相手を思いやる心!・・・♪♡♠♤

モーツァルトハウス(東京)

♪貞次さんの病気のことは、私は自分で決めて誰にも告げずにきました。病名はよく聞かれました。何の病気?と。その都度、今は言いたくないから聞かないで、いつか話したくなったら話すから、と言うと、それ以上は聞いて来る人はいませんでした。

時が経てば、言えるかも知れない、と思う反面、病人が可哀そうなあまり、私は病名よりも先に、病気になって今闘っているんだという事実さえ、知らないでいて欲しかったのだと思います。結果的にどうにかなった時は、その時告げたら、それでいいと。

貞次さんの退職した会社から、お花をお届けするというお知らせと、OBの方への伝達には病名をお入れしますか、それとも、病気療養中の所、としますかと尋ねられ、やはり病名を知らせたくない私のような人が、遺族の中にはいらっしゃるのだと思い、悲しみの中にある遺族にとっては、これこそが、相手を思いやる心と、その温かさが心に沁みたものでした。

人様にお教えできない病気でもないし、隠さなければならない病気でも決してありませんが、人には言いたくない事、隠したいことはあってもおかしくないし、全てをさらけ出して言わなければならないという規則はないのだと思います。そっとしておいて、見守って下さった方も多く、そんな時は、人の情けのようなものを感じて、辛いながら有り難さが身に染みたものです。

病気と闘うという意識より、上手く付き合って、出来るだけ日常生活を大切に、楽しく過ごそうと二人で決めて、そうしてきました。合間合間に、軽井沢で英気を養い、好物の鰻、エビ天重を食べるのを、治療の後のご褒美にしたり、最後までそうでしたが、病気療養中と言った暗い気持ちは不思議とお互いになく、思い返しても、今生きていることが何と素晴らしい事なんだろうと、心からそう思える2年半を過ごしたように思います。

以前二人で参加していたあるサークルの会合記録に、貞次さんの逝去を載せ一斉メールで配信され、全く違う病気で亡くなったことになっていて、私はそのことを後で知り、驚き、我が目を疑い、愕然としました。

私への病気の確認もないまま、△△さんが何気なく「そうなんじゃないのかな?」と言ったのを、発信元の○○さんが、それを、はやとちりしてしまったのだそうで、「とんだはやとちりで、誠に申し訳なかった」と、後日そのような説明のお詫びがありました。

大きなショックと共に、正直、傷つきました。退職した会社の担当者の対応を思い出し、それとのあまりの違いに、何でこんなことにと。

「未熟者で不束者で恥ずかしい」、「常識をわきまえなかったことは大変恥ずかしい限り」と、丁寧なお詫びを頂きましたが、私が病気をあまりにも、ひた隠しをしてしまった顛末なのでしょうか、恐ろしい思いをしましたが、今となると、滑稽な笑い話の様なお話です。。

貞次さんは、今頃この話を聞き、「僕の最期に、とんだ落ちが付いたねえ。」と、きっと、苦笑しているかも知れません。。。おい、そっちの人たち、しっかりしてくれよ、と、やさしく笑って言っている、そんな気がします。。。