やすらぎの家♬♡

軽井沢の家も冬には閉めるようになった。貞次さんといた頃は冬も訪れ、軽井沢の真冬をも楽しんだものだが、それも今では遠い思い出になりつつある。

水止めなど、冬支度の用もあって、軽井沢に来ている。暖冬のせいで、日中も10度以上あり、天気予報では11月の気温だという。初冠雪を迎えて浅間山の中腹までかぶっていた雪も今はなく、てっぺんに少しあるだけ。

軽井沢は、澄みきった空の青さや、澄んだ空気の清々しさも、落葉した木々の間から眺める浅間山の雄大さや、なだらかな裾野の広さなど、今も二人で楽しんだあの頃のまんま、何も変わらない。また冬も来たいな~と思うものの、一人で冬を過ごすのはやっぱり無理かなとも思う。

この窓から眺める冬の浅間山も好きだった。大きな木々で遮られていた姿も、木々がすっかり落葉してしまう冬は、浅間山がこの窓からよく見える。
一面緑の頃もいいが、こうした冬の風情も貞次さんは好んでいた。よく外に出て薪になりそうな木を探して集めたり、フルートもよくこの家で吹いていた。ここに来る時には必ずフルート持参だったから。何もかもが懐かしい。

加藤先生は、喪主のご挨拶の中で、年齢差があってのご主人との結婚だったので、奥様を亡くされた辛さを二度と味わわせたくない、年齢差を考えたら順当な見送りだが、でも世の中何が起こるかわからないので、望んだとおりに、自分がそれも自宅で見送れたことでほっとしたと、おっしゃったが、それは、ご主人への慈しみ、愛のこもった言葉だと私は感じた。

形式ばったご挨拶ではなく、主人と結婚できて私は幸せだった、最後の3年間は大変で、温厚な人だったから、施設に入る、とも言われたが、私が一緒にいたかったから!と涙された。
先立たれた奥様も、息子さんお二人も、そして息子さんご家族もいいご家族で、主人は幸せだったとおっしゃったが、私は先生こそ最高にお幸せだったのではと、思った。

両側で、先生を支えるように息子さんお二人が立ち、その真ん中でご挨拶されたスリーショットの光景が、私にはとても羨ましくもあった。
お幸せな、人としての、人生のありようの、素晴らしいものを見せて頂いたようで、そんな思いで、私は涙があふれた。

「俺はハレ男」が口癖だったというご主人の言葉通り、通夜、ご葬儀と、抜けるような青空、遺影のお写真は、真っ青な空の下、笑顔のご主人と後ろにマッターホルン、お二人でスイス、イタリア、オーストリア、ドイツと廻られた時の1枚だそうで、お幸せを象徴するかのようなお写真だった。

モーツァルトが好きになったことで、この家はモーツァルトハウスとなり、こうして様々な方々とのご縁を頂き、私達は幸せな日々を歩ませて頂いた。

思い出は限りなく・・こうした貞次さんとの思い出を一つ一つ懐かしみながら、ここでは過ごしている。

2020年11月の浅間山、この時が、貞次さんと訪れた最後の冬となった。

この時の玄関先でのツーショット、貞次さんと私。

2007年1月が、お二人で見えた最初だった、その時の先生とご主人。ご主人は温厚な方で、いつもこんな笑顔だった。