この夏、貞次さんがいない寂しさをひしひしと感じながら過ごした。どうしていないの?と、声をあげて叫びたいほどであった。
あんなにいつも一緒にいた人だったのに、一人はやはり寂しい。でももう3年が過ぎた。周りの方々も何気なく私一人の存在をそれとなく受け入れて、自然に接してくれているのを感じる。
いい人だったな~、と思う。いい人とはどういう人かと言われても答えに困るが、それは言葉では尽くせないこと。
楽しいことがあっても、ふっと寂しさを感じてしまう。みんなそうなのだと思う。私の周りには夫を亡くして、でも今も元気に頑張って生きている人と自然と接することが多くなった。みんなそれぞれ寂しさを抱えながらも、何かしら生きがいを見つけて生きている、人生を楽しもうと生きている。
あまり寂しい時には、「寂しがり屋の貞次さんだったから、きっと私を待っているに違いない」ともらしたことがあった。そうしたら、そういう私に「駄目よ、貞次さんが喜美子さんを早く来てなんて、待っているはずがないわ。いっぱい楽しいことをして、次に会った時に、こんなことがあった、あんなことがあったと、たくさん教えてあげられる様、長く生きしなければ」と、言われた。そうなのかな~、とその時はそう思った。
この夏、草津で出会った方々、新潟長岡での方々、みんな貞次さんのお蔭で出会えたような人たちである。音楽がない人生は考えられない。こういうものを私に残してくれた貞次さん。いつも一緒と言うより、今はいつも私を見守ってくれているような気がしている。
また会いたいと思う人がいる。それは人生の楽しみ。そういう人が私にもいて、そしてまたお会いできる喜びがある。
何とかやっていこうと思っている。そんな勇気を与えて貰えた夏だったような気がしている。