懐かしの「桂離宮」♪♡

貞次さんと訪れた京都「桂離宮」、2017年7月20日のこと。
ブルーノ・タウトをして、泣きたくなるほど美しいと言わしめ、日本建築の世界的な奇蹟と讃えられた「桂離宮」。
それなのに、建築を学びながらまだ「桂離宮」を訪れたことがないと、貞次さんは言っていた。それなら行きましょう!と誘い、宮内庁への拝観願も私が出し、そうして行って来た思い出の「桂離宮」。

今年、姫路の友達がどうしても行ってみたいと言うので、それなら行きましょう、となって今回も私が拝見願を出し、宮内庁からの拝観許可を貰っていた。

京都へ出発の日、私は東京駅で何気なく「いざいざ奈良へ」の大きなポスターをみていたら、小さく下に「法隆寺夢殿「救世観音像」御開帳、期間10/22~11/22」と書いたのが目に入ってきた。
えええ???、本当に?と、我が目を疑ってよくよく落ち着いてみてもそう書いてある。

2日目は友達と「桂離宮」を廻る日だが、初日は1人プラプラしようと、何も計画していなかった。それなら、奈良へ行こうと、東京駅で決めた。

午後京都に着き、お昼を済ませ私は奈良へ向かったが、法隆寺は、昨年2月のこれもまた友達が「百済観音」さんを拝みたいと言って、二人で法隆寺を散策したばかり。その時はお隣の中宮寺さんにもお詣りし、聖女様を思わせる半跏の観音像にもお会いしてきた。

法隆寺へは、京都からJR奈良線で奈良で乗り換えたら3つか、4つ目で、そこからは歩くかバスなので、もう私には勝手知ったる所になっている。

八角形をした夢殿は、法隆寺の東院伽藍にあって、その中央には聖徳太子の等身大とされる秘仏「救世観音像」が安置されている。
修学旅行生に交じって、私は金網越しに目を見開いてこのこのお像様に見入った。思い起こせば、これは2度目のことで、貞次さんか、または姉と拝観した記憶が蘇ってきたが、定かではない。遠い記憶。
古美術の研究に来ていたアメリカ人のフェノロサによって、数世紀も誰の眼にも触れなかったこの秘仏の扉があけられと伝わる物語を思い起こすと、私は何とも表現しがたい感動を憶える。引返して2度回ってこの有り難いお像さまに手を合わせて来た。

2日目は、京都駅で友達と待ち合わせ、桂離宮にはバスで向かった、バス停から桂離宮へは、貞次さんと歩いた懐かしい道を歩いた。はっきりと書かれていた赤い矢印は薄くなっていて、今ではもう見えなくなっていた。時が経ったことを感じた。

2017年は、神戸で佐渡裕指揮の「フィガロの結婚」を仲間と鑑賞し、翌日京都に寄って訪れたが、京都の7月は暑い盛りだった、それでも二人で、「桂離宮」を拝観出来たことは何よりの思い出。行ってよかったとしみじみと思っている。
そして、私は2度目となったが、思い出を辿っての桂離宮は、あの時のままで何も変わらず、ただ移りゆく時の流れだけを感じた。

暑くもなく、寒くもなく、紅葉にもちょっと早くて、ひどい混雑もなかった。この時期を選んでよかったと思った。

来年もまた京都で会いましょう、と友と別れたが、友の存在は有り難く、いつまでもお互いに元気でいたいものだと、そう思った。

2017年、今年は、この赤い字の矢印はもう薄くなって見えなかった。
暑い暑い盛りだった。

神戸で鑑賞した「フィガロの結婚」

2025年の桂離宮、
「住吉の松」衝立の松と呼ばれ、視界を遮る効果があり、この先への期待を持たせるものらしい・・考えられている。

うっすらと紅葉が始まっていた。

松琴亭、一の間、藍と白の市松模様、コントラストが美しい、今の世でも通用するモダンな感じがする。