ありがとうの大切さ♬♡

最近は、寂しくて涙ぐむことは、ほとんどなくなってきた代わりに、貞次さんの優しかったこと、どんなに大事に思ってくれていたかなどを、思うにつけて、涙が止まらなくなることが多くなりました。自分勝手で、随分我儘を言っていたなと思うのに、私を叱ることもなく黙って何も言わずに受け入れてくれていた貞次さん、しみじみと、有難かったなと、その優しさに涙がこみあげてくるのです。

整理がうまかった貞次さんの机の引き出し、クロッゼットの中、果ては物置の中迄、どこを開けてもきちんとしていて、それは本当に気持ちがいい位に綺麗に整頓されていた。見習わなければならない所がたくさんあったのに、と思う。
ファイリングにしても、背表紙をつけて、すぐわかるようになっていて、私は今、どんなに助かっていることか。

こんなこともありました。私はよく母に、部屋がなかなか、片付かなくてイライラしていると、「出したものを、元の場所に戻してさえおけば、いつもきれいになっていて、何も難しいことではないのに・・」と言われた話をした時も、何も言わず、にこにこ笑って聞いていた貞次さん。そうだ、そうだ、とさぞ言いたかったでしょうに。

思い出すのは、食事の時、食卓に並んだものを見て、第一声が「おいしそう!」だった。決まってそう言ってくれていた貞次さん。それが、どういう風に本心だったかは、今は知る術もないけれど、おいしそう!と言って貰えたのは、当たり前のことではなく、もしかして、私への思いやりだったのかと、今にして思う。

そして「ありがとう」も当たり前のように言われた。ベットに伏して、苦しい最期の時まで、何か私にして貰う度に「ありがとう」と、言っていた貞次さん。

♡何もかもが、本当に優しい人だったな~と思う。私からは、こんな優しい貞次さんにありがとうの一言が、ちゃんと言えていたのだろうかと、もっとちゃんと、伝えればよかったと、心底思う。ごめんなさいね、と、今は心の中で詫びている。そして、そんな貞次さんに、もっとしてあげられることは、なかったのかな、と。

親孝したい時に、親はなし、とは言うけれど、私は、そんな心境で、一周忌を間近にして、感謝しては泣いていて、また悔やんでは謝って、そんな日々である。