山百合と鮎!・・♪♡♠♤

♪軽井沢では、今頃、山百合が咲いているだろうな。自生の百合です。香りが強く、また大輪なので、緑一色の夏の軽井沢ではひときは目を引きます。見に行きたいなと思います。山百合が終われば、家の周辺は、みなづきが咲き、オレンジ色のフシグロセンノウが咲きます。この頃も、このお花たちに会いに出かけたくなります。自然と共存している軽井沢では、四季折々、お花を眺めるのも、大きな楽しみの一つです。

何日か前に鮎を食べました。貞次さんも鮎が好きでした。母がまだ生きていた頃は、お盆で秋田に帰省した折には、毎晩のように鮎を出してくれました。毎晩続くと、義理の兄などは「僕は一日食べれば、鮎はもういいよ」と言うと、貞次さんは「僕は10匹でたら、10匹でも食べられる」と言っていましたから、相当好きだったんでしょうね。母にとっては食べさせ甲斐があっただろうなと思います。

日本海の魚は何でも好きで、ハタハタも、またきんきも好んでいました。「きんきは、みんな煮魚にするけど、塩焼きが一番なんだ」と言っていました。東京では、きんきなど、滅多にみないので、食べさせたことはありませんでしたが、本当に魚好きな人だったなと思います。ほとんど食べられなくなって、でも、鮎を焼いてあげたら「うん、これなら食べられる」と言って、食べてくれました、最後に食べたお魚は鮎でしたから、私にとっては鮎は、貞次さんとの思い出と切っても切れないお魚です。

ここの所、喪失感で、モーツァルトをいくら聴いていても心が晴れず、この世の今起こっている全てのことが、嘘であって欲しいと思ったりします。こういう時は、どういう風に乗り越えていくのか、答えがあるなら誰か教えて下さらないかなと、思います。

大切な人を失った悲しみ、寂しさ、その辛さがどういうものであるのか、今頃、やっとおぼろげながらわかるような気がする。

応えのない写真に、今日も「おはよう」と声をかけ、朝茶をいれて、貞次さんと、私の湯のみに注く、「一緒に飲もう」と今も語りかける、これが貞次さんのいない今も続く毎日のはじまり。応えはないけど、きっと「喜美ちゃん、きょうも、ありがとう、美味しいね~」と、言ってくれているはず。

それからは、あと、ぼ~と、なにも手に付かずに過ごす毎日。。。