日のモーツァルトハウス

仙台から「軽井沢モーツァルトハウス」に来訪者がありました。

家主の高校以来の友人です。彼はいろいろな趣味を持っていますが、その中の「モーツァルト」というキーワードで、ピッタリと趣味が一致しています。
ちなみに彼は他にも落語、食通(特に鰻や天ぷらやそばなどでは相当なツウであります)また興味の対象が果てしなく、さまざまな日本の祭りや行事(長野県でいえば御柱祭などなど・・・)や名所を訪ね歩く趣味も持ち合わせ、奥さまのご趣味の今話題の「鉄子?」もそれに拍車をかけています。

この日もモーツアルトから落語の話し、そば、温泉と話題は尽きませんでした。

今まで送ってくれたモーツァルトのCDやDVDの数々・・・・・。




またのご来訪をお待ちしております。


 2010年8月26日のモーツァルトハウス

ピアニストの久元祐子さんが25日の大賀ホールでのコンサートの翌日に、モーツァルトハウスにお立ち寄り下さいました。久元さんは「日本モーツァルト愛好会」でも何度もモーツァルト演奏してくださっており、お馴染みの演奏家の方です。

予期しておりませんでしたのに、モーツァルトの「幻想曲K397」「ソナタK331第3楽章」「魔笛、パパゲーノのアリア」等を演奏してくださいました。感動しました。モーツァルトハウスの木々の葉っぱのそよぐ音と素敵なハーモニーを奏でていました。いい思い出になりました。ありがとうございました。

            マネージャーの辻さんと

風のようにお見えになり、風のように立ち去って行かれましたので、翌日になったら、なんだか夢のような気がしました。でも写真を見ると現実のことだったのだと思います。またどうぞいらしてください


絵画展 「モーツァルトゆかりの地を巡る旅 展」

 ~旅の思い出を絵にしました~           ト短調のウイーン
    福田邦夫(油絵)福田栄子(染色)
会場:オナーズヒル軽井沢クラブハウスロビー 
期間:2010年4月24日(土)~7月11日(日)

 軽井沢においでの際には、どうぞお立ち寄りください。






作者ご夫妻

レセプション

2010年5月8日(土)14時半~17時 於:「オナーズヒル軽井沢」クラブハウス内レストラン

☆☆レセプション当日、オープニングコンサートがありました☆☆♪♪

 爽やかな春風にのって ~ モーツァルトの調べ ~

W.A.モーツァルト クラリネット協奏曲 K622

演奏:小平真司(クラリネット)/ 杉原桐子(ヴァイオリン)/ 斎藤明子(十弦ギター)

☆大勢の方々が見えて、モーツァルトの名曲「クラリネット協奏曲」の美しい調べが流れて、ひと時私達の心を和ませてくれました。

その後、レストランで行なわれたレセプション風景♪

下記の ☆ご来場の人々 もどうぞご覧下さい。

☆「日本モーツァルト愛好会」の歴代の代表である福田邦夫氏・福田栄子氏の絵画展をこの度軽井沢モーツァルトハウスのすぐ近くにある「オナーズヒル軽井沢クラブハウス・ロビー」にて開催することになりました。

私共が、ぜひ個展をと福田さんご夫妻にお願いをするに至ったきっかけは、2008年6月にさかのぼります。以前から福田さんよりモーツァルト関係の書籍をたくさん寄贈して頂いており(このHP上の「モーツァルトの本棚」に全てラインナップ)そのご本を頂戴しに青葉台の邸宅にお伺いした時に始まります。

この日も懐かしいLPを聴かせて頂いたりしながら至福の時間を過ごしていた時、福田さんが自らの書斎にある、いままであまり公開していない、数々の絵を見せてくださいました。モーツァルトへの愛に満ちた作品で、胸がしだいに熱くなっていくのを感じました。素晴しい作品ばかりで、それは長年モーツァルトを愛し、モーツァルトと共に人生を歩んでこられた方にしか表現できない崇高な世界に思えました。寄り添ってこられた奥様の作品もそれは同じでした。私達はこの絵をモーツァルトを愛するもっと多くの人に見て欲しいと思いました。その思いは二人とも同じでした。

あの日からほぼ2年という歳月が経った今年4月、軽井沢の地でこれらの絵の個展を開催できる事となり、私達の夢はようやく現実のものとなりました。都会から離れ、緑豊かな美しい自然の、この愛する軽井沢の地で開催出来ます事も、とても嬉しいことです

その後、福田さんは「ト短調のウイーン」という最新作を完成されました。この個展の為に描いてくださったものです。今回チラシに掲載しました。また栄子夫人のマリアプライン教会のマリア像(染色画)も素敵です。この作品も今回出品されます。★


☆11点の作品の中から、あと2点だけ紹介いたします。

★どうぞ本物を見にいらして下さい。

月と花、モーツァルトのプロフィール
  
ドーリスシュトック夫人の横顔のスケッチを借りて、真っ白なモーツァルトのプロフィールを浮かび上がらせた。なぜか月が光背のように頭の後ろにかかり、モーツァルトの体が消えてモーツァルトという名のバラが光の風の中に咲いている。カルテットのヴィオラは影にかくれて見えないが、モーツァルトは好んでヴィオラを担当したという。
   
モーツァルトの生家、ザルツブルグ
             
ゲトライデガッセ9番地、250余年前、モーツァルトが生まれた家がそのままモーツァルト記念館になっている。最上階には今も市民が暮らしている。ザルツアッハ河左岸のグリースガッセから暗いアーチの通路越しにこの黄色い生家が現われた時はなんとも感動的だった。

☆ご来場の人々



この他にも、まだまだたくさんの方々がお見えになりました・・・・。心から御礼申し上げます。