昨晩の日本モーツァルト協会の例会は、「シャーロット王妃とロンドンの師」というタイトルで、モーツァルト8歳時で作曲したロンドン・ソナタ6曲と、J.C.バッハの曲2曲が演奏された。
とても貴重な演奏会で、演奏楽器は、バロック・フルートと称されるトラヴェルソとチェンバロで、モーツァルト当時の響きを再現したものだった。
このロンドン・ソナタと呼ばれている曲には、苦い思い出がある。遡ることもう20年も前になる、今までオフレコにしてきたが、その必要はもうないだろう。もうとうに時効である。
ある会で企画運営をしていた頃、このロンドンソナタ6曲を演奏する企画があって、実現までいったが、これを演奏するピアニストさんの母親という方の発言で3曲に減らされた経験がある。その発言とは、「このわずか8歳で作られた曲を6曲も続いたら、飽きてきてしまい、その幼さ?で魅力のない演奏会になってしまう、せいぜい2曲くらいにして欲しい」との要望があって、押し切られてしまったのだ。今でも、なぜ母親と言う立場の方がこのような発言をしたのかなどは思い出せないが。そして、フルート奏者を誰にするかとなって、貞次さんのフルートの先生にできたらお願いできないかとなった。
コンサートの前日のリハで、初めてこの演奏者二人は顔合わせをして、何とかリハも終わったものの、その夕方我が家にこの先生から電話があった。「全くひどい、レベルが合わない、やめたい、明日は行かない」、そういうのである。
私たちは真っ青になったのだが、何とか気持ちを落ち着かせてくれたのか、約束の時間には現れなかったものの、本番ぎりぎりには到着してくれ、どうにかこの日のコンサートは事なきを得て終わった。
が、大きな教訓になった。お二人でも三人でも共演者は此方がよさそうと決めてしまうのは、このような危険なことでもあるということ。出演者にお任せして相手を決めてもらうべきであるということを、貞次さんと私はこの教訓から学んでいる。
しかし、昨日のフラウト・トラヴェルソの柴田俊幸さんと、チェンバロの西山まりえさんは素晴らしかった。お二人の演奏に心揺さぶられた。かつての某ピアニストさんの母親の発言も思い出したが、曲を良くも悪くもするのも、演奏家次第、それに尽きると思った。あの時の教訓は何だったのかと思った。覆された思いがした。
幼過ぎるなどみじんも感じさせず、どの曲からも、瑞々しい魅力を思う存分に私は感じ、あたたかな、柔らかな、優しい音色が、心の奥底まで響いた。
出演者からのメッセージでは、お二方ともに、ロンドン・ソナタ6曲を演奏する機会を得て光栄で嬉しい、楽しみ!とあった。いつもと違う視点から解釈し、大胆に演奏したいと迄、意気込みが綴られていた。私はうまく表現できなくて、もどかしいが、優れた演奏家お二人により、それが実現されたのだとストンと胸に落ちた。
10月に大賀ホールで聴いた、岡本誠司さんのブゾーニもそうだったが、すぐれた演奏家は曲をより良いものにしてくれる。
かつて貞次さんと味わった、あの遠~い日の体験を思い返しながら、しみじみと今日は昨晩の余韻に浸っている。
