先週末から今週にかけては、目まぐるしく過ごす一週間だった。。感動、哀しみ、喜びといった感情が、日替わりで押し寄せてきたような。
無感情で過ごしている日もあるから、これが人間生きているということなのだろうか。
もう20年近く前のことになるだろうか。今はもうないが”岩波ホール”というホールがあって、様々ないい映画を上映していた。タイトルもミニヨンとかいう言葉が付いていたと記憶しているだけで、もうタイトルも忘れてしまった。
その映画は、茗荷谷にある「旧磯野家住宅」別名銅御殿(あかがねごてん)をロケ地として、表門や車寄せの玄関、書院造りの内部などが映し出されて、この映画で、私達は初めて明治末から大正にかけた時代の、近代和風建築の傑作といえる建物のことを知った。
いつか行ってみたいと思いながらも時は過ぎ、貞次さんも見ずに逝ってしまったが、この建物を週末だけだが、解説付きで人数限定で公開している事を、私はひょんなことから知ったのだ。
予約をし、見学会に出掛けた。お天気の良い日だった。茗荷谷駅からわずか3分ほどで、湯立坂に面してその建物はあった。ブラタモリでも、タモリさんが一番好きといっていた坂が、この湯立坂だったが、この坂を下ってすぐ右手にあった。
屋根や外壁を一面銅板張りにしていることから、当初は赤褐色に輝いていたので”あかがね御殿”と呼ばれていたのだ。今は時を経て、銅板の色も変化して重厚感ある緑青色になっていた。

湯立坂、左が筑波大学。

道沿いからは、この格式ある門が見える。

正面玄関
山林王の磯野氏だけに、木曽ひのきを一山ごと買ったり、クスの木、屋久島の杉、伊豆半島からのくわなどの銘木をふんだんに使い、”お金と時間はいくらかかってもいい”といった、まさに贅を極めたもの。設計・施工の棟梁として白羽の矢を立てられた北見米造という人は、この当時まだ20代で、北見の建てたお茶室をみての大抜擢だったそう。
写真撮影は自由だったが、SNSへの投稿は防犯上控えてくださいとの注意があったので、写真は玄関だけにするが、火事で焼けない家、地震に強い家、寺院造りの家と、注文はたった3点だけだったそうで、棟梁の北見は最晩年の1961年にこの屋敷を訪れ、関東大震災、戦火にも耐え抜き存在する姿をみて”この家は50年後にはきっと重要文化財になる”と話したそうだが、その言葉通り、旧磯野家住宅は2005年に国の重要文化財に指定されている。
いい住宅を見た感動は余韻をもち、ずっと私の胸に残った。若い建築を学ぶ学生さんらしき男性が二人で参加していて、随所にしきりに感嘆の声を発していた。貞次さんとも来たかったのに、といつものことながら私は思った。
かつて30代の頃に友人が茗荷谷にご実家があり、桜の頃だったが、桜並木を見下ろす素敵なマンションを一度訪ねたことがあった。その友に、銅御殿見学会に行ったことを伝えたlineをしたら、喜美子さんは、今もご主人と一緒に建物を見て歩いているですね、羨ましい、といってくれた。今も、私と同じ目線で、貞次さんも見ていてくれたらいいな~と、私もそう思っている。
色々な建物からの感動を抱きながら、帰りはまっすぐ帰る気にもならず、ちょっと贅沢な”鹿児島産の紫いものモンブランに、有機栽培の珈琲のセットを楽しんで帰った。
この日は、感動の日だった。


程よい甘さで上品な味だった。。
