丸2年が過ぎて・・・

貞次さんの三回忌の法要を11日に終えて、そして6月14日の命日も普通に静かに過ぎて行った。いつもと変りなく。
貞次さんの三回忌、そして命日と、色々な方から、色々なお言葉を頂いた。「前向きに生きていくことが亡くなった人が一番喜ぶこと」「元気な立振る舞いこそ貞次さんが一番望むこと」「楽しく元気に過ごすことが、一番の供養」、など身に染みる、明日への勇気を貰う言葉ばかり。そうありたいと切に願う。でも、それらが、そうたやすいことではないことを実感してしまう。

三回忌まではと、張りつめていたものが、無事に終えた安ど感の次には、あと何があるのだろうと、空虚感の様なもので、先が見えなくなる。ぼーと空しさを抱えたままでいる自分に、これではいけないといろいろ言ってみる。

素敵なお花を頂き、それを眺めていると、心が晴れやかになってくる。「命日には貞次さんの「永遠のモーツァルト」を眺め、読みながら、貞次さんを偲びたいと思います」、と書かれたメッセージカードが添えられていた。私たち夫婦とはそんなに頻繁にお会いした方ではなかったけど、こうして思い出してくださる、人とのご縁とは、本当に不思議なもの。結ばれ、繋がっていることを感じて私は嬉しくなる。

今朝は、弦楽四重奏を聴いている。一曲目に「狩り」が入っているCD。ウイーン弦楽四重奏団の演奏。「狩り」というと、やっぱり貞次さんの遺してくれた”真昼の夢~軽井沢モーツァルトハウス”を思う。現実にはできないと思っての、真昼の夢だったのだと思うけれど、二人して、絵のようにテラスで演奏される「狩り」を聴いたらどうだったのだろうと、ふと思う。やっぱりこれは夢でしかないだろう。でも貞次さんのお蔭で、私はこんな素敵な夢を見ることができた。

11日は、朝から激しい雨が降っていたが、お墓にお参りの時には、雨もやみ、傘がいらなかった。あさ雨の音を聴きながら、貞次さんは雨が嫌いだったから、だからきっと晴れ間があるだろうと思ったが、その通りとなった。きっと見守ってくれていたのだろう。

短調の曲、15番K421がちょうど始まった。貞次さんが弦楽四重奏曲の中で、特に愛した曲、貞次さん聴こえていますか?