寂しくても楽しく~その2

最愛の夫をなくしても、”寂しくても楽しく~”をモットーに、今も料理研究家として活躍の栗原はるみさん、最近また彼女の「寂しさを、自分のやり残したことで埋めていきたい~」との言葉に深い感銘を受けた。私にとってやり残しって何だろう、と考えるようになった。

貞次さんは、「やり残しは何もない、やりたいことは全部やった、思い残すことは何もない」と私に何度か言ってあの世に行ってしまった。一体あの世では今頃何をしているのだろうか。何かまた新しい事でも始めているのだろうか。
何も思い残すことなく、満足してこの世を去ったのなら、私はこれ以上なことはないと思っている。幸せな人だったと思う。
受け取りようによっては、「そう自分に言い聞かせていたのでは?」と思う人もいるかもしれないが、決してそうではないだろう。。本心で、芯からの気持ちだったに違いない。私に言った時の顔も、その姿も、何処で言っていたかも鮮明に今でも、私は思い出せるのである。

でも、ただそうではなかったかなと思う事が、一つだけある。それはおのろけになってしまうかもしれないが、「これからもまだまだずっと一年でも長く、いや一日でも長く喜美子と共に生き、二人でこの家で、老後を穏やかに楽しく過ごして行く日々、それが何よりの楽しみだった」と言い残してあった。

貞次さんの心残りとした、私との一日も長い楽しい余生・・・、それは、私とて同じで、もうちょっとでもいいから長く一緒にいたかったと思う。それは残念だったけれど、出会えたこと、それまでの日々、それらに感謝しないと。

夫婦とは、色々な形があると思うが、今思うのは、私たち夫婦は、お互いにとってのよき理解者であったな、と思う。短所も、欠点も、至らなさも、全てを丸ごと受け入れて、こんな私のよき理解者でいてくれていたな、と感謝しかない。

やりたいことは全部やったと、言える人生、貞次さんがそうだったように、私もそう生きたいと思う。一日も長くと思って、最期まで頑張って生きてくれたんだと、今にして思う。闘病生活と言えども楽しかった日々、お互いを支え合って生きた記憶、ぎりぎりまで、それができたではないか。長ければいいと言う事でもないだろう。人間には限りというものがある。

♡貞次さんが私に遺してくれた「永遠の友モーツァルト」(絵画と建築 高橋貞次作品集)は、いつも私に語りかけてくれている。「僕の生きた証」と言っていた。
100名を超える人の名前を書いたリストも私に残してくれた。その人たちに渡った貞次さんが魂を込めたこの作品集が、今もどこかで生き続けていてくれたらいいなと思っている。