貞次さんのことを思い出すとやっぱり音楽、建築、そして絵かな~?こんなに魅力的な趣味はなかったろうと思っている。
建築は仕事とはいえ、楽しそうにやっていたから、それも趣味のうちかもしれないし、そんな仕事に就けたのだから幸せだったろうとも思う。病気になってからは、特にこの3つには助けられた気がする。
最初の手術をして、待ちに待った退院の朝、私は勇んで会計を済ませようと会計の椅子の前で待っていたが、なかなか呼んでもらえず、待ちくたびれた頃に、看護師さんが「高橋さんは熱があって今日は退院できません」と言われた。あわてて病室に行くと、今朝熱を測ったら38度を超えていて~、と貞次さんの言葉。
がっかりしたのは、私以上に貞次さんだったと思うが、感染症になってしまったそうで、抗生剤の点滴が始まり、この日の退院はお預けとなりました。
感染症は、特定の菌を探して、それにあった抗生剤を投与することになるので、それまで数日かかったような気がする。それから治療に2週間かかりやっと退院となった。
2月15日に家に戻ってきた貞次さん、やっぱり我が家はいいな~と言っていた。この日は二人とも嬉しかったな~。
こうした色々あった入院中、病室で貞次さんは、庭を広くするための設計図を書いていました。少しでも多く植物を植えられるようにです。私が病室に行くと突然「今これを書いているんだ」と見せてくれて嬉しそうでした。
私にとっては、考えてもいないことだったので、転んでもやっぱり貞次さんは設計の人なんだなと思ったのと、こんな病気の身でも、楽しんで出来ることがあって、羨ましいとも思った。
こうして出来上がった設計図のもと、工事は退院後順調に始まり、工期は2,3週間くらいだったが、無事に終わり、貞次さん設計の我が家の今現在の庭となった。
貞次さんのお母さんのおじさんという方は「日本の公園設計の父」と呼ばれるくらいの人だったそうで、日比谷公園をも設計した人。ささやかでも自分の庭の設計図を楽しそうに書いている、こんな貞次さんの姿を見せてあげたいなとも思う。
この図を病室で私に見せてくれた時のどこか得意げで、嬉しそうだった貞次さんの姿と、そこに咲くモーツァルトの薔薇たちと、それらは宝物のようなもので、この時の貞次さんが懐かしく、この頃になると決まって思い出しては胸が熱くなる。
そして、貞次さんには愛してやまなかったモーツァルトと、絵と、それらに全力投球して、逝ってしまった人。幸せな人。
綺麗な風のふく6月に、お庭に咲く花々に見送られて旅立って行った。
その貞次さんの命日が一月後、またやってきます。この宝物のような私の思い出は、いつまでも色あせることなく、心の中で生き続けて行くんだろうな、と思っている。


小さな庭だが、貞次さんのデザイン。左が図面。(2025年5月14日撮影の庭)
