永遠の友!・・♪♡♠♤

モーツァルトハウス(東京)その2

♪コロナを気にしながらも、お参りに来てくださる方が続いていて、貞次さんもきっと喜んでいることでしょう。コロナ禍で、人との接触を避けなければならず、定時的に飲み会をしていたのにできず、2年以上も会っていないという友人も多く、久しぶりの再会がこんな形になろうとは。

先日は、軽井沢でフルートの合奏を楽しんでいた人の来訪がありました。貞次さんは、聴くだけではなく、趣味で吹くフルートの曲もモーツァルトを好み、モーツァルト以外の曲は殆ど吹くことはなかったですね。ピアノ曲でも、ヴァイオリン曲でも、フルートで演奏できる編曲版の楽譜を探しては、一緒に仲間とアンサンブルを楽しんでいました。そして共に演奏した人は決まって、モーツァルト、いいですね!と、それ以降、モーツァルト一色によく付き合ってくれたものです。

軽井沢モーツァルトハウス~真昼の夢~の絵も描きましたが、一度だけでしたが、仲間とあのテラスで演奏した事もありました。そんな時は、風が吹くと、譜面台の楽譜が風に飛ばされて、風のいたずらに苦笑していました。ああいったシーンを思い出すと、もっとあんな愉快な機会を作ればよかったのにと思います。

貞次さんは、やっぱりモーツァルトの人、フルートの人、といった印象が私には強い。私の実家に帰郷の際も、フルートはいつも持参するので、2階で、窓を開け放してよくフルートを吹いていました。すると両隣、御向いさんまで、夏の楽しみと言って下さり、「聴きほれていた」と、わざわざ言いに来てくれる方もいて、照れながらも嬉しそうにしていた顔が思い出されます。音楽とは、みんなの心を一つにし、会話は必要なく、上手い下手にかかわらず人の心を和やかにしてくれるものと実感したものでした。

そして、懇意にして頂いていたAさんからのお便りには、コンサートで貞次さんが好きだったフルート四重奏曲第1番K285のフィナーレを聴いていたら、突如として貞次さんの事が脳裏を掠めたそうで、「お好きだったこの曲の持つ喚起力が貞次さんの魂と交流して私の心に降りて来たものと確信しております。」と、綴られていました。

貞次さんはいなくなっても、こうして、モーツァルトの音楽がある限り、きっと記憶の片隅にでも、貞次さんと言う人間の存在を思い起こしてもらえるのかなと、感慨深くなりました。

モーツァルトは、私にとっても、やっぱり永遠の友であり続けるのだと思います。