フレッシュさ♬♡

24日にサントリーホールで聴いた「ヴァイオリンとヴィオラの為の協奏交響曲」は、若溢れる爽やかさが際立った名演で、会場が大いに沸いた素晴らしいものだった。
私は正直何となく物足りなさを感じてしまったのだが、これは単に私個人の感想であって、各人各様でいいと思っている(これはある方から言われたこと)

私は昨年5月に大賀ホールで聴いた、ヴィオラがズーカーマンのこの曲があまりに印象に残っていたために、それの再現を期待してしまっていたのが最大の間違いだったように思っている。ズーカーマンは、世界の巨匠とも言われる熟年の演奏家で(この時は指揮もした)、彼の人生そのものが、一音一音に溢れでて、しみじみとしたものがあって感動した。第二楽章など、静かに流れ、もの悲しく、それはお母さんを失った悲しみまでも感じるほどだった。(この曲はこの体験から生まれたともいわれている)それに若手のヴァイオリニストが見事にこたえ、まさに二人は会話を楽しんでいるかのようであった。

それがそのまま再現されるはずなどないのだが、何となくスッキリしなかったので、休憩時にクレーメルとカシュカシアンでアーノンクー指揮のウイーンフィルのCDがあったので買ってきた。このCDを今朝からずっと聴いているが、考えてみれば、20代、30代の、若手男性二人の演奏で、この曲を聴くのは、私は初めてだったと思う。若い二人だからこその、青い果実の様なフレッシュさ、甘すぎず、酸っぱすぎず、とにかく新鮮で、躍動的で、華やか、これはこれですごいモーツァルトだったと今感じている。今後もできれば、このお二人はこの曲を時を空けながら演奏し続けていって、そして聴かせて欲しいと思う。

N響は、近年になってのことのようだが、ソリストを外国からの招聘ではなく、今回のような首席を起用しているプログラムが多くなっている。それはソリストたちが、世界的な水準に達しているせいだと、これもある方のご指摘を受けて、そうなんだと納得している。それだけではなく、コンマスもその都度変わり、国内の楽団からの時もあれば、海外の楽団からだったりする。(今回はトゥールーズ・キャピタル劇場管弦楽団コンサートマスター)N響だけではなく、他の楽団もそうしているかはわからないが、指揮者が変わるのは当たり前として、それができるのも楽団の土壌がしっかりしているからのことと、私ながら思う。

指揮者は、昨年のウィーンフィル来日公演を指揮し、大成功を収めたトゥガン・ソヒエフだった。後半はベートーベンの「英雄」で、モーツァルトと、ベートーベン、この2曲をソヒエフの指揮で聴けたなんて、私は何と幸せなことであったか、しみじみとそのことを感じている。