母は偉大哉~♬♡

ある会で、偶然知り合った方が郷里が秋田で、そして年齢も近かったので親近感を持ったが、もっと話していたら、何と高校も同じだったことが分かった。こんなこともあるのね~と、お互いに喜んだ。
彼女は、男鹿の出身で、秋田市の高校には汽車通だった。(この言葉、今ではほとんど使わないだろうが、我々の世代は学校に汽車で通っていたことをこう言った、懐かしい言葉)。

何となく、雰囲気から近いものをお互いに抱いていたが、やっぱりという思いであった。何を話していても共感出来たり、よくわかる。

私の長年のご贔屓のお店の秋田市民市場の「高寅」さんのことを話しても、「あ~、知ってる!私もずっと高寅さんよ」と返事が返ってくる。何を話しても通じる嬉しさがある。

そんな友人と久しぶりに会ったら、お母様が急に亡くなり、そのお葬式やらで1週間帰省していて、昨日帰ってきたばかりという。

103歳で、気分が悪いと伏せていたが、数日後にそのまま逝ってしまわれたそうで、苦しむこともなく、まさにピンコロだったのよ、と。天命を全うされたのだ。

このお母さまのことは、車いすにはなっていたが、毎朝の着替えもご自分でできて、お話もちゃんとでき、ボケなど全くないと、以前から聞いていた。最期はこうして長患いもなく逝けるのは、誰しもが望むことだと思いながら、お悔やみをお伝えした。

ご自分は末っ子だから、一番上のお兄様は80代になっていて、お葬式のあとで、兄が、順序が逆にならないでよかったよ、と話していたという。

何にでも、順序というものがあるのだから、お兄様にも、先には逝けないという強い思いがあったのだろうと、私も思う。

「100歳を超えていたとは云え、やはり寂しいわ」、という言葉に、私も頷いてしまう。

私も、いまだに母の面影を追って暮らしている自分がいる。60代で母は亡くなったが、70代になった今でも、母が生きていたら、こんな時、私にどんな言葉をかけてくれるのだろうか?今の私にかけてくれる言葉を聞きたい、そんなことを思う。
そして、時々、こんな時はどうしたらいい?と聞いてみたくなる。母は、今の私をみて、どんなことを、言ってくれるのだろうか、と、ふっと思う。

どんな年齢になっても、やっぱり母は母であり、どんな時でも生きていて欲しいと願うもの。母がそばにいてくれたら、どんなにか心強いかとも思う。母とは、偉大である。