埋められない寂しさ~

先日、知人のご主人様の訃報が私にも届いた。何度か軽井沢モーツァルトハウスでのオペラの会にも参加してくださっていた方で、その以前にもご主人とお二人でモーツァルトハウスを訪ねてくださっていたので、ご主人のことも存じ上げていた。今その悲しみはいかばかりかと察すると、私も胸が苦しくなる。

夫や妻を失う哀しみ、辛さは、失った人でなければそれは分からない。どんなに映画を観ても小説を読んでも、また体験記を読んだとしても、その悲しみは本当のところは分からない、体験して初めて知ること。

私も、今まではそうだった。でも、自分が体験して初めて、本当に初めて、この悲しみがどれ程のものかを知った。

数日たった今頃、どういう時間を過ごしているのか、自分のことを思い出すと、だいたい察しが付く。とにかく、寂しいのよ~、私もそうだった。とにかく、本当に寂しい、でもそれは1年や、2年でも終わらない、3年経ったって、それは変わらない。7年かかるわよ、と言われたこともあったから、そうなのだと思う。貞次さんを見送り、そのあとの日々を振り返ると、今のその方の悲しみと重ねて思い出せる。いつまで経っても、寂しさは同じ。

今はまだ無我夢中の日々だと思うが、少しづつ落ち着きを取り戻した時の、また新たな寂しさをも忘れることはできない。何かを拠り所にして生きていくしかないのだと思う。それは、人それぞれ、家族の支えも大きいし、また友の存在だって欠かせない。好きな音楽がより大切なものになってくる。音楽で結ばれた絆と言うものも大きな支えになってくれる。自分で見つけるしかない。明日に希望が持てるまでには、時間がかかる。何年かかるか分からないが、その歩みを一歩ずつ進むしかない。

私の場合は、とにかくいつも今も一緒、貞次さんは生きていると思っているから。一日、何度貞次さんの名前を呼んでいることだろう。どんなに寂しい夜でも、貞次さんに語り掛けていれば、どうにかなっている。いつも私を励ます貞次さんの声が聞こえる。

ご主人様のご冥福を心からお祈り申し上げます。