ありがとう!・・・♪♡♠♤

モーツァルトハウス(東京)

♪随分とご無沙汰してしまいました。待ちに待った貞次さんの作品集が出来上がって、その喜びを載せてから随分と経ってしまいました。
作品集に「軽井沢モーツァルトハウス」のHPのアドレスを載せたことにより、みて下さっている方が多い事に気が付きました。

納品日が5月27日で、その日を待ち焦がれていたのですが、予定より3日早く24日のお昼頃届き、貞次さんは手書きで送付先のリストを作ってくれていましたので、私は、順次、お送りをこの日から開始しました。次々と本のお礼が届く中、哀しいことに、納品からちょうど3週間後の6月14日早朝に、天に召されました。自ら設計し、世界で一番愛していた我が家の一室で、私の傍で安らかに旅立つことができたのですから、幸せでした。

訃報がないままの方たちからは、その後もお礼のお便りは続くこととなり、また訃報を受けた方々からはお悔みのお便り、お花なども届いて、口数も少なく、人付き合いも決して良い方ではなかったのに、私は、今頃になって、主人がこんなにも多くの方々との関わりの中で生きて来たことを、知りました。

中学時代の仲間、高校、そして大学時代、漫研に属していたので、先輩、後輩、社会人としての職場でのお付き合い、果ては、退職してからは、モーツァルトに関わる、音楽で結ばれた方々も多く、何と多彩なジャンルの方々に、導かれ、時には励まされ、人生を歩んで来たのだろうと思いました。

作品集を見て、長い付き合いをしてきたけれど、高橋さんがこんな人とは知らなかった、とおっしゃられることが多く、またそれなら、今度会った時には、モーツァルトのこと、建築のことなど、もっとゆっくりお話をしようという、お便りや、メールを読むにつけ、「もっと言わないと相手は分からないでしょう」と、随分と主人に私は言ってきたことを思い出しますが、控えめさは、天下一品の人でした(ここは私と似た者同士)。自己PRをしたことにない人が、最後の最後に、唯一、「自分の生きた証」として自己表現したのがこの作品集だったんだなァと、しみじみ思います。

2階の書斎で、明るい日が差し込む窓辺の椅子に座って、いつも、ゲラ本で届いていた自らの作品集を眺めていました。「あ~、又、見てるの?」と私が声をかけると、「自分の作品ながら、何回見ても飽きないんだよ」といって、笑っていた姿。今でも目に焼き付いていて、私はこの主人の姿を思い出すと、とめどもなく涙が溢れてくるのです。幸せな人だったな~。こんなに嬉しそうに自分の作品を眺められるなんて、そして、本当に生きたいように生き、人に何と言われようと、自身の信念のままに、人生を突き進んだんだ、建築の道への想いも回り道しながらも夢も叶えた、それが出来たんだから、悔いはなかったね、本当に良かったね、と。

優しさにも溢れた人でもありました。病身でありながら、私が何かしてあげる度に、「ありがとう」という人でした。そんな貞次さんに最期まで寄り添えて、私は幸せでした。今は寂しさの中でも、貞次さんの優しさ、思いやり、そしてあたたかさに包まれているようで、決して一人残された訳ではないんだと思うのです。

高校入学からクラスメートとしてお付き合いが始まった友人とは、近年はすっかりモーツァルトの良さを共有する仲になり、たくさんのモーツァルトのCDを贈って下さいました。その友人がお手紙で、貞次さんのことを、やはりその当時から、物静かな態度と、やさしい口ぶりの人だったと、そして貞次さんの本質は「やさしさ」だと言ってくれました。そしてモーツァルトの音楽の底流に流れているやさしさに彼のやさしさが魅かれたのではないかと。

作品集の中には、ユニークな作品もあって、それは「真昼の夢ー軽井沢モーツァルトハウス」。

屋外テラスで演奏するのは、左からモーツァルト(ヴィオラ)、テイッタースドルフ(第一ヴァイオリン)、ヴァンハル(チェロ)、ハイドン(第二ヴァイオリン)。曲はモーツァルトがハイドンに捧げた弦楽四重奏曲のうちの1曲:第17番・変ホ長調・K458「狩」。夢でもよいから聴いてみたいものだ。

「夢でもよいから聴いてみたいものだ。」と書かれた、貞次さんの夢。きっと天国で叶っているはず。と言って下さった方がいました。

これが叶って天国で聴いていて欲しい、それが私の夢になりました。。。