理想的な逝き方

加藤浩子先生のご尊父様が、ご逝去されました。98歳、大往生と伺いました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
加藤浩子先生とは、2006年「モーツァルト生誕250年記念ツァー」(郵船トラベル主催)に参加の際に、同行してくださった音楽評論家の先生で、それがご縁で、先生を囲んでモーツァルトのオペラを楽しむ会を、軽井沢モーツァルトハウスで長年にわたり開いてきました。
そのツァーの方々と先生を囲んでの交流は、その後も続き、私たち夫婦の音楽人生をとても豊かなものにしてくれました。私たち夫婦の音楽人生の原点です。

先生のお母さまは25年前に他界されていて、以前から世田谷のご自宅でお父様はお一人暮らしとお伺いしていましたが、90歳で腰の手術を受けられた後も、リハビリを頑張り、歩行器で歩けるようにまでになり、家族同然のお手伝いさんのもと、「在宅老人ホーム」のお世話もあり何不自由なくお過ごしだったとか。

主治医の先生から突然「ひょっとしたら、あと1週間か10日」との連絡が入り、その後は先生や、在宅介護の看護師さんらの暖かな見守りの中、自然に、静かに眠るように逝かれたそうで、「理想的な逝き方です」と、何年も見守ってくださっている主治医の先生から、繰り返し言われたそうです。

先生のお父様は、早稲田大学の理工学部の教授で、理工学部長をも務められた方と、お父様の教え子さんと、ある講座でご一緒した際にお伺いしていて、早稲田の理工学部出身の貞次さんはお会いしたことはないながら、親近感を覚え、尊敬の念も抱いていたと思います。

♡先生の言葉に「父は本当に、仕事も、リタイア後も一生懸命、よく生きて、そして多分そのご褒美に、よく逝かせていただけたのかも知れません。

人は多分、よく逝くために、よく生きるのです。

きっと父は今頃、あちらが側で、母や、自慢だったたくさんお友人たちと再会して、笑顔でいてくれることと想像しています。」

私は、この度、先生のお父様のご逝去の報に接し、そして発信された先生の文書を拝見して、貞次さんの最期をまた思い出す日々を、この数日ずっと過ごしています。

「人は、よく逝くために、よく生きる」、私は貞次さんもそういう人だったのではと、思います。最後の数週間でしたが、繰り返し私に言っていました。「やりたいことは全部やった、やり残しはない、満足な人生だった」と。

起きられなくなったので、介護ベットにして、まだ一週間もしない、6月のその朝、私が起きてきて、いつものように、「おはよう、雨戸開けるね。」と、眠っている貞次さんに声をかけ、雨戸をあけて、明るい、朝の爽やかな、綺麗な6月の風に、導かれるように、ちょっと私が目を離した間に、眠っているように逝ってしまった貞次さん。私が起きてくるのを待っていたかのように、雨戸が開いて、庭の景色を見るのを待っていたかのように。。。
今頃どこで、どうしているのかな、といつも思います。やっぱり、もう一度会いたい。。