貞次さんを偲ぶものと言えば、勿論一緒に楽しんだモーツァルトが1番に違いないのだが、でも貞次さんが私に最も印象深く残してくれたものと言ったら建築のことかも知れない。
建築一筋だった貞次さん、いや建築と言うよりは、設計だったのかも、どうしてもこの道を諦めきれずに、ひとたび就職したのにそれを辞めて、母校である早稲田大学理工学部建築学科に入り直して、生涯建築一筋、設計一筋の人だった。
両親からは、早期退職時に、猛烈な反対を受けたらしいが、それを押し切り、わが道を貫いた。根性の人かも知れない。私はもともといい建物を見たり、良いデザインの部屋や、インテリアにも興味があって、住まいにも自分なりのこだわりを持って生きてきたので、そんな貞次さんとの出会いはとても嬉しかった。貞次さんのお蔭で、沢山のことを学んだ。今でも、貞次さんから聞いていた有名な建築家の名前を思い出しては、どんな建築物を残した人なのだろうと、調べたりするのを楽しんだりしている。この目でみたくて、ホテルや旅館だったりしたら、そこに泊ってみたくて、実際に泊ってみたりもしている。
そのことは、今の私の人生を楽しいものにしてくれている。本当に有難いと思っている。貞次さんの設計した家に住み、隣には娘家族の為に心血を注いで設計し、建てた家がある。そこでの娘家族の幸せな営みを感じながら過ごすことも幸せなことである。軽井沢の家もそう。貞次さんの思いに溢れ、こだわり、愛が詰まった家である。
そんな貞次さんを引き寄せたのか、ここ荻窪には歴史的建造物も多く、明治初期より医師、学者、文人や、政治家、実業家などが居を構え、その住居も多く残っている。古くからある下宿兼旅館は有形文化財指定になっていて、昭和初期のレトロな姿も今に伝えている。
私は今、その杉並区の文化協会が主催する建築関係の講座に通っている。南荻窪エリアには、音楽評論家の草分けといわれる大田黒元雄の住居跡の大田黒公園、角川文庫創業者の角川源義の邸宅と庭園、三度に渡り内閣総理大臣を務めた近衛文麿の邸宅と庭園などがあり、それらは登録有形文化財や、国の指定史跡として今も名残をとどめている。
これらを、巡って歩いたり、講義を受けたりしているだけで、貞次さんが蘇ってきて仕方がない。もし今もいたら、あれこれ話していただろうし、聞いてみたいと思う事ばかりである。
貞次さんが中学一年で転校してきて、住み始めたここ荻窪の地。こんなに建築と関係深かった地であったとは。
大田黒公園、角川源義と近衛文麿の邸宅と庭園は、互いに徒歩数分の距離にあり「荻窪三庭園」と名付けられ杉並区により一体的に保護されている。
近衛文麿は、目白に本宅があったが、この荻窪の邸宅を好み、歴史を動かす荻窪会談など重要会議が行われた場所として、国の史跡にも指定されている。私がこのお正月に京都で訪ねた「無鄰菴」(山縣有朋の京都別邸)もその一つ。近衛文麿が自決したのもこの荻窪の邸宅の書斎であった。
三庭園をめぐる人々の足跡と貴重な文化財の数々、そんな魅力のある地に、貞次さんは引き寄せられたのかも知れない、ふっとそんな風に思い始めている。
