14日に思う・・・

一周忌の法要も無事に終え、その2日後、今日14日は命日です。一年がこうして過ぎたことになります。
重い気持ち、ふさぐ思い、辛い哀しみ、楽しくてわくわくする思い、明日が待ち遠しいほどの喜びを抱える時も、どんな思い、境遇にも関係なく、時というのは確実に前に刻んでいくものなのだと、実感します。

この1年を振り返ると、なんにもない空っぽのようでもあり、いっぱい詰まって、重すぎるものを引きずっているようでもあり、いま自分が、ここに、こうしている事さえ、不思議な気がする。

一周忌の時に、義理のお姉さんが、ふっと”定めなのよ”とおっしゃった言葉。貞次さんの死に至った病気の話をしていた時だと思う。”そうね、定めかも知れませんね”と、私は返したような気がします。

今朝は、貞次さんに今日だったわね、とひとしきり語り掛けてから、やっぱり私は貞次さんの好きだった20番のCDを取り出して、かけている。

この20番を聴き、モーツァルトが好きになり、”永遠の友”とした貞次さん、多分第一楽章でノックアウトされ、第二楽章で意識がもうろうとするほど好きになり、第3楽章のフィナーレで魂を抜かれたみたいに、とうとう椅子から立ちあげれなかったのでしょう。よ~く分かります、その気持ち!

モーツァルトに出会えた人生は、どれ程幸せだったものかと思う。これに勝る幸せがあるだろうかと、私は思う。私もそうだから、もし、モーツァルトに出会えなかったら、これほどまでの幸せな人生は、得られなかったと思う。もしこの20番に出会っていなければ、貞次さんは、モーツァルトに出会っていなかったのではないか・・、そう思うと、20番に出会え、モーツァルトに出会えた貞次さんの人生は、本当に良かったなと思う。

今日の命日、私は貞次さんの笑顔しか思い浮かばない、笑って、私が流すモーツァルトを聴いていてくれるに違いない。

今日のこの日を覚えていてくださり、お電話や、メール、お手紙、お花を贈ってくださった方々、ありがたく、感謝の言葉しかありません。貞次さんは幸せ者です。。