信濃追分駅♬♡

新幹線を利用するようになってから、私の最寄り駅は「信濃追分駅」。軽井沢からしなの鉄道で、小諸方面に向かい二つ目の駅である。

階段だけの、今時珍しい古びた小さな可愛い駅で、駅員さんもいない。改札口もない。自由に通過できる。軽井沢から乗って、切符をどこを探してもない時でも、慌てることはない。切符を入れる箱があるが、気が付かないでそのまま、後は知りません~と、素通りする人もいるくらいだから。

駅としての標高は957mで、日本で一番高い場所に建つ駅らしい。(JRを除いて、JRでは小海線野辺山駅が最高所の駅)

ホームからは浅間山が目の前に眺めることができ、ここからの景色も私は好きである。

東京から着いた時の嬉しさ、ワクワク感、そしていよいよ東京に戻るときなどの、哀愁をおびた寂しさ、またいつ来られるかな~、次はいつかな?また来たいな~、など、思いは様々。。

この駅での思い出は、これだけではない。以前イヴェントをしていた時には、東京からの方々を迎えに行ったのもこの駅だった。軽井沢行きの反対側のホームに着く一行の人たちが、電車から降りで、迎えに行っている私達に手を振っていた下りホーム。みんななんか嬉しそうな笑顔だった気がする。幾度となく、そんなことがあった。軽井沢での思い出は尽きない。

今私がこうしているのも、そういう思い出がたくさんあって、それが私を支えてくれているからかも知れない。いつも貞次さんと一緒だったな~。何もかもが楽しかった、貞次さんを思い出す。

田辺秀樹先生をお招きしてのイヴェントのお帰りに、もう夜も更けていた時刻だったと思う、ホームで、椅子に座り軽井沢行きの電車を待つ間のことを後でメールで、「追分駅は、どこか懐かしいような、愛らしい駅で、風情もあり、旅情をそそられる」などと書かれていたのを思い出す。

駅名も好き、以前不動産売買の関係で、「西軽井沢」と名前が変わりそうになった時もあったそうだが、地元民や別荘地に住む詩人などの反対があってそうならなかったそう。本当に良かったと思う。
追分駅は中山道と北国街道の分岐点から名付けられ、他の駅名との区別で信濃追分駅となった。鉄道紀行作家の宮脇俊三は「旅情を誘われ、信濃路の終わりを感じさせられる」、フリーライターの所澤秀樹は「人生の分かれ道のような感傷めいたものを感じさせる名」と、それぞれこの駅名を表現している。この駅、1923年開業でことし満100歳になったそう。

この一見古めかしい駅だが、近代的な建物になど、絶対に建て替えて欲しくないと思っている。いつまでも、いつまでもこのままであって欲しいと願っているが、上りホームにある待合室が、白アリ被害の為に閉鎖されてしまっている。建て替えられるのだろうか、気になっている。

閉鎖中の待合室
1923年開業の「信濃追分駅」は、今年満100歳を迎えたそう。外観はこんな感じ。