半年が過ぎ

6月14日から半年が過ぎました。いつの間にかという思いです。光陰矢の如しとか、昨日は今日の昔とかいいますが、時は経っていくものなのですね。人間の意思とは関係なく、川の流れのように。

当初、私は、何気ないお買い物で店員さんがレジで親切に応対してくれたり、普通は当たり前の行為として受け入れるような事にも、有難さが身に染みて涙ぐんだりしたことが、何度もありました。それが同年代の人ではなく、特に若い人に親切にされたときは、頭をさげて涙ぐみながら何度もお辞儀をして帰ってきたりと、その逆もあり、いつもなら、見過ごしたりできていた不親切や相手を思いやらない応対に対して、つい怒ってみたりと、こんな時はいつもの私じゃないなと、思ったもので、きっと相当情緒不安定だったのだと思います。あまりの寂しさ故の不安定さかなと。怒りはともかく、人の情け、それも縁もゆかりもない人からの親切がなんと有難く、身に染みたことか。

コロナが今ちょうど落ち着いているせいか、ここの所お参りに何人かの方が来てくださいます。お線香をあげて、仏壇の写真に語り掛けて貰い貞次さんもどんなにか喜んでいることでしょう。会いしたいと思いながらここ数年は、コロナもあって会わずじまいでしたから、きっと一杯やりたいなと思っていた人も多かったはずです。

こんな方々とお話ししていると、本当に心が和みます。今も貞次さんは私と一緒にこうして存在していることを見てもらえるだけでも嬉しいこと。

💛一緒に懐かしみ、共に過ごした日々に思いを馳せる、そんなひと時を過ごした日は、お帰りになった後も、心がほんわかして、余韻を貞次さんといつまでも楽しんでいるのです。
ありがとうございました。