遺してくれたもの♬♡

来週は大阪へ行く事になっている。
オーストリアを代表する芸術家の一人、フンデルト・ヴァッサー(1928ー2000)の日本にある建物を見に行くのだが、それが大阪の舞洲という所にあるという。この建物の見学ツァーにある方が誘ってくれたのです。
私は貞次さんから受けた影響は数知れずあるが、その中でも、何が一番かと問われると建築だったと思う。もともと建築には興味もあったし、建物を見るのも好きだったが、貞次さんのお陰で建築への興味が益々湧くようになった。フンデルト・ヴァッサー の建築物などは、貞次さんの影響がなければ一生知らずに過ごしていたと思う。

2018年のウィーン旅行の際に、 初めてフンデルト・ヴァッサー の建造物をみた。バロック様式やルネッサンス様式など、古い建築が並ぶウィーンの街中に突如現れ、テーマパークの様な色鮮やかな建物や、自然と調和された優しい曲線美など、今まで見たことのない建物に圧倒された。彼の作品が日本にもあることはその時に調べて分かった。彼は、日本に住んだこともあり、奥さんも日本人であったとか。
貞次さんとは大阪に一緒に見に行こうと約束しながら、残念ながら実現出来なかった。だから今回こうして誘って頂いた時には、私は後先考えずに即、行こうと決めた。

貞次さんは一度は就職したものの、建築の道を諦めきれず、一大決心し、その夏8月くらいに、会社を僅か4ケ月足らずでやめてしまった。その時の親の反応は、あとで聞いたことがあったが、猛反対だったそうで、それはそうであったと思う。でも、私が思うに、貞次さんの最大のラッキーは、母校の建築学科に翌年の4月から編入できたことだと思っている。運よく編入試験に合格したからだが、そこで失敗していたら、貞次さんの人生はまた違ったものになっていただろう。
本人もここで試験に受かっていなかったらどうなっていたのだろうかと、私にも何度か言っていた。転機点であった事は間違いない。こうして回り道ながら晴れて建築の道に進むことができた。めでたしめでたしである。

卒業後は、建設会社の設計の部門で、ずっと設計一筋、幸せだったと思う。”悔いのない人生だった”と、私に何度も言っていたのは、好きな道を歩めた己の人生への満足感からでもあったと思う。

職業柄、たいていの事は質問しても、ちゃんとした専門的な答えが返ってくるのも心地よかった。もっと聞いておけばよかったと思う事も多々ある。もう聞いても答えのないことを寂しく思う。いつまでもあると思うな親と●●というが、失くす前に大切にしなさいという戒めの言葉と思うが、今となると仕方がない。心の中に遺してくれたものを灯していく事は、私にも出来るような気がしている。

だから、約束だった大阪舞洲に、一緒にいこうね~。

ウィーンにあるフンデルト・ヴァッサー ハウス(左、中央)と、クンストハウス(右)。ウィーンの街中にあって、全くもって違和感なし。