近づく三回忌・・

梅雨入りかな??と思わせるようなお天気が続いている。これから数日雨が続き、そして梅雨入り宣言なのだろうか。

来月11日には、貞次さんの三回忌を控えている。私は、忙しくいろんなことに追われながらも、何となく落ち着かない日々。したいと思っていることは、とにかく、待てよ、とりあえずこの三回忌を無事に過ごしてからにしようとか。今は無事に終えることが何よりも肝要・・・といった心境。

2021年は、6月は、梅雨と言ってもあまり雨の記憶がない、それともお天気には無頓着に毎日を過ごしていたせいなのか、カラ梅雨の年だったのか。正岡子規の句にあるように、綺麗な風が吹いていた、そんな14日に貞次さんは逝ってしまった。本当に静かに、静かに、違う世界に連れていかれてしまったように、いつの間にか。

しっかりした人だった。何事にもきちんとした人だった。あ~もう先は短いかなと思わせることは一度もなかった。それまで苦しそうな感じはなく、いつも静かに横たわり、綺麗な顔をして、いつもの貞次さんだった。だから、私は、今でも、そんな貞次さんの姿しか思い浮かばないし、いつもふざけあって、笑っていた。苦しい時も、じっと耐えていたのだろう。そういう意味では強い人だった、身体も、気持ちも。

5月29日まで、日記もつけていた。何時に薬を飲んだとか、そんなことを几帳面に記入していた。5月30日から先は、空白になったので、私がメモを書くようになっていた。それからわずか2週間・・。

♬今晩の日本モーツァルト協会の例会は、2曲、K515と、K516、何と贅沢なプログラムでしょう。弦楽五重奏曲の双璧、この世に存在する弦楽五重奏曲を代表するべく2曲が、今晩一緒に演奏されるのです。一方は長調で、一方は短調、どっちが好きかと問われると、我々仲間でもよく分かれる。その時々でも好みが変わったりする。

K516は、ト短調なのに、長調に転じて終わるという賛否両論の感想を持たれる不思議な曲。
アインシュタインが「慰めなき長調」と評した曲。「この五重奏のフィナーレは、表出的な短調の序奏ののち、ト長調に転ずる。しかし、アインシュタインが、「慰めなき長調」と呼んだように、それは、ウィーン的な晴朗なフィナーレではなく、またベートーヴェン的な歓喜でも、決して、ない。いわばモーツァルト的な彼岸の世界といってよいだろうか。」(作曲家別名曲解説 ライブラリーより)

この転調の妙が、この曲の聴きどころ・・。演奏者によって、いかようにも解釈される部分。今晩がとっても楽しみである。