丸3年~

貞次さんの命日迄あと3日、ここの所、そのせいなのか2晩続けて貞次さんの夢を見た。それがいいのかどうかは分からない。せめて夢にでも出てきて欲しいと、願うひともいる。でも、夢に出てくるのは、どうだこうだと、あまり肯定をしない専門家もいるようだし、でも夢で会えるのは夢の中だけとはいえ、嬉しい。

2回とも同じような時間で、1回目は素晴らしくいい夢、次は何となく起きて暗い気持ちにさせられる夢だった。でも貞次さんだった。

14日がくると、ちょうどまる3年になる。あの時のことは思い出しても辛いだけで、記憶から消し去りたい。だからあまり振り返りたくない。貞次さんとの楽しかった思い出だけに浸って、それを思い返している方がずっと元気が出てくる。

思い出だけは、思い出し尽くせない程たくさんある。優しい、いい人だったなと思う。決して自己主張の強い人ではなかったが、こうだと思ったら貫く強い意志を持った人だった。

私と貞次さんは、人の好みも不思議と似ていて、お互いに好きな人は同じだった。だから自然そんな人たちとのお付き合いが殆どだった。だから同じ波長の人達の中で穏やかに楽しく過ごした。

モーツァルト好きも最大の共通点だったので、お互いにモーツァルトに夢中になりながら過ごした。モーツァルトの足跡を訪ねる旅にも何度も出かけたし、音楽祭への参加は勿論のこと、貞次さんは毎年年賀状用に、楽しそうにモーツァルトの絵を描き、軽井沢の家を”モーツァルトハウス”とまで名付けたりした。そこには演奏家を招いたり、モーツァルト仲間を呼んでは、オペラを観たり、集いの会を何度も開いた。

やり残しは何もないと言ったのは、本心だっただろうと思う。やりたかった建築の道にも進めたし、やりたいことは全部やったと言い切って、違う世界に旅立ったのだと思う。残された私のことは心配していなかったように思う。自分が旅立った後も、今までの思い出を胸に、これからも同じようにモーツァルトと、そして今までお付き合いしてきたあたたかな人たちと過ごして行けばいい、そう思っていたに違いない。そして、「僕は喜美ちゃんのそばにいるから、ね」と、言葉にこそ出して言わなかったが、そう思っていたに違いない。

見えないけれども、そばにいる、そんなことがあるんだと、私は思っている。
自分にとって大事な人の魂は形こそここにはなくても、いつまでも存在するとそう信じることが出来る。
こんな私でも、何とか丸3年がいつの間にか過ぎようとしている。モーツァルトさん、そして皆さん、そして貞次さんのお蔭で。