神童~天才へ

今朝からずっと、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第1番、K207を聴いている。5曲の協奏曲の最初の曲で、私の大好きな曲。この曲を聴くと、元気が出て、いつも明るい気持ちにさせられる。貞次さんもこの曲が好きだった。この曲を流すと、「いい曲だね!」と、決まって言っていた。懐かし~い。私にとっては大切な曲。

モーツァルトはヴァイオリン協奏曲は5曲あり、(偽作とされているヴァイオリン協奏曲はあと2曲あるが、、)それはどれもザルツブルクで作曲され、1番だけ1773年モーツァルト17歳、あとの4曲は1775年19歳の時の作品。それ以降ヴァイオリン協奏曲は作らず、ピアノへと協奏曲の作曲活動は移っていった。

K207は、青春そのもの、聴くものを心躍らせてくれる。聴きながら、私も「なんていい曲!」と一人呟いていた。ミュンヘン旅行から帰ったばかりの、瑞々しい旅での体験が生き生きとした形で、表現されたのかも知れない。モーツァルトにしかできない曲。

そこで、ふっと思い出したのが、以前脳科学者の茂木健一郎氏の講演会でのお話。「神童だった人が、そのまま天才になることはほとんどなく、神童が天才になった人物はモーツァルトだけ」とおっしゃった。

私はその時に衝撃を受け、今でも忘れられないお話なのだが、神童は、神童で終わってしまい、天才は天才として存在するらしい。(「二十歳(はたち)過ぎればただの人」あるいは「神童も大人になればただの人」と言われることがあるそうである)

今朝、ヴァイオリン協奏曲1番K207を聴いていたら、その素晴らしさに、この脳科学者の言葉が真実味をもって、私に蘇ってきたのです。

17歳のモーツァルトは、神童であり、天才でもある、天下無敵の人。
それにしても、あとの3曲に比べてk207,K211の2曲は知られる機会が少ない。演奏会で取り上げられることが稀だから。やはり第3番以降の曲を好む人が多いのかな~?もっと知られる機会があればいいのにと、願っている。